国見町立伊美小学校(旧)
東国東郡国見町伊美にあった学校です。伊美の福祉センターになっています。国東に行きだしたときには校舎が会った記憶があります。その頃はこの廃校巡りをしていなかったので写真を撮ってなくて残念です。明治7年に創立され昭和55年に閉校しました。伊美小学校、櫛来小学校と統合し伊美小学校となりました。この伊美小と区別するために旧をつけています。
昭和55年上伊美小学校・櫛来小学校と統合し伊美小学校になった。校舎は、新築された。

校歌
作詞曲 藤原 信   
1 光きらめく 周防の海の 波路はるかに希望は燃え
  千島の唄に潮の香に みんな仲良く励ましあって
  ちえを磨いて明るく育つ  ああ栄えあれ 吾等の母校
  
2 姿変わらぬ千灯岳に 青空高く理想をかかげ
  わきくる雲に立つにじに みんな若わし羽ばたき強く
  体きたえ すなおに伸びる ああ力あれ 吾等が母校

3 瀬音さえゆく 伊美の流れに みのり豊かなそよ風ふいて
  松の緑に白砂に みんな若草ひとみも清く
  道をおさめて 正しく生きる ああ誉れあれ 吾等が母校

校訓
漸進 創造 誠実

   福祉センターが建っていました。どんな感じの学校かな。    創立100周年記念碑です。閉校碑は別にありました。


沿革史(国見町史より)
明治 7年  別宮社籠屋にて開校 教科は、読書、習字、
明治 8年  教円寺
明治 9年  伊美、東中、西中、新涯、野田、千灯、赤根、櫛海の各村共同で小学校を新涯万徳寺に開校
明治10年  党民騒動のために焼失 廃校
明治11年  浜七蔵司に移転 教科は初歩読本  散りの初歩 論語 簡易な算術 野田昇治宅に移転 教科は、修身 国語 習字 算術
明治13年  唱歌の授業始まる
明治14年  新校舎落成(字川原)開校記念日に制定
明治20年  簡易学校を尋常科に改め毎月の授業時数を五時間に定める
明治22年  温習科を設置
明治24年  二年以上に唱歌 温習科に地理歴史を課す
明治38年  就学出席歩合優秀につき大分県より運動具一式授与される
明治43年 農業補習学校を付設
明治44年 新校舎竣工 伊美尋常高等小学校となる
大正 4年 天皇陛下の御真影を拝載
大正 5年 皇后陛下の御真影を拝載
大正14年 門司、下関、博多方面修学旅行 2円70銭
昭和 4年 奉安殿落成
昭和 8年 別府方面修学旅行
昭和 9年 櫛来農業補習学校廃止 伊美農業補習学校に合併 昼間通年性の女子部創設
      櫛来青年訓練所を廃止 伊美村青年訓練所に合併
昭和17年 福本伊六氏の寄付により講堂新築 楠公、尊徳像供出
昭和19年 夏期休業を全廃 授業を行う
昭和20年 御真影奉還
昭和23年 PTA創立総会
昭和28年 本館改築竣工
昭和33年 学校給食開始
昭和49年 創立100周年記念式典挙行
昭和52年 プール竣工
昭和55年 伊美地区三小学校統合により閉校

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