大分県立国東農工高等学校
この国東農工高校と国東高校とが合併した高校も国東高校と言う校名です。跡地は、新国東高校になっています。
東国東郡国東町大字鶴川1974明治35年創立平成20年閉校

校歌
作詞 八波 則吉   作曲  清瀬 保二
1 白雲なびく双子山 山崇高の精をとり
  ここ国東の学舎に 祖国振興の旗かざし
  厚生の学究めゆく 真摯の姿見ずや君

2 蒼穹浸す豊の海 海雄大の気をうけて
  高木原頭陽をあまなひつ 知徳をみがき体をねる
  我等の行くて見よや君

3 流風遺韻梅園の 清き香りを身にしめて
  責任感謝を誓ひつつ 創造努力いざ友よ
  花晨月夕束の間も 向上の道辿りなむ

校訓
責任 努力 創造

   校門を入ると4階建て校舎があります。    道路を挟んでグランドがありました。
   道路に面して体育館があります。    農場が校舎の奥にありました。
   教室棟でしょうか。    農場の裏に野球場がありました。国東農工の時からあったかは分かりませんでした。
   昇降口です。    倉庫の向こうにも農場がありました。



沿革史(国東町史より)
県立国東農学校の流れを汲む
明治35年11月    郡立実業学校設立認可
明治36年       安国寺に校舎新築 農業科50名 水産科13名 入学
明治43年       水産科廃止
大正 2年       創立一〇周年記念式典
大正12年       郡制廃しにつき一〇町村組合立になる
昭和 2年       大分県国東農学校になる
昭和 3年        県立移管
昭和 7年       鶴川字高木の新校舎に移る
昭和 9年       実業教育五〇周年記念として果樹園造成
昭和14年       校歌制定
昭和16年       教室増築 奉安殿竣工
昭和17年       武道場設置
昭和20年       寄宿舎完成
昭和23年       登校は国東高校第三部として農業科・農業家庭科を、また定時制の中心校として城崎分校を併設。上国崎村東光寺を仮校舎にした
昭和24年        豊崎大字岩屋に新校舎が落成した 部制を廃止。国東高校西校舎と改め、定時制中心校を南校舎(旧高女)に移した 
昭和25年       本部を北校舎(旧中学校)から本校舎に移す
昭和26年       高校再編成により県立東国東高校になり、農業課程・家庭課程で全日制415名。定時制は、農業課程・家庭課程で183名の学校となる。創立五〇周年記念式典を行う
昭和27年       園芸課程を置き四〇名簿集。
昭和28年       校名変更により県立国東農業高校となる 城崎分校を中心校に統合 453名となる 定時制は160名 
昭和29年       産業教育七〇周年記念 及び校舎運動場拡張
昭和30年 1月12日 国東高校焼のため一年生三クラス本校で授業
昭和36年       定時制募集停止 家庭科を生活科と改称 創立六〇周年記念式
昭和37年       農芸科学科を置く
昭和38年       定時制廃止
昭和43年       体育館落成    
 

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