学校紹介

 野津原東部小学校は、旧野津原町の中心部に位置し、明治7年、旧幕時代のお茶屋跡を校舎となして開校し、平成25年度に開校140周年を迎えた歴史と
伝統を誇る学校です。

 地域の方々の学校をこよなく愛する情熱に支えられ、教職員13名、児童数127名は、楽しく活気があり、地域に開かれた学校を目指して日々、努力しているところです。
 
 本校は、平成の大合併において県都大分市と合併することとなりましたが、周りを蛇行する七瀬川に囲まれ、全面に宇曽山を望む自然豊かな地域でもあります。
 このような地域、大自然と誇りある歴史の中で、それにふさわしい「心豊かでたくましい子ども」の育成を実現するために、野津原東部小学校は、様々な特色ある教育活動を展開しております。

 また、地域の方々と子どもたちの期待に応えるべく、子どもたちがますます生き生きと活動し、安心して過ごせる学校を目指して教職員一同一致団結して前進していきたいと思っております。

大分市野津原町の自然条件

 大分県の中央部に位置しする野津原地区は、東西12,5km・南北7,5kmあり、面積は90,74平方kmで、平坦地は少なく森林面積が全体の77,7%と壮大な自然に恵まれた中山間地帯で、東北から南西方向に細長い形をしています。また、その中心軸に沿って七瀬川が市中心部へと流れています。旧町の南は標高600mクラスの山地で竹田市に隣接し、特に旧大野町との境には標高859mの鎧ケ岳がそびえています。また北部も300m〜400mの山地で、由布市挾間町と庄内町及び竹田市直入町とも隣接しています。
 町内の居住地域及び農地の標高は50m〜550mとその差が大きく気象条件にも大きく影響し、極めて起伏に富んだ地形は、産業振興、生活環境には厳しい条件ですが、水と緑によって形成された優れた自然環境、自然景観に恵まれています。

 律令制では、大分郡稙田郷(旧野津原村)、大野郡大野郷(旧今市村)に属し、平安末期同郷は摂関家領(旧野津原村)、大野郷(旧今市村)となりました。藤原頼長が保元の乱で敗北してから没収された後、院領となり、鎌倉時代後も皇室御領でした。藩政期は肥後領で参勤交代の宿場となり、お茶屋や代官所が設けられ、交通の要所、物資の集散地として反映しました。明治40年4月1日には野津原村と諏訪村が合併し、野津原村となり昭和22年3月、大野町大字沢田の一部(山峰・朝海)を編入しました。今市村では、昭和25年1月1日、大野郡から大分郡に編入し、昭和30年3月31日、野津原村と合併し野津原村となり、その後昭和34年2月1日に町制が施行され、後に野津原大字廻栖野のうち胡麻鶴の塚野の一部が分町し、大分市に編入されました。
 旧野津原町は、平成12年の国勢調査で、人口5,094人、世帯数1,726世帯の町でしたが、平成の大合併(平成17年1月1日)で、旧佐賀関町と共に大分市に合併し、県都大分市の西部に位置することとなりました。

野津原の歴史
学年 合計
1年 12 21
2年 10 19
3年 12 10 22
4年 12 20
5年 16
6年 16 16 32
わかくさ
合計  70  62  132 
児童数
学校の沿革

〔運動場は改修工事前のものです〕

〔平成29年4月1日現在〕

職員室前より宇曽山を望む