直川町直見にあった学校です。一〇号線の佐伯寄りです。今は、老人ホームになっています。昭和35年に閉校しました。
作詞 作曲
1 匠渓の水瀬になるところ 秀峰周る四季の姿
久遠の生命吾が胸をうつ 久遠の生命吾が胸をうつ
2 聖の教訓畏こしや 共同と自治心に占めて
皇国の為に強く生きん 皇国の為強く生きん
3 美し崇し我が担う土 使命は重し吾等が前途
学舎の上に光りあれ 学舎の上に光りあれ
校訓は不明です。
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跡地は、なおみ園になっています。 | ![]() |
建物は、学校のものでは無いようです。 |
(直川村史より)
明治 7年 2月 下直見字立千峰に学校創設 新洞学校を創設
竹の下に竹の下学校開設
明治25年 新洞学校を下直見尋常小学校 竹の下学校を上直見尋常小学校とする
明治41年 4月 高等科を設け下直見尋常高等小学校 上直見尋常高等小学校となる
大正 2年 5月 両校統合 直見尋常高等小学校となる 間庭に新校舎建築
昭和16年 4月 直見村立直見国民学校となる
昭和22年 4月 直見村立直見小学校となる
昭和26年 4月 町村合併により直川村立直見小学校となる
昭和35年 9月 川原木小学校との統合により閉校