親の代わりはいない

●大分合同新聞4月26日朝刊の「読者の声」欄に掲載されました●

 虐待は連鎖するといわれている。親からの“教育„を子どもはそのまま受け入れるので、連鎖は当然である。子どもの育て方は、自分が育てられた体験が基準となる。どの程度の体罰までが許されるのかは、体験から判断するしかないのだろう。
 事を複雑にしているのは、子どもは親から体罰を受けても、虐待だと思わないところにある。なぜ、あざができるほどたたかれても苦痛を訴えないのか。それは転んでできたあざと変わりがないからだろう。
 最終的に保護してくれるのは親である。見知らぬ保護者が優しい声を掛けても親の代わりになることはない。これはスポーツでの体罰も同様で、信頼している指導者からの体罰を子どもは虐待と受け止めない。
 現代は他人に干渉しないことが基本で、子育て経験者と子育て世代の交流は少ない。加えて核家族化に伴い、祖父母が自らの経験を踏まえて親の育て方を修正するという機会も失われている。