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はじめに
朝鮮半島で起こった戦争は、同じ朝鮮民族が国家統一を目的に3年余の永きにわたり戦ったわけであるが、200万人以上の犠牲者を出しながら、共産主義と資本主義と云う思想の違いから、米ソの世界戦略の狭間に置かれ、その悲願を達成することなく現在に至っている。
この戦争は、隣国で起こったにもかかわらずその背景や原因について、日本では理解されていない状況である。
本答申では、戦史としての朝鮮戦争の意義を考察するとともに日本にとって朝鮮戦争は何であったかを論述していきたい。
1 背 景
(1) 日本の降伏と分割占領
太平洋戦争における日本のホツダム宣言受諾無条件降伏は、これまで植民地であった朝鮮半島に軍事的空白を生み出した。日ソ不可侵条約を破棄し、対日戦線に加わったソ連軍が満州から朝鮮に勢力をのばそうとしていたが、米軍には朝鮮半島の全てを占領管理する兵力が不足しており、当時の米国の首脳はソ連と協議し、日本軍武装解除のための米ソ軍管轄区域の境界を38度線として分割占領した。
(2) 大韓民国及び朝鮮民主主義人民共和国の樹立
米・英・ソ三国はヤルタ・ポツダム両会談の決定にしたがって、戦後処理の問題を解決するためモスクワで会議を開き、朝鮮を独立国として再建することを前提として、臨時朝鮮民主政府を設立するために会談をもつとの合意みたが、ソ連の力による共産化政策で東欧諸国に次々と共産主義政権が樹立されたことからアメリカの封じこめ政策が始まり、話し合いによる朝鮮独立問題の解決は難しくなった。
このため、アメリカは朝鮮問題の解決を国連に付託し、国際機関の場での解決を期待した。
一方、南朝鮮では1948年5月、内外の反対を押し切り総選挙を行うと共に同年8月15日大韓民国として独立を宣言した。このような、南朝鮮の動きに対応して北朝鮮こおいても8月25日に最高人民会議の総選挙行い、9月8日憲法を採択して朝鮮民主主義人民共和国の成立を宣言、分裂国家としての道を歩きはじめたのであった.
国連第3回総会は、会期最後の12月12日に至って、ソ連の反対を押し切って、朝鮮問題に関する米・中(台湾)・豪三国共同決議案を48対6で採択した.主な内容は次のとおりであり、
@ 韓国政府を国連臨時朝辞苧員会監視下の自由選挙に基づく、唯一の 合法政府であることを宣言する。
A 米ソ両国に、在野占領軍をできるかぎり早く撤退させるよう勧告する。
これにより、統一朝辞を話合いによって実現する道を最終的に閉ざしたこととなった。
(3) カの不均衡
韓国は、米軍の撤退が国家の安全を脅かすものとして、駐留を要請するが、アメリカは国連の決議に従い、1949年6月29日、約500名の軍事顧問団をのこして撤兵を終了させた。
ソ連は国連決議に先立ち撤兵を開始し、1948年12月30日撤兵を完了したとモスクワ放送は報じている。
北朝鮮ではソ連の援助を得て経済の再建を図ると共に軍事力の整備に努めており、開戦前の総兵力は十個師団13万5千人、戦車150両、火砲1600門、飛行機196機を保有していた。
これに比べ、韓国は、植民地時代に工業力が北に偏っていたことから、経済の再建は遅れ、不安定な社会情勢にあった。また、兵力については、8個師団10万人、火砲91門、装甲車27両、練習機10機と劣勢で、火器の15%、車両の35%が老朽化し、弾薬及び燃料の備蓄は戦時所要量の1〜2日分しか無い状態であった。
韓国大統領李承晩は、再三にわたり軍事援助及び経済援助を要請するが、議会が中国国民政府への援助の失敗にこりて南朝鮮への深入りを警戒し、反対していることや、米国大統領トルーマンが朝群情勢を楽観視していたこと等の理由による援助の遅れから力の不均衡を生じさせたものである。
また、米国防長官アチソンは1950年1月12日の演説で、アメリカの防衛線は、アリューシャン・日本・沖絶・フイリツピンを結ぶラインであると表明し、アメリカの韓国及び台湾放棄を共産側に印象づけた。
北朝鮮の指導者金日成首席は、朝群統一に関し、次の様に情勢を判断、
・ 朝軒の統一は朝辞人が自分たち自身で解決する問題である。
・ 戦争が迅速に展開すれば米軍の介入は避けられるであろう。
ソ連スターリンの支持を得て南進を決意したと言われている.
2 戦争の経過
(1) ソウル(京城)陥落
北朝鮮軍は周到な準備の下、1950年6月25日午前4時、五方面から38度線を突破して南進を開始した。この、作戦計画名をポップン(暴風)と云い、攻撃主力は、次の様に配置されていた。
・ 賓幹半島方面→第6師団第14連隊、第3警備旅団
・ 開城方面→第6師団第13、15連隊及び第1師団、戦車連隊
・ 義政府方面→第3師団、第109戦車連隊
・ 春川方面→第2師団、第7師団及び戦車30両
・ 江陵方面→第5師団及びゲリラ部隊
韓国軍の偵察部隊は北群軍の動きを察知し状況を上層部に報告していたが、軍首脳は事態を楽観視して何らの処置をしていなかったので、ほぼ、完全に近い奇襲攻撃を受けることとなった。
北野部隊の進攻に対し、韓国政府及び軍司令部は的確に事態の把握に努めるものの、虚報、誤報が入り交じりただ前線の状況が危急を告げていることが理解できるのみであった。
攻撃開始3時間後、韓国軍の防御ラインは寸断され組織だった戦闘は行えない状態に至った。
38度線から京城まで直線距離で50km余りであり、2日後には早くも大統領李承晩が京城を脱出、軍も京城の放棄を決定している。
(2) 米軍の介入
北鮮軍進攻の報を受けたトルーマン大統領は、国務、国防首脳会議を開き、韓国支援のため米海空軍の出動を決定するとともに、国連安全保障理事会へ「北朝鮮の行動を【平和の侵犯と侵略行為】であると宣言し、即時停戦と北鮮軍の撤退を呼びかけ、国連加盟各国に【あらゆる援助を提供する】よう」要諦した。このアメリカ提出の決議案はソ連の欠席のまま9対0で決議された.
この時点での米首脳の意向は、次のとおりであった.
・ 北鮮軍の進攻はソ連の承知の下に行われている.
・ この侵略を許せば、共産主義の手はアジア全土におよび、第3次世界大戦を誘発する.
・ 米軍が介入してもソ連軍は出てこない.
・ 戦争拡大は防がなければならない。
・ 地上軍の投入は回避し、海空軍に限定する.
しかし、北鮮軍の進攻は早く、6月28日京域陥落、同30日漢江を突破7月5日水原・烏山防衛線突破し韓国中央部の大田及び大邸こせまる勢いであった。
前線を視察した米極東軍司令官マツカーサーは、直ちに戦況をペンタゴンに報告、地上軍の投入の許可を得ると共に、日本に駐留していた2個師団を朝鮮に派兵、本格的介入に突入していった。
さらに、アメリカは7月7日の国連安全保障理事会で国連軍最高司令官に米軍司令官を当てるように要請、承認され、このポストにマツカーサーが任命された。
(3) 釜山橋頭堡
米地上部隊が戦線に投入されるも、北鮮軍の進攻の速度は衰えず、7月17日に大田が陥落し、韓国軍及び米軍は釜山から海へ追い落とされる寸前の状態に陥った。しかし、北鮮軍の補給線が長く延びたことと、戦線が縮小されたことにより、かろうじて釜山橋頭堡を維持出来る状態となった。
(4) 仁川上陸
釜山橋頭窒が維持出来ると判断したマツカーサーは、増派されつつあった第1海兵旅団及び第2歩兵師団と日本防衛に残してあった第7師団を京城の西20kmの仁川に上陸させ、北鮮軍の後方を遮断し、釜山にある第8軍と上陸軍で挟み撃ちする計画を立てた。
この作戦について、米海軍首脳は、
・ 釜山から240kmも離れた所では兵力の分散となり危険である。
・ 日本の陸上防衝力が皆無になる。
・ 上陸作戦には釜山補給船舶も使用しなれればならず、失敗したときは釜山第8軍も危険になる.
・ 仁川港の地理的、地形的、海象的条件は、上陸作戦に不適当である。
等の理由を上げ反対するがマッカーサーの意思は堅く実行の運びとなる。
9月15日、第10軍司令官アーモンド少将以下7万の将兵は、第1海兵旅団を先頭にして上陸を敢行、北鮮軍を南朝鮮から駆逐し首都京域を奪還、中央政庁に大極旗を掲げた。
(5) 中国軍の参戦
京域を奪還した国連軍は、38度線を越え平城を落とし鴨緑江にせまり朝鮮半島全土を掌握するかに見えたが、林彪司令官率いる中国第4野戦軍12万が密かに鴨緑江を渡り、国連軍の到着を待ち受けていた。
11月1日、中国軍は攻撃を開始し国連軍の行く手を阻み始めるが、マツカーサー司令部は、中国軍の参戦に関し、敵兵力を過少に算定、中国軍の全面介入では無いと判断、さらに北進を命じるとともに、クリスマスには凱旋出来るであろうとのコメントを発表する等、事態を楽観していた。
しかし、中国軍は更に第3野戦軍も投入し、60万人の兵力が十分な備えをし罠に斯かる獲物を静かに待っていた。
11月25日、中国軍は人海戦術を以て総攻撃を開始、国連軍の戦線は寸断され、部隊は壊滅状態に陥り、退却すら困難な状態となった。特に、第1海兵師団の退却は、中国軍が事前に退路を断つため兵を伏せてあり、困難を極め兵力の半分を失う状態で輿南から海に逃れた。
国連軍は退却に退却を重ねるが、中国軍の補給線の延びた37度線付近でようやく戦線を維持出来る状態になり殲滅を免れたものの、首都京城は再び共産側の手に落ちる所となった。
(6) マツカーサー元帥の解任
事態を重く祝たトルーマンは国家非常事態宣言を発表、「朝群その他における事態は世界平和に重大な脅威を与え……世界に放たれた侵略軍の目標は、共産主義的帝国主義による世界支配である」とし、アメリカの「カによる平和」を宣言した。
しかし、これは、直接中国と全面戦争を意図した、マツカーサーの増援要求に答えるものではなく、朝群半島での動乱の拡大とヨーロッパに発生が懸念される戦雲の阻止を期待するものであった。
マッカーサーは、朝軒戦争の勝利の必須条件として、
・ 中国沿岸の封鎖
・ 満州を含む中国本土攻撃(原爆の使用も考慮される)
・ 国府軍の中国大陸反攻
・ 米軍の増派
等を主張するが、トルーマンは、
・ 中ソ友好同盟相互援助条約に基づくソ連軍の介入
・ ヨ】ロツバヘの飛火
・ NATO同盟国の反対
を考慮しマツカーサーの要求を拒否した。
しかし、マツカーサーは国連軍総司令官として、再三に渡り自己の主張を繰り返し、朝鮮からの全面撤退か増援かの二者択一を政府にせまり、その職を解かれることとなった。
後任には、第8軍司令官リツジウェイ中将が任命され、4月16日、20万の市民が星条旗と日の丸の旗をふり見送る中、マツカーサーは、愛機「パターン」号で日本を離れていった。
(7) 休戦会談
部隊の再編を終えた国連軍は、疲れの見えた中朝軍をはね返し首都京城を再び奪還、さらに北進するが 38度線北10kmの鉄原付近で戦線は膠着状態となった。
対峙する兵力は、共産側が中国軍24万8千人、北鮮軍21万1千人の計45万9千人、国連側が米軍25万3千2百人、韓国軍27万3千2百人、その他を含めて計55万4千5百人であった。
北群軍が攻撃を開始してから1年後の6月25日、中国は人民日報の社説で「平和的解決をすすめる用意がある.」と声明、アメリカ側も同意し開城で予備交渉が始まったが、休戦ラインの問題や捕虜の交換についての合意を得ることが出来ず、結局最終的合意を得て休戦協定が調印されたのは、2年後の1953年7月27日午後1時のことであった。
3 戦 訓
(1) カの不均衡は紛争を招く。
金日成が南進を決意した背景には、次のことが上げられが
@ 韓国軍に対しての北野軍の優位
A 韓国国内の経済的、政治的不安定
B アメリカの防衛ラインの後退
C 米軍の介入はない
これを一言で言えば「勝算あり」と判断したことに外ならず、アメリカの首脳が国連の場で韓国成立を支援しながら放置したことや、国連そのものに警察力がなかったことが、朝鮮戦争を生起させたものである。
(2) 敵を知り不断に敵に備えよ.
北鮮軍が南進するにあたり、中国軍及びソ連軍出身者による軍隊の編成と増強に努めており、また休戦ライン近くに兵力の集中を始めた。
この事実を韓国軍及び米軍事顧問団も察知して、極東軍司令部を経由して国防省に報告がなされていたが、その報告には「近い将来」または「本年春または夏」には紛争は起こるまい、という但し書がついていた。
また、鴨禄江に向け北進中に中国軍と遭遇した部隊は、この事実を第8軍司令部に報告しているが、司令部はこの情報を軽んじ偵察を命じていないため、中国軍の罠に落ちることとなる。
これは、的確な情勢判断に基づき、常に敵の可能行動に備えなければならないという、軍事の鉄則を怠ったがためである。
(3) 力の無いところに発言力はない.
大統領李承晩は、休戦協定の締結に反対するが、アメリカの援助がなくては軍事、経済両面でどうすることも出来ない韓国の意見など無視され、大国の意とする休戦協定が締結されてしまった。
現在、日本は経済力を持つことにより、ようやく国際的発言力を増してきたところであるが、昭和30年代は韓国と同じであったろうと想像される。
4 朝好戦争の意義
(1) 日本にとっての意義
ア 再軍備
朝鮮戦争の勃発ともに、アメリカは占領政策を変更、連合国の反対をかわすために名は警察予備隊であったが、実質は軍隊と変わり無い組織を作りだすこととなり、再軍備の第一歩をふみだした。
また、日米安全保障条約を締結するなど戦後日本の国家政策の根幹が定まったのもこの時期であり、朝鮮戦争が日本に及ぼした影響は計り知れないものがある。
イ 経済の復興
朝鮮戦争において米軍は、13億2千数百万ドルにのぼる資材の調達、兵器の修理を日本の企業に発注、いわゆる「朝鮮特需」が発生し瀕死の状態であった日本経済は一気に好転した。
しかも、米軍の規格は厳しく厳格な品質管理を必要としたことから、否応なく技術水準の向上ももたらされ、商品の国際競争力が醸成され、その後の高度生長の基盤ともなった。
(2) 米世界戦略の確定
ベルリン封鎖から米ソの冷戦に入っていたが、中華人民共和国の成立、アジア諸国における暴動に続き朝鮮戦争をむかえるにおよび、これらが、個々の事件ではなく、ソ連クレムリンを源とする世界共産革命の表れであると理解したトルーマンは「カによる平和」を明確に打ち出し今日のアメリカの世界戦略が確定した。
おわりに
朝鮮戦争が起きた原因を突き詰めると我が国の植民地であったことから始まっており、我が国の経済的繁栄の端緒がまた朝鮮戦争にあったとは、なんと皮肉な歴史の巡り合わせであろうか。
今日、日本が経済大国として世界平和及び人類の幸福に貢献がもとめられているが、歴史的背景を正しく理解し真に人類のため役立っ援助等を実施していかなければならないと考える。
また、国防の任にある我々は、子孫に朝鮮戦争の様な悲劇を味合わせることの無いよう、国家防衝体制の確立に努力しなければならないと決意をあらたにするものである.
参考文献
朝鮮戦争 |
文春文庫 |
小島襄 |
朝鮮戦争 |
中公新書 |
神谷不二 |
指揮官 |
文芸春秋 |
小島襄 |
朝鮮の真実 |
至誠堂 |
金三奎 |
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