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蒲江町の東の端の方にあった学校です。波当津小学校を吸収し一番端の学校になっていました。平成29年度に蒲江翔南学園設立のために閉校しました。先に閉校になった名護屋中学に隣接していました。
南海部郡蒲江町大字丸市尾浦 明治7年創立
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作詞 柴田 寿雄 作曲 後藤 初男
1 朝あけの海原遠く 黒潮のかがようところ
学びやは光りに満ちて 海の子の力みなぎる
ここにほこりありわが名護屋校
2 うち仰ぐ轟明石の 山なみは緑にもえて
学びやの明るき窓に 若き日の夢は生いたつ
ここにのぞみありわが名護屋校
3 海山の恵みあつめて しあわせの花咲くところ
友垣はこころ一つに 豊かなる明日を開けゆく
ここにつとめありわが名護屋校
校訓は、不明です。
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校舎は二階建てです。 | |
裏側はフラットな校舎です。 |
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プールは、小川を挟んであります。 | ![]() |
体育館も長い渡り廊下を渡っていきます。 |
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小学校なのに自転車置き場みたいな所に一輪車がいっぱいありました。 | ![]() |
二階建てですが、非常階段がありました。 |
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ジャンプ遊びの台がありました。 | ![]() |
通用門です。 |
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令和2年行きました。校舎は、そのままですが、運動場は、ぬかるんでいました。 | ![]() |
プールの水が抜かれていました。 |
(学校HPから)
| 明治 7年 | 丸市尾浦廃庵を校舎とする。 |
| 11年 | 分校が本校に昇格、丸市尾校舎となる。富尾神社の下に校舎新築。 |
| 13年 | 葛原・波当津の両校を分校とする。(丸市尾・葛原・波当津は1校) |
| 20年 | 葛原・波当津両分校独立校舎となる。(葛原) |
| 25年 | 丸市尾簡易学校を丸市尾尋常小学校と改称。 |
| 葛原・波当津分教場となる。(葛原) | |
| 大正 10年 | 森野尋常小学校、丸市尾尋常高等小学校合併。葛・森廃校。名護屋 尋常高等小学校と改称。 |
| 波当津分教場を置く。(森本) | |
| 14年 | 葛原分教場・森崎分教場再び開校(葛原) |
| 14年 | 新校舎落成。 |
| 昭和 4年 | 校歌制定、作詞 法輪梅氏、作曲 吉田格氏。 |
| 16年 | 名護屋村国民学校と改称。 |
| 22年 | 六三制改革により、名護屋村立名護屋小学校という。 |
| 30年 | 町村合併により、蒲江町立名護屋小学校と改称。 |
| 35年 | 波当津分校独立。 |
| 38年 | 37.10 工事にかかる本校新築校舎 鉄筋二階建て完工落成式。 |
| 40年 | 葛原分校新築。 |
| 41年 | 校歌制定、作詞 柴田寿夫氏、作曲 後藤初男氏。 |
| 49年 | 創立百周年記念式挙行。 |
| 平成 元年 | 校舎大改造、完了。 |
| 4年 | 体育館落成式。 |
| 5年 | 台風13号襲来、体育館屋根飛ばされる。(11/22修理完了) |
| 6年 | 名護屋小学校「葛原分校」閉校式挙行。3月31日廃校となる。 |
| (120年の歴史を閉じる。) | |
| 6年 | 開校120周年記念行事、式典、記念植樹、記念誌発行。 |
| 17年 | 市町村合併により、佐伯市立名護屋小学校と改称。 |