大分県立国東高等学校(旧)
この国東高校と国東農工高校が合併した高校も国東高校と言う校名なので、旧国東高校の表示にしています。跡地は、国東の四中学校の統合した国東中学校になっています。東国東郡国東町大字田深1422昭和23年創立平成20年閉校

校歌
作詞 脇 太一   作曲  松本 民之助
1 双子山照る陽に匂い 自主の鐘高鳴るところ
  向学の希望に燃えて 求むるは久遠の真理
  ひたすらにわれら勤しむ 国東国東意気あり母校

2 豊の海星雲湧きて 新潮のみなぎるところ
  友愛の誠も深く 輝くは英知のひとみ
  清らかにわれら磨かん 国東国東幸あり母校

3 風かおる伊予野丘に 新文化花さくところ
  若き日の理想を呼びて 羽ばたくは抱負のつばさ
  ああ祖国われら担わん 国東国東光あり母校

校訓
質実剛健

   普通は、学校の中にバス停は少ないですね。高校の跡だからでしょうか。    玄関が、とても広い感じがしました。
   校舎の改築記念碑です。    駐車場に同窓会が記念碑を建てていました。
   さすが元高校、運動場がとても広いです。    武道場も立派です。
   自転車置き場も広いです。向こう側がプールです。    立派な校舎が広がっています。

沿革史(国東町史より)

昭和23年 4月19日 新学期実施に当たり国東中学校を第一部に、国東高女を第二部、国東農学校を第三部と改称し普通科農業科併設の全日制国東高校として開校。
      6月 1日 西安岐校舎を西安岐小学校講堂を仮校舎として分校開校
     10月28日 伊美校舎を伊美小学校の仮校舎で開校城崎分校も開校しその中心校を第三部に置く。
昭和24年       第一部を北校舎、第二部を南校舎、第三部を西校舎と改め、部制を廃し本部を北校舎において総合運営の強化を図る
昭和26年 4月 1日 高校再編により本校は、南北両校舎校地となる
昭和30年 1月13日 北校舎全焼する
昭和30年 8月17日 復旧工事が始まり第一、二期工事竣工する
昭和31年 9月 1日 南校舎校地(旧高女)を国東中学校に委譲する
昭和33年 3月20日 復旧工事落成式 商業課程増設
昭和35年 3月20日 運動場拡張八千㎡
昭和38年 1月12日 創立四〇周年記念式典と体育館・武道場・記念会館・運動場の落成式を行う 俣、伊美分校は双国高校として独立
昭和40年 4月 1日 安岐分校が安岐高校として独立 剣道場・プール設置

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