通信、それは昔の「ラジオ少年」の夢だった


初めて「ラジオ」を作ったのは小学校5年生のとき。

その後いわゆる「5球スーパー」づくりに熱中して、ヒマさえあればハンダ鏝片手の毎日、当然のように「通信」の世界に心惹かれて行きました。
いつのまにか「5球スーパー」の回路図を暗記して、いまだに回路定数まで入れて書けるんですよ。わがことながら、子供の記憶力ってすごいと思う。

1・まず、アマチュア無線です    


アマチュア無線に志したのは小学校の終りだったけど、当時は熊本まで試験を受けに行かなくてはならず、小中学生にはとてもとても厚い壁だった。   
勉強もせず道楽に熱中しているという弱味もあったし・・ 
で、実際に免許を取得したのは、この道に志してからなんと18年後のことでした。

JE6IVV


これは、今の私のコールサイン。

思い立ってから永いブランクの後、はれて開局したのは昭和52年、大阪にいたころのことでした。当時のコールサインは「JF3OCD」、千里丘陵の高台にある5階建てのアパート屋上に八木アンテナを上げて、条件のいいときは北海道から沖縄まで、それこそ日本中と話ができました。 

今の自宅のシャックです。

上下に重ねた2台のトランシーバだけです。最近は機械がマルチバンドになって少なくなり、全体に小さくなって迫力が無くなった。

上側は主として145・430メガヘルツ帯用。下側は短波帯から145メガヘルツまで出られるのですが、いまは50メガヘルツ帯SSB専用に使っています。
これは会社のクラブ局「JH6ZTA」のシャック。
公共的クラブ局として非常通信の基幹的役割を担っています。
私は24時間テレビの時などで運用しています

毎年、24時間テレビの記念QSLカードを発行していますので、コールサインをお持ちの方はよろしくどうぞ。

2・そして今はパソコン通信からインターネット


このところアマチュア無線のアクティビテイが下がっている。波を出さないばかりか、電源も入れない日が多くなった。それもやっぱり、無線から有線へ転換しつつあるからだ。連絡するのも、携帯電話とPHSがあるし・・・

どうなる? アマチュア無線。いまのメインは、パソコン通信からインターネットに移ってしまっている。
そもそも・・・ 

左の写真はパケット通信用のTNCと呼ばれる端末装置。(上側のもの)
実はパソコンを買ったのは、パケット通信をやるつもりだったのに、大分ではTNCがなかなか入手できないか高価だったので、たまたま先にモデムを買ったのが「パソコン通信」の始め。
仕事用の情報収集手段のつもりで始めたパソコン通信、すっかりコアラ「居酒屋」の常連として、「利き酒会」オフの会長とか、オフライン・コミニュケーションにけっこうハマっています。

左は「居酒屋利き酒会」の湯布院ツアー特別版第1回のときだったかな。
毎年恒例になってます。
パソコン通信コアラは大分のネットだけど、北海道オーロラネットと結ぶ会議室もある。
その縁で札幌出張の時にオーロラメンバーとミニオフを楽しむことができました。
当時のオーロラ事務局長の鈴木さんにはお世話になった。

写真左手前、さすが酒屋さんらしく、一滴のお酒もムダにしない決意というのはリカーさんです。今はふつうの会社にお勤めとか。

こうして、ふたつの道からここインターネットへ入り込んできたというわけです。



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