挾間町立北部中学校
挾間町高崎山側にあった中学校です。石城小学校、石城西部小学校の卒業生が、通学していました。閉校後は、城東工作所というスピーカーメーカーが、そのまま工場として使用していました。日本一のスピーカーの磁石を作っていました。その後は、関連の城東運輸の基地になっています。校舎は、なくなっています。

校歌
作詞 藤原 信  作曲  後藤 初男
1 山をはるかに見はるかす 希望の道を通い来て
  光りを浴びて咲きかおる 学びの窓の知恵の花
  ああ美しきかなこの台に そびえて高し北部中学

2 雲ははるかに空晴れて 真澄める大気息吹きして
  朝も夕も鍛え練る 学びの庭の強き意志
  ああたくましきかな高崎の 山にも似たり北部中学校

3 山は清らか人和して 伸び行く郷土に育まれ
  理想を胸にこぞり立つ 学びの園の若き友
  おおうるわしきかな石城の 流れととわに北部中学校

校訓は、不明です。

  敷地は、この場所だと思います。今は、学校を示すものはないです。 


沿革史(挾間町史より)
昭和22年    石城川村立石城中学校開校
昭和29年    町村合併により挾間村立石城中学校と改称
昭和30年    町制施行により挾間町立石城中学校の改称 校区の一部変更 高崎東部(机帳原)を大分市立王子中学校へ分離
昭和31年    校名を挾間町立北部中学校と改称 校区を宮苑を大分村立賀来中学校へ分離 三船を由布川中学校より受け入れ
昭和46年    名目統合により挾間中学校北部校舎と改称

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