天ヶ瀬町立丸山小学校
天ヶ瀬町の馬原から台方面に行く道路を丘の上に上がったところにあった学校です。丘の上なので結構きつかったと思います。平成24年東渓地区四校と統合し東渓小学校となり閉校しました。
日田郡天瀬町大字合田747-1 明治4年創立

校歌
校歌  作詞 藤原 信   作曲  田坂 保
1 みどりの木々にかこまれた 山ふところの学舎に
  われら若鷹のぞみは高く ちえをみがいてはばたくあした
  この丸山に光りあれ

2 流れもつきぬ玖珠川の 瀬音もさえぬ校庭に
  われら若鮎ちからは強く からだきたえて生いたついのち
  この丸山にほまれあれ

3 つらなる峰に雲白く ゆめもゆたかな学園に
  われら若草ひとみは清く 道をおさめて伸びゆくつぼみ
  この丸山にさかえあれ

校訓
つよい子  やさしい子 かしこい子


   三階建ての校舎です。    校門です。校名が大きくあります。
   体育館が大きく見えます。    百周年記念碑です。
   裏です。窓が多いです。    端の方に遊具がありました。
   平成29年には校舎が取り壊されてコミュニティーセンターが建てられていました。    百周年記念碑も移動していました。
   右側の門柱は、上からの校札が取れ天瀬町立丸山小学校の名が薄く出ていました。    すべて壊していて広く感じます。

沿革史(学校HPより)
明治 4年 3月   多々良木の矢幡広吉氏宅にて授業をなす。
明治 9年 4月   柚ノ木の江田秀雄氏宅に移し、小学校と称す。
明治17年 4月   現在校の上段に校舎を新築し、丸山簡易小学校と称す。(2学級)
明治22年 4月   丸山尋常小学校と改称す。
明治41年 4月   義務教育2か年延長し6か年となる。
明治42年      現在地に校舎を移転、新築。
明治44年 4月   中川村立農業補習学校と併設。
大正 3年 4月   高等科を併設。丸山尋常高等小学校と改称す。
大正11年 5月   元高等小学校上ノ釣仮分教場を本校に移す。
大正15年 4月   5学級編成。
      7月      中川青年訓練所を併設。
昭和 6年      高等科を本校より分譲し、台、桜竹に高等科を併設。
昭和6年5月    校舎及び講堂落成。(木造の旧校舎)
昭和10年     農業教習学校を廃止。青年学校発足。
昭和13年     運動場拡張す。
昭和16年 4月   中川村立丸山国民学校となる。
昭和18年     青年学校が独立し、下ノ釣に移転。
昭和19年     学校農園(1反2畝)を花香の佐藤英三郎氏寄贈。
昭和21年     校長住宅2階増築。(矢幡重雄氏、小関辰造氏寄贈)
昭和22年 4月   中川村立丸山小学校となる。
昭和24年 7月   学校育友会(PTA)創立。
昭和28年 5月   木造新校舎並びに職員住宅2棟落成。
昭和30年 3月   中川、五馬、馬原の三村を合併し、栄村となる。栄村立丸山小学校と改称す。
昭和31年 5月   講堂落成。
昭和41年 4月   町制施行により、天瀬町立丸山小学校と改称する。
昭和46年 5月   創立100周年記念式典実施。
昭和49年 7月   学童プ-ル完成。
昭和57年 4月   鉄筋3階建校舎改築・落成
昭和60年10月   創立100周年記念碑建立。校旗新調。
昭和62年10月   県福祉協力校の指定を受ける。
昭和63年 3月   屋内運動場(体育館)改築・落成。
平成元年 4月   大分県小学校算数研究推進校として指定(2年)を受ける。
平成2年10月   大分県小学校算数研究推進校として研究発表を公開。
平成2年11月   県知事より文化財愛護少年団として表彰される。
平成4年 9月   創立120周年記念運動会実施。
平成5年 4月   複式1学級編成される。
平成6年 4月   校舎裏倉庫1棟設置。
平成8年 4月   複式2学級編成となる。
平成9年 3月   丸山グリ-ンパ-ク完成。
平成10年11月  県貯蓄推進委員会指定「金銭教育」研究公開発表。(2年次)
平成11年 6月  県貯蓄推進委員会(平松知事)より感謝状を受ける。九州ブロックPTA協議会よりPTA表彰を受ける。
平成12年 5月  県「生き活きトライ体験推進事業」及び法務局「人権の花」指定を受ける。3月に感謝状を受ける。
平成14年 9月  プールフェンス改修
平成15年 4月  文部科学省「人権教育総合推進地域事業(3年間)」をうける
平成17年 4月  日田市と日田郡5町村の合併により、22日より日田市立丸山小学校となる。
平成21年 4月  日田市人権教育指定事業(2年)を受ける。
平成22年10月  日田市人権教育指定事業公開研究発表会を開催


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