大分県立野津高等学校
野津町野津市にあった高校です。10号線沿いにありました。剣道が強かったです。衛生看護科が中心でした。平成26年3月閉校になりました。
大野郡野津町大字野津市537-1 昭和24年創立

校歌
作詞 松本 義一  作曲 辛島 武雄     
1 明けそむる祖母の山なみ 白雲の流るるところ
  大野川瀬音さやかに 若き日の生命あたらし
  ここぞおお野津高校

2 かがやくは真理のひとみ 創造の花咲くところ
  はつらつと勉め励みて 若き日の希望はるけし
  ここぞおお野津高校

3 野をわたる風さわやかに 学園の歌わくところ
  今日のわざ明日を呼びつつ 若き日の力たくまし
  ここぞおお野津高校

4 ひるがえる校旗清らかに 歓喜のあふるるところ
  栄えゆく国家をになふと 若き日の未来あかるし
  ここぞおお野津高校

校訓
誠実 勤勉 親和

   校門への道は、余り大きくありません。    三階建ての校舎がありました。奥にも体育館と校舎があるようです。
   高校にしてはグラウンドは広くありません。向こうの端にプールが見えました。    奥にも二階建ての校舎が見えました。
   令和3年に行くと校舎を取り壊し中でした。    運動場は、草むしていました。
   令和4年に行きました。校舎が綺麗に整備されていました。    体育館は、そのままでした。


沿革史(野津町史より)
昭和24年  大分県立三重高等学校に定時制課程として野津分校を置く
昭和26年  大分県立三重東高等学校定時制と改称
昭和28年  大分県立三重高等学校定時制と改称
昭和31年  大分県立三重農業高校定時制大原分校、緒方分校、千才分校及び三重高等学校野津分校を統合し大分県立豊西高等学校野津分校として発足その本部          を緒方校舎に置く
昭和32年  本部を大原校舎に置く
昭和33年  農業課程に切り替える
昭和36年  県高等学校再編に伴い校舎を分校と改称し従来の家庭科を生活科と改める
昭和38年  定時制を廃し全日制となし三重高校の野津校舎となる
昭和40年  普通教室九教室完成
昭和41年  独立し大分県立野津高等学校になる
昭和43年  部室完成 剣道場新設
昭和47年  商業科新設
昭和48年  特別教室(理科、商業)完工
昭和49年  体育館竣工
昭和53年  管理棟(鉄筋二階建て)竣工
昭和54年  普通科一学級増
昭和55年  柔剣道場竣工
昭和57年  特別教室棟竣工 

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