日地町立南端小中学校
日出町の南端にあった学校です。小学校中学校幼稚園が、一緒の場所にありました。南端村が山香町と日出町に別れて合併しました。日出町部分がこの学校になりました。速見インターの近くにありました。校区外かあの子も募集していましたが、集まらず休校になっています。令和2年に正式に閉校になりました。
速見郡日出町大字南畑2-1210小学校明治7年中学校昭和22年創立

校歌

作詞 藤原 信 作曲 後藤 初男
1 見はるかす豊の海原明けそめて 希望にもゆる朝陽かげ
  学びの窓に射しそえば ああ向学のひとみかがやく
  真理をもとめ光に生くる われらの母校南端

2 山なみのみどりあかるく空晴れて 尼蔵の岳の白き雲
  学びの庭にかぎろえば ああ友愛の花は咲きみち
  体をきたえ力にほこる われらの母校南端

3 鳥歌い小笹の風もやわらぎて 西崦塾の文の声
  学びの園にささやけば ああ求道の胸は高鳴り
  心をみがき歴史を創る われらの母校南端 

校訓
・小学校
明るく助け合う よく考え実行する 頑張り抜く
・中学校
自律 責任 創造


   二階建ての校舎です。右の端に幼稚園がありました。    校舎改築記念碑です。地物熱意の分かる文です。
   体育館です。地区も利用しています。    プールは、かなり離れてありました。校舎・運動場・プールの順で階段状に成り一番下になっていました。
   中学校もあったからかとても広い運動場です。    校舎は三棟ありました。小学校・中学校・幼稚園が、あるからでしょう。


沿革史(日地町史より)
明治 7年  上河内と目刈に創設される。上河内学校は宗野虎一宅、目刈学校は法雲寺を仮校舎とする。
   13年   目刈学校、校舎新築移転(目刈八幡社隣)
    19年  学制改革にともない、目刈学校は目刈簡易学校と改称
    26年  目刈簡易学校、南端尋常小学校と改称。富田・天間・小田分教場ができる
    36年  富田分教場、水の口に移転、水の口分教場と改称。南端尋常小学校、北原に新築移転
    38年  南端尋常小学校、職員室・裁縫室増築、裁縫専攻生を募集
    43年  南端尋常小学校内に農業補習学校を設置
大正 4年  高等科を併設し、南端尋常高等小学校と改称
昭和 3年  水の口尋常高等小学校、南端北部尋常高等小学校と改称
    16年  国民学校令の施行により、南端村国民学校、南端北部国民学校と改称
     22年  学制改革により、南端村立南端小学校、北部小学校と改称。南端小に中学校を併設
    31年  南端・北部両校が合併。町村合併により日出町立南端小中学校と改称
         小学校舎落成(大字南畑柳川内)水道工事完成
    32年  統合初年度入学式。校章(帽章)制定(校長が図案)。
    34年  中学校舎落成。校旗・校歌制定。
    35年   牛乳給食開始。へき地第一級学校に指定される
昭和42年  学習研究社より教育賞受賞
   43年   学校給食開始。学校プール更衣室竣工
        郡指定1年次研究発表会(国語)
    44年  郡指定2年次研究発表会。花いっぱい運動受賞
    49年  創立100周年記念式典並びに記念事業
    51年  西部地区へき地教育指導者講座。音楽部会研究発表会開催
    55年  団体指定「租税教育」第1年次研究発表会
     56年  租税教育第2年次研究発表会。
     60年  現鉄筋コンクリート2階建新校舎落成 
     61年  体育館新築落成
平成 2年  小プール完成。
    4年  プール更衣室完成
   10年  校舎増築(印刷室・更衣室・コンピュータ室)
   14年  福祉優秀校大分合同新聞賞を受賞
   15年  緊急避難用シューター設置。みずほ教育福祉財団 へき地教育交流学級助 成校に推薦される。
   17年  第51回九州へき地教育研究大分大会分科会研究発表
   21年   日出町小規模校特認校制度を始める。

100周年誌
明治 7年12月11日 創立目苅り学校と称え法雲寺を以て仮校舎とし読書算を教授す
明治10年 4月 1日 民家に移転 1年足らずして法雲寺に復する
明治13年 9月 1日 目苅字宮の谷に校舎新築移転する 校舎は、平屋草葺き間口5間奥行き2間
明治19年 4月 1日 学制改革で尋常科4年 高等科4年となり目苅簡易学校と呼ぶ
明治26年 4月 1日 南端尋常小学校と改称 富、天間、小田が分教場となる
明治33年        尋常科4年生まで義務教育となる 
明治36年 5月15日 字北原に校舎を新築し移転 この日を学校記念日に定める
明治38年       二階建て間口二間校舎増築 裁縫科生を募集する
明治39年 4月 1日 富田、天間、小田各分教場独立する
明治41年       農業補習学校を構内に設置する
大正 4年 4月 1日 高等科を併置 南端尋常高等小学校と改称
大正15年 7月    青年訓練所併設
昭和16年 4月 1日 国民学校令施行 南端国民学校と称し初等科6年高等科2年義務教育制となる
昭和18年 7月    校舎移築決定1~4年大智寺 5~6年高等科1~2年は、大所民家を仮校舎として授業   
昭和19年 4月25日 字宮ケ谷に新校舎上棟 大東亜戦争中で資材難 人手不足のために工事遅遅として進まず
昭和20年 3月26日 粗造の新校舎竣工 地久節を選んで授業開始
昭和20年 8月    米軍の空襲激化し班別に分散授業実施
昭和21年 4月    大所原野の一部を学校林とし杉桧植樹
昭和22年 4月    学制改革により六三制実施ために中学校併設 南端村立南端小学校と改称
昭和24年 7月    宿直室移転落成
     11月    進駐米軍演習場立ち入り禁止のため十文字部落送別式
昭和25年 3月    学校林として大所朱の鼻に三反歩植樹
昭和30年 5月    学級増で1,2年生を単式学級とする
昭和31年 2月    校舎新築入札
      4月    町村合併で日地町立南端小学校と改称する
     11月    水道工事完成
昭和32年 2月    学校林2町歩役6000本の桧、杉を植樹
昭和32年 4月 1日 3月末を以て前記両小学校を廃し合併して日出町立南端小学校として現在地(大字南畑字柳川内)で発足
昭和32年 5月    新PTAを結成
昭和32年 9月    運動場拡張工事作業(全戸二日奉仕)校長図案による校章制定(帽章)
     11月    低鉄棒、玄関前階段、足洗い場、登り棒、ブランコ設置
昭和33年 1月    植え込み完了(青桐、檜葉、桜、ベニカナメ、築山)
      5月    植え込み(運動場斜面芝生、学校教材園)
     10月    学校門柱建立
昭和34年 1月    小学校六教室ストーブ設置
      2月    電話架設
      4月    校旗校歌制定
昭和35年 1月    教員室にストーブ取り付け 牛乳給食開始
      3月    へき地第一級学校に指定
      6月    校門道路舗装
      8月    有線放送取り付け通話開始
昭和36年12月    諸君住宅一棟竣工
昭和39年 5月    子ども郵便局表彰
昭和42年 2月    学校給食(完全型)開始
昭和43年 5月    プール完成 学校防風林として桧500本植え付け 石扮八合運動場投入 整地すると共に運動場に芝生植え付け(PTA奉仕作業)
     11月    岩石園完成 給食舗装道路完成
昭和44年 5月    運動場周囲に金網設置(PTA奉仕)
昭和45年 5月    運動場防灸金網張り(PTA奉仕)
      6月    耐火金庫設置
昭和46年 3月    日時計設定
      7月    プール水源延長のためにパイプ埋設工事
      8月    小学校棟、管理棟入り口引き戸を完備
      9月    講堂バック幕取り付け 滑り台、ターンテーブル設置
     12月    校地西排水溝整備
昭和47年 1月    停留所脇に学校標識設置
      8月    児童便所扉取り替え
     11月    屋内配線改修工事完了
昭和48年 3月    運動場入り口ブロック塀設置
     10月    鉄製低鉄棒(三間)設置
     12月    創立100周年記念式典挙行 記念行事 学習発表会と児童作品、教育資料、盆栽、野菜各種展示会を開催 また記念事業としてプラネタリュームを建設しファックス、カラーテレビを購入し記念誌を発行する         

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