鶴海町立東中浦小学校(中学校)
鶴見町の鶴見半島の一番先端にあった学校です。小中学校併設の学校でした。今でも校舎は残っています。山際に建設されています。平成14年に休校になっています。
南海部郡鶴見町大字梶寄席浦70番地
校歌

小学校

作詞  岡部 久喜 作曲 別府 淳一 
1 豊後の海の鶴見崎 明るく照らす灯のように
  高い理想に燃える子ら 聡くなかよく輝き合って
  光・光・光の東中浦小学校

2 黒潮逆巻く元の間の みなぎる強さ厳しさを
  いつも学んで育つ子ら 心やさしく励まし合って
  力・力・力の東中浦小学校

3 はてなく続く海原の 深く豊かな海の幸
  夢美しく伸びる子ら 大空さしてはばたき合って
  希望・希望・希望の東中浦小学校

中学校
 作詞  藤原 信 作曲 千本 延隆 
1 潮ひかる海の朝あけ 水の子は姿さやかに
  はるかなる理想をよべり ああこの岡に
  若き日の知性あかるく はげみあう我らが中学
  東中浦 誉あれ

2 風わたる嶺の青空 五百重なす畑の綠に
  たくましき命はあふる ああこの里に
  梶寄と丹賀を結び 集いよる我らが中学校
  東中浦 力あれ

3 岩洗う波の音高く 鶴見崎寄しきなぎさに
  あまかくる勇姿は踊る ああこの胸に
  柏葉の印をかかげ こぞり立つ我らが中学
  東中浦栄あれ

校訓は、不明です。

   県道から上の部分だけ見えます。   狭い道を上がっていくと校舎がありました。建築の時は苦労したと思います。
  一階の入り口です。玄関には見えません。     前に鉄棒が残っていました。ここが運動場だったのかな?
  給食室のようなものがありました。    上の方から校舎を見ました。二階三階は日当たりが良いようです。
   校舎の奥です。手前の階段で上がったのでしょう。  校舎から上に昇るとグラウンドがありました.
照明もある立派な作りです。
   令和5年に行きました。かなり痛んできていました。    グラウンドは、ヘリポートになっていました。


沿革史(鶴海町史より)
小学校
明治 9年      梶寄尋常小学校
明治20年      梶寄簡易学校
明治30年      東中浦尋常小学校梶寄分教場
大正12年      前年分村の結果東中浦尋常小学校、丹賀分教場設置
昭和 3年      丹賀尋常小学校独立 梶寄尋常小学校と改称
昭和 8年      梶寄尋常高等小学校
昭和16年      梶寄国民学校
昭和30年 3月   三村合併で鶴見村立梶寄小学校となる
昭和34年 4月   梶寄小学校、丹賀小学校統合 鉄筋三階建て校舎と成り鶴見村立東中浦小学校となる
       5月   旧梶寄小学校跡にグラウンド完成
昭和36年 2月   町制施行 鶴見町立東中浦小学校となる
昭和38年11月   給食調理室完成、ミルク給食開始
昭和40年 1月   へき地集会室(講堂)完成
昭和41年 1月   校長室増築、中ノ谷教職員住宅一棟二室完成
昭和47年 2月   東中浦学校給食調理場完成
        4月   完全給食開始
昭和48年 4月   浜教職員住宅一棟完成
昭和49年 5月   鉄筋三階建て特別教室増築完成
昭和52年12月   丹賀教職員住宅二階建て一棟完成
昭和53年 8月   講堂補修(屋根・雨樋・外装吹きつけ)電話自動化非常災害連絡用無線電話東中浦局より移転
昭和58年 2月   講堂(天井・壁)修理・運動場整備
       7月   女子更衣室設置・便所換気扇工事 休憩室設置
昭和59年 4月   給食調理場統合 鶴見町共同調理場より給食搬入
       8月   校舎内電気配線改良工事完了
昭和62年 4月   ランチルーム・児童会室・プレイルーム設置
平成 元年 3月   校長室天井・体育倉庫改修工事
        4月   旧職員住宅を解体し運動場を整地する
平成 6年11月 コンピュータ室設置
平成 7年 5月   運動場拡張工事(ナイター設備設置)

中学校
昭和22年 4月 1日 東中浦村梶寄浦、丹賀浦を創立
       5月10日 開校式を行わず丹賀浦は、小学校に於いて授業開始
       7月 1日 梶寄浦、丹賀浦合同授業を梶寄小学校旧校舎にて開始
       8月20日 校舎大修理
昭和23年 8月    暴風雨により校舎倒壊
昭和26年 2月    新校舎落成
昭和30年 3月    合併により鶴見村立東中浦中学校となる
昭和33年 7月    小学校校舎統合新築のために中学校校舎解体
昭和34年 3月    校歌、校旗制定
       4月    鉄筋三階建て校舎落成
        5月    旧小学校跡に運動場完成
昭和38年11月    給食調理室完成
昭和40年 1月    へき地集会室落成
昭和44年 1月    職員住宅一棟二室完成
昭和47年 2月    給食調理場完成
昭和49年 5月    特別教室増築(音楽室、技術家庭科室、便所)

閉校記念誌
昭和22年 4月    学校制度の改正により東中浦村梶寄浦丹賀浦を学区域として東中浦新制中学校創立 初代校長、青年学校小学校兼務
昭和22年 5月10日 開校式を行わず丹賀浦は小学校において青年学校の教官が授業開始
        7月 1日 梶寄浦、丹賀浦合同の授業を梶寄小学校旧校舎にて開始
        8月20日 校舎大修理、五教室を四教室として便所を付設する 職員室を二分して二室とする 校地内に職員住宅一棟五室建つ      
昭和23年 8月    暴風雨により校舎倒壊
        9月    公民館二教室、職員室一教室分散して授業する 梶寄小学校図書館に職員室を設置
昭和25年10月    新校舎建築着工
昭和26年 2月15日 新校舎落成(木造普通教室三、職員室一、家庭科教室一)
昭和30年 3月30日 東中浦村閉村式
        3月31日 町村合併により鶴見村として発足   砂場、鉄棒等の体育施設を生徒と設置
昭和33年 7月19日 小学校統合条件により鉄筋校舎建築のために中学校校舎解体小学校が分散授業(公民館、神社にて授業)
昭和34年 4月 5日 鉄筋三階建て校舎落成
        3月 1日 鶴見村立中浦中学校校旗校歌制定
        5月    旧小学校跡に現在の運動場完成
昭和36年 2月11日 町制施行により鶴見町立東中浦中学校と改称
昭和39年11月    給食調理室完成 給食開始
昭和40年 1月10日 僻地集会室新築落成
       10月 4日 幼稚園舎、校長室、職員住宅一棟二室、校舎三階門仕切り着工
昭和41年 1月17日 同工事落成
        5月16日 パン、ミルク給食実施
昭和42年 1月25日 校内植樹父母九十名参加
        6月 7日 バレーボール柵作り育友会
昭和43年 3月 1日 三年父母による池造り作業活動により池完成
昭和43年 4月16日 自転車を警察署より贈呈される
        4月24日 ピアノ購入
        7月17日 ピアノ開き
       10月 3日 宿院住宅一棟二室着工
昭和44年 1月23日 同工事竣工落成 100㎡木造平屋建て242万円
昭和45年 4月    運動場側溝完成
昭和46年 5月28日 楽器柵作成講堂修理
        6月 3日 更衣室改築
        8月 5日 台風襲来講堂便所のガラス、瓦破損
        9月28日 給食調理場建設工事
昭和47年 2月21日 給食調理場落成式
        5月22日 クラブ室建築
昭和48年 4月27日 梶寄教職員住宅一棟落成
昭和49年 1月21日 特別教室棟増築着工 鉄筋三階建て一棟延べ184㎡音楽教室技術教室便所1250万円
        5月 1日 同工事竣工落成式
昭和51年11月     職員住宅(浜)炊事場、風呂場増築
昭和52年 8月     校舎窓枠サッシの改修 吹きつけ外装工事
       12月23日 職員住宅(丹賀)一棟落成
昭和53年 7月26日 僻地集会所補修工事外装吹きつけ
        8月23日 内装一部壁張り替え
        8月25日 非常災害連絡用無線電話設置
昭和54年 7月28日 グラウンド防球施設改修工事
       12月18日 宿直室を改装して保健室完成
昭和55年 7月30日 鶴見崎川線開通
        9月 9日 東中浦中学校後援会結成
昭和56年 5月11日 東中浦中学校教職員用共同調理場設立
        8月31日 僻地集会所(講堂)補修工事
昭和57年 3月28日 カイズカイブキ300本ツツジ500本植樹
       10月 6日 図書館備品室を設け大幅に整備完了
       10月19日 県道梶寄浦佐伯線全面開通 記念行事記念碑除幕式
       11月 1日 中学校自転車庫梶寄浦浜辺に新設
       11月14日 校舎屋上補修完了
昭和58年 2月24日 運動場旧校舎土台撤去 校門入り口鉄柵新設合同新聞よりテント寄贈さる
昭和59年 4月 1日 給食調理場の統合により校内調理場廃止
        5月25日 鶴見町通学区域審議会結成 中学校統合問題審議
        7月30日 東っ子池造り活動による池完成
昭和61年 7月30日 新設中学校起工式
       11月 9日 閉校記念大文化祭
昭和62年 3月25日 中学校閉校記念式典     


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