安心院町深見にあった小学校です。竜王小学校と呼ばれたこともありました。深見北小学校と深見南小学校が昭和33年統合して深見小学校になりました。それぞれ中学校が併設されていたようです。
作詞 作曲 不明
1 奇岩元立その数幾つ わけて城址に武士の意気
語りて煽ぐ竜王の峯は わが魂の恩師なるぞ
2 夜も日も分かずかすして永久に 山を穿ち岩が根噛みて
流れて下る深見の川は 我が魂の盟友なるぞ
3 さよ山水の秀ずる処 偉人傑士を育むとこや
我も人なり彼何者ぞ 倒れて止みなんおおさおおさ
4 郷土の誉れを揚ぐるは使命 百練千磨の八年の月日
仰ぎ曳くかな尊き至言 伏して聞かんか楽しき教示
立派な閉校碑が建っていました。随分後に建てられたようです。 | 敷地は、区分されていました。 | ||
明治6年からの古い歴史のある学校です。 | 端の方に公民館がありました。 |
(安心院町史より)
明治 5年 学制発布 大字龍王、大字鳥越 大字中山に庄屋、僧侶によって行われていた授業が、そのまま小学校として設置される
明治23年 大字鳥越字長浄寺に三校統合して鳥越尋常小学校を設置する
明治42年 高等科を併置し補習科も設置 校舎の増築も行う 鳥越尋常小学校と改称
明治44年 校舎一棟(110坪)を建築
明治45年 校舎前の田3枚を借りて運動場として利用する
大正 2年 学校から100mほど離れた光勝寺の上の台の畑六反歩余りを購入し運動場として使用する
大正 6年 従来1学級で補習科を農業補習学校女子部と改めた
大正12年 2月27日 校地移転 校舎改築の義を可決
大正13年 9月 大字鳥越字切寄の地にあった運動場周辺を購入して拡張し校門を登った正面に階か231坪講堂48坪を階上に持つ本館と左手鍵なりに建坪65坪の校舎が落成した。
大正13年12月 明治44年新築の校舎一棟を右手に移転し宿直室その他付属施設も完成して深見小学校となるまで村教育の中核の任を持ち続けた。
昭和26年 龍王村と明治村が合併し深見村になる。校名も龍王小学校は、深見北小学校となる。
昭和33年 3月31日 深見南小学校との統合により閉校
龍王中学校沿革史
昭和22年4月 龍王中学校設置 小学校に併設
教室不足 大字鳥越の神社も借りる
昭和26年 3月31日 深見南中と統合し深見中となるために閉校
戻る