前津江村立赤石小学校
前津江村に大山町から行くときに中心部大野でなく手前を東に曲がった赤石地区にあった学校です。分校もありました。でもかなり離れているの自力で本校に通うのはムリかなと思います。平成24年前津江四校の合併により閉校になりました。前津江小学校になり旧大野小学校に通っています。
日田郡前津江村赤石108 明治5年創立

校歌
作詞 梶原 長喜   作曲 高瀬 尚信    
1 山の綠に風さやぐ 平和の里に生いたちて
  正しく強く清らかに 望みにもえて栄えゆく
  我等の赤石小学校

2 恵みの露の深くして 双葉に映ゆる日の光
  日に新しく伸びてゆく やさしの姿我が母校
  我等の赤石小学校     

校訓
がんばる 思いやる 考える

   運動場からの校舎です。コの字の校舎です。    玄関側です。木造のような感じです。
   閉校に際して卒業生が作ったモニュメントです。    校舎の裏にプールがありました。
   体育館です。    運動場には遊具がありました。
   苔むした門柱に歴史を感じます。    令和元年には体育館とプールは壊され駐車場になっていました。柚工場が入っています。
   校門からの階段は、長いです。    倉庫が新しい役割をもらっていました。
   こちらの平均台も新しい役割です。    校舎に荷物の積み出し口ができていました。
   令和7年に行きました。校舎は加工所として活用されていました。    運動場部分に集会所が建築されていました。

沿革史(前津江村史より)
明治 5年   赤石宮馬場に宮馬場校として創設 9坪
明治14年 5月 赤石本村峠役場家屋を校舎にし峠学校と称する 19坪
明治15年    初等科小学校になる
明治19年 4月 三年制の赤石簡易学校になる
明治23年10月 大野尋常小学校赤石分教場となる
明治34年    分離独立し赤石尋常小学校になる
明治35年 8月 教職員住宅建築
明治44年 4月 曽家分教場設置
       10月 字峠に校舎移転 校地65坪 校舎10,23坪
大正 9年    運動場拡張(墓地住宅移転)
昭和16年 4月 国民学校令により赤石国民学校となる 高等科を設置する
昭和22年 4月 赤石小学校になる
昭和32年 6月 現在位置に校舎改築移転
昭和40年    ミルク給食開始
昭和42年12月 教職員住宅完成
昭和46年 8月 プール完成
昭和47年11月 100周年記念式典
昭和54年 2月 赤石農村スポーツセンター完成
昭和63年 3月 プール完成
平成 元年 4月 校舎改築
平成 2年 4月 山村留学生制度発足 4名転入
平成11年 8月 九州地区山村留学赤石大会
平成24年 3月 閉校

閉校誌
明治 5年        赤石宮馬場に校舎を建築開校(宮馬場学校と称す)校舎坪数は9坪
明治14年        校舎破損のため字峠元戸長役場家屋が校舎となる 建坪19坪二合五勺 奥行三間半、間口五間半、内一二坪五合を教室とし二坪を宿直室、三坪五合を土間とする 学区域は大字一円であった(峠学校)
明治15年        初等科小学校となる
明治19年        赤石簡易学校となる
明治23年10月     大野尋常小学校赤石分教場となる
明治24年         大野尋常小学校より分離 赤石尋常小学校となる 一学期を一学年とし修業年限四ヶ年とする
明治28年         暴風雨・大洪水により校舎破損 学務委員の尽力により大修理を行う
明治32年 9月29日 運動場拡張工事落成 新運動場は九〇坪余 土地は校舎の南側畑三畝を所有者より五十二円で買収
明治35年 8月25日 教員住宅落成 建坪三坪 奥行一間半 間口二間半 土間七合五勺
明治44年11月     日向に校舎新築 校舎八〇坪 便所九坪 住宅十三、五坪 工費三千百三十一円 曽家分校が分離
大正 9年        運動場拡張 菜園設立 土地は寄付 拡張工事は各戸より出夫 全面積は四畝二十七歩
昭和 3年11月     御大典記念事業として校舎及び玄関等の修繕工事を行う
昭和 7年10月     運動場及び教室の一部を拡張 移転には各戸より出夫あり
昭和 9年 9月     墓地及び住宅移転をする 移転工事は各戸より出夫あり 墓地跡は関係者により学校に寄付
昭和14年 1月25日 石門落成
昭和16年        赤石国民学校と改称 高等科を設置し一学級増加し四学級となる
        5月25日 二階建て二教室の増築 建築費は地区の負担による
昭和22年        学制改革により赤石小学校と改称 高等科廃止 現在地に校舎建築移転
昭和35年        学校林の植樹完了
昭和36年 9月16日 赤石地区路線バス開通祝賀行事
昭和37年        県指定体育研究校(~38年)
昭和38年 6月11日 ミルク給食開始
昭和39年12月 3日 NHKテレビ学校取材(5日放送)
昭和42年        完全給食開始
昭和43年        曽家分校校舎改築落成
昭和45年        県小研指定研究
昭和46年        プール完成(工費三二〇万円)
昭和47年        県指定体育研究発表会 創立百周年記念式典行事
昭和50年        研助成図工研究校(~51年)
昭和52年        学校林に対し県知事表彰を受賞
昭和54年        赤石農村スポーツセンター落成
昭和56年        赤石小育友会県連合会表彰を受賞
昭和63年        校舎北側にプール完成
平成 元年        校舎新築(工費二億八千万) 文科省指定道徳教育研究校 館内政俊郎連絡協議会委嘱道徳教育研究校
平成 2年        山村留学制度発足
平成 3年        運動場排水工事(PTA)
平成 5年        曽家分校改築落成
平成 7年        山村留学生2年一名 6年二名
平成 8年        分校にブランコ設置 校舎に防犯設備設置 県指定教科充実研究校(~9年)平成 9年 山村留学生5年一名
平成10年        校長室ソファー寄贈
平成11年        山村留学生三名(4~6年各一名)
平成12年        文科省指定マルチメディア研究校
平成13年        山村留学生二名(5・6年
平成14年        マルチメディア研究発表会 子ほめフォーラム全国大会
平成16年        地下ピロティー前手洗い場設置 プール注水口十メートル上流へ移動
平成17年 3月22日 市町村合併により日田市立赤石小学校になる 農村スポーツセンターが学校管理となる
平成18年        市委託人権教育研究事業研究校
平成19年        市委託人権教育研究事業研究発表 文部科学省委託学校教材整備構築事業校
平成20年        体育館北側フェンス設置
平成21年        電子黒板塔設置
平成22年        曽家分校閉校      

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