見える変異【風魔小太郎】


 奥州と甲斐の継続されている同盟について調べよ。
 不思議そうに、けれど探るように唸った北条の命により、小太郎はなにか変異ないかと奥州伊達政宗の城へと潜入していた。
 建物に変化は見られず、いくつか侵入経路が潰されていたが問題はなく、変わった兵がいるわけでもなく、重鎮の交代も見られない。けれど数日見ていれば、複数甲斐の人間が出入りしていることに小太郎は気が付いた。
 同盟国なのだから、問題はないと言い切るほど日和見ではない。
 明らかに同じ経路で同じような場所へと姿を消し、奥州の伊達政宗以下伊達三傑までもがその場所へと足を運ぶ姿は、よほど大切なものがあるのだろうと推測される回数だった。感情の色はそれぞれだが、嫌々その場所に向かっていないことは明白。
 小太郎は即座に情報を集め、一度その場所に足を運んでみることにした。奥州や甲斐の弱点足りえるものならば、主に報告する事柄だ。

 けれど予想に反してというか、意外なものがその場所にはいた。
 女が一人、深く眠り込んでいる静かな部屋だった。
「……」
 探った情報から、確かに生きている人間の気配はしていた。けれど食事を運んでいる様子はなく、でも着替えは何度か運ばれていたというこの前情報。どう判断するかは難しいところだったが、小太郎の目の前には現実として、見慣れない女が横たわっている。
「……」
 布団は煌びやかで枕の装飾も艶やか、枕元で香っている香も目覚めを爽やかにさせる香木で、飾られている着物は目がくらむようにまぶしくどう見ても姫君が着飾るような、花の刺繍細やかなものばかり。
「……」
 浅い呼吸を繰り返し眠っている女は、小太郎が見つめているその間も気づくことなく眠り続け、穏やかな寝息で安寧を体現していた。
 小太郎の体が、ついと近づく。
 伸ばされた手がその喉元へと触れようとしたとき、女の瞼が揺れる。起きるのかと、即座に小太郎は天井裏へと退避しようとしたが、それより早く女の唇が動いた。
「……こ、た」
 小太郎の足が止まる。今何を言ったのかと、瞼を動かしている女の様子を窺った。けれど、女の瞼は開かない。唇だけがかすかに吐息を漏らし、そしてしっかりと布団の下に収められていた体が動き出す。
「ん……」
 何かを探すように伸ばされた片腕が、布団の外へと伸びて探り出す。小太郎が触れらぬよう距離をとるが、それに気づいているのか居ないのか、女は今度は反対の腕で布団の外を探り出す。
「……ぃ」
 そしてどこか気落ちしたように眉をゆがめ、寝返りを打つと小さく唇を動かしだす。
「……さ、ね。…………つ、」
 小太郎はその唇を読み、音として出てこなかった言葉をも読んだ。

 まさむね、さっきおいた、わたしのにもつ、しらない?

 何のことはない言葉であり、なんの含みもない言葉なのだろう。
 女はその言葉を口にしてほんの数秒後、花がほころぶように笑みを浮かべた。何かを受け取るしぐさをして、それを大事そうに腕に抱え込む。そして片手だけ少し高めに掲げると、何かに触れたようにその動きを止めた。
「………………」
 今度は全て音もなく呟かれた言葉。けれど、やはり小太郎はその唇を読み意味をくんだ。

 ありがとう、いそがしいのに、ごめんね。

 柔らかく微笑むその表情が示すように、ただの感謝と謝罪の言葉。小太郎にとっては、なんの重要性も見出せない女の寝言。なのに、その女が示す名前は小太郎の困惑を引きずり出す。
 政宗と言うからには、奥州筆頭の伊達政宗であろうと予想がつく。いまだに正室はおろか側室すら迎えていない男の、この厳重な警備具合にいわゆる惚れた女子なのだろうと、小太郎は頭に書き取りをする。主に報告することが出来たと、見つけられた異変に気を引き締める。
 けれど、ならば先ほどの最初の寝言はなんだったのだろうかと、いまだに目覚めない女へと小太郎は視線を向けた。
 誰かの裾や腕でも掴んでいるつもりなのか、布団を握り締めている女は、先ほどとはまた違う嬉しそうな笑みを浮かべていた。
「……ろ、せん、ぱ……。これ……、……」
 途切れ途切れの言葉は、小太郎の鼓膜さえわずかにしか震わせなかった。なれど、小太郎の瞼は大きく見開かれた。
 呟いた言葉は他愛のないもの。寝ているものの寝言としては、本当に微笑ましい。

 あの、こたろうせんぱい。これです、すきだってまえいってましたよね?

 ただの偶然であり、断じて風魔小太郎は目の前の女との面識などない。
 寝ていて瞼は閉じられているが、それでも小太郎は一度も見たことがないと断言できた。そう、寝言に出てきた名前はただの偶然だ。きっと、多分、竜の右目辺りの名前と間違えているのだろうと、小太郎は思いなおす。
 なのに寝ているはずの女は、今度は声を出して小さく笑う。楽しそうに、鈴を転がすように笑った。
「こた、せんぱい。こまって、ます、ね」
 くすくすと笑い声の合間に囁かれる言葉は、唇を読むまでもなく小太郎の耳に届く。
 柔らかく体が動き、小太郎の見ている前でゆっくりと仰向けに転がる。掛け布団は音もなくずるりと動き、女の体の上からずり落ちて乱れ、そしてまた口の中で何事か呟くと、表情を消して深い眠りへと落ちていく。
「……」
 じきに健やかな寝息しか聞こえなくなり、そして動きが全くと言っていいほどなくなる。
 しばし小太郎はその寝顔を見つめ、そして部屋の中を捜索してみるがこれと言ったものは見つからなかった。女の名前も、真に伊達政宗が愛する人物なのかも分からない。けれど、関わりのない者をこのような待遇で囲っているわけがない。
 結論をすぐに出すのは危険だと、小太郎はただただ集めた情報を持って帰ろうと踵を返す。先ほどから段々と人の気配が近づいてきていることもあり、小太郎は素早くその場から姿を消した。


「っち! 遅かったか!」
「なんでここまで踏み込まれてんの! 黒脛巾でしょ!」
「つーかここの持ち場、今の時間誰が担当だ! マジギレすんぞ、ごらぁ!」
「何言ってんのかはわかんないけど、とにかく職務怠慢なのは俺様にも分かった! ちょっと竜の旦那ー!?」
 の拾い主と佐助が足を踏み入れたときには、すでに侵入者の影形も消え去っており、部屋に転がっているのは相変わらず部屋や贈り物に似つかわしくないほど、ものすごく寝乱れているが一人。
 がるがると吼えるように叫びあっていた忍び二人は、ふとが至極幸福そうに微笑んでいる寝顔に気づく。ささやかな幸せを噛み締めているようなその笑顔に、何の夢を見ているのだろうと忍二人も思わず小さく笑ってしまう。
「……ま、調べるか」
「俺様給金割り増し希望。旦那に掛け合おっかなぁ」
「絶対無理だな。新作の忍具賭けてやる」
「分かってるから言わないでちょーだい」
 軽口を叩きあいながら、普段よりいくらか慌てた複数の足音を聞いている忍たちの顔に、消えない笑みがひとつ。
 夢の中とはいえ幸せそうなのその表情が、苦痛や恐怖で歪まなくて良かったと、お互い思っていることが何気なく伝わりあう笑みだった。
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