2000年九州合唱コンクール沖縄大会

〜2000年9月10日 那覇市・那覇市民会館〜

 一般の部Bで11団体中6位、初の「銀賞」受賞!

 今年、大分中央合唱団は前年の県予選雪辱を果たし、めでたく金賞を受賞して九州合唱コンクール沖縄大会へ出場することになりました。
 ところが、直前になって台風14号・15号・16号が発生し前後して南西諸島を襲うという、まさにトリプルパンチ・・。
 天気予報、台風情報に一喜一憂しながら那覇入りをしましたが、台風14号が沖縄直撃コースに入ったということから、予定を切り上げコンクール終了後は結果も見ずに最終便で全員那覇発。
 おかげで那覇観光はもちろん、おみやげも満足に買えないという騒ぎでしたが、初めての「銀賞」を受賞することができました。でも、だれも残らなかったため、銀賞の表彰状は貰えていない。

 そんなわけで、けっきょくまともなリポートはできない・・・・。

 福岡県に入るころからやや強い雨が降り出し、空港では厚い雲で薄暗い雰囲気。

 使用機到着遅れなどの影響で、出発遅れなども出ており、私たちが乗る予定の全日空那覇行きも、搭乗口が変更になった。これでまた延々とあるかされて、いささか前途不安がつのる。

 手前、これから搭乗する那覇行きの使用機は、いわゆる「ポケモンジェット」で、子供たちには大人気。そのむこうを、いま着陸したばかりの別なポケモンジェットが地上滑走して行く。
 那覇空港からはタクシーに分乗して、久米にある沖縄ワシントンホテルへ。

 ホテルのロビーでチェックイン待ちの合唱団メンバー。さっそくお土産を物色する人たちもいたが、結局これは正しい判断だったということになる。

 翌日予定を切り上げて那覇を発ったため、まともに観光どころかお土産も買えない人もいたからだ。

台風14号接近!

 こうして、とりあえず無事到着した那覇だけど、やはり台風15号は沖縄に接近中で、しかも勢力を強めており最大級のものに成長しながらゆっくりと近づいている。
 11日の午前中は観光の予定だったが、これはまずムリとキャンセルし、10日のうちになるべく帰るようにしないと、ヘタをすると12日も帰れないかも知れない・・・いろいろと頭を悩ませることになってしまった。
 結局、11日はすべてキャンセルして、コンクールのステージが終り次第乗れる便で福岡に戻ることになった。
 この、コンクールのポスターはなんでしょうね。
 これもやはりシーサーなんでしょうか。ちょっと違う気もします。

 シーサーは「魔よけ」なので当然怖い顔をしていますが、それぞれ表情が違うとかで、沖縄のマスコットとして人気があるということです。
 いよいよコンクール会場へ・・・・。

 会場の那覇市民会館はやや古い建物で、全体としては大分市の大分文化会館と同時期のものではないかと思う。建て増しをしているのか、全体の構造がつかみにくく、リハーサル室、更衣室等の位置関係の把握に迷った。

 そして・・・


九州合唱コンクール、銀賞受賞

(上の写真では、私はちょうど指揮者の影になっていて、見えません)



 
 というわけで、ステージでの演奏後は審査の結果も聴くことなく会場をあとにして、全員が2便にわかれて福岡に向かったわけですが、16時の便に乗る組はステージ衣装のままタクシーに飛び乗るというありさま。
 結果的に、数人の残留組を見込んでいたのが全員最終便に乗れたため、なんの心配もなく大分に戻ることができました。途中バスの中で審査結果を聴き、初の銀賞受賞のニュースに拍手がわきました。

 審査員のうち、1位と2位に評価して下さった方がいます。特に、1位に評価してもらったことは嬉しいです。ひとりだけであっても、ウイステリア・コールの上に評価してもらったことは、重要なことだと思います。

 そして、来年もがんばろう。


番外編・沖縄の新聞で気がついたこと・・・・

「死亡広告」がやたら多い、しかも大きい!!


 沖縄の新聞を見ていて妙なことに気がついた。
 1面全部が、なんと死亡広告ばかりで埋め尽くされているのだ。しかも、1件1件の囲みがすごく大きい。

 大分の地元紙の場合、下の方に何件か並んでいる程度で、しかも1件の大きさもこの数分の一だ。

 よく見てみると、たとえば喪主に続いて表記する遺族の数が多い。そして親族代表とか、友人代表とかも何人もいて、とにかくずらずらと人の名前が並んでいるのだ。

 そういう囲みで埋め尽くされている、こんな紙面は初めて見た。
 沖縄の2紙ともそうだった。

なんとなく感心してしまった。

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