大分県立中津工業高校
中津市にあった工業高校です。サッカー、野球、相撲などスポーツの強い学校でした。そのまま中津東校になっています。
中津市上如水145番地の3

校歌
      作詞 金粟 堅 作曲 武蔵野音楽大学  
1 朝霧映ゆる周防灘 風さわやかな如水原
  あゝ向学の意気燃えて 友愛花とかおり咲く
  われらの中津工業に 見よ躍進の気魄あり

2 山国川の水清く 沖代の野に幸は呼ぶ
  あゝ勤労を尊びて 生産の歌はこだまする
  われらの中津工業に 見よ清新の実りあり

3 扇の城に月澄みて 偲へはゆかし自尊の碑
  あゝ伝統の枠受けて 民族の明日を担い起つ
  われらの中津工業に 見よ栄光の行手あり 

校訓
創意 責任 努力

   最後の卒業記念碑です。閉校記念碑を兼ねています。  中津商業の駅伝優勝碑もありました。
  広いグランドは、そのままです。校舎も広々しています。    校舎は、工業高校のままですが耐震工事をして新しそうです。
   相撲道場がありました。  野球部の歴史は引き継がれているようです。
   校訓の碑です。東高校のかな。    栄光の碑は、引き継がれていくでしょうね。

沿革史
沿革
1948年(昭和23年) - 中津工業学校と合併して大分県立中津第二高等学校となる。
1951年(昭和26年) - 大分県立中津東高等学校に改称。
1963年(昭和38年) - 大分県立中津東高等学校から大分県立中津工業高等学校が分離新設される。
2009年(平成21年) - 生徒の新規募集停止。
2009年(平成21年)4月 - 大分県立中津商業高等学校と大分県立中津工業高等学校を統合し、大分県立中津東高等学校が開校。
2011年(平成23年)3月5日 - 閉校
中津東高校は、中津工業高校の校舎を使っています。

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