解決法【政宗】
また政宗の知らぬうちにの身体が傷ついた。
以前とは違い、明確に痛みを訴え唸り泣き言をこぼすその姿はいっそ哀れ。
けれど哀れ以外の感情が湧き立ち、己を不甲斐ないと律する前に八つ当たりにも似た感情が煮立ったのは、自身の内にを入れてしまった事実を露呈させた。
すでに政宗自身も自覚はしていたが、これほどしっかりとを内側に入れていたと言う事実には、苦笑せざるを得ない。
「政宗様」
政宗の室内、政宗の目の前で頭を垂れるのは黒脛巾組の一人。
を庇護する役割を担い、眠り続ける今もなにくれと黒脛巾組の代表としてあれこれ動くその男を、そういえば呼び出していたのだと政宗は視線を向ける。
目の前の男に、自分の部下に嫉妬などは向けない。生まれない。
例え一度はむかう素振りをした部下とは言え、その理由は明確すぎて仕方がないと今なら言える。
口実だとは言え、「不審者でも部下を救った恩人に礼を言う」と言って呼び出したに、危害を加えようとしたのは政宗たちのほうだ。最終的には、殺す一歩手前まで危害を加えた。
今考えれば政宗を良く理解していたのか、それともを理解していたのか、黒脛巾組の男達は政宗がの首を絞めてもとめる素振りを見せなかった。なのに、いまだは生きている。黒脛巾組は政宗から伊達から離反していない。
出来た忍び達だと、選んだのは政宗というのに嘆息すらこぼれる。
目の前で身じろぎもせず政宗の指令を待つその姿に、政宗は自分の髪を片手で掻き乱す。
「……」
その出来た忍びの一人に、自分は阿呆な命を下そうとしている。
分かってはいるが、理解していても恥だと分かっていても、どうにも落ち着かない心中が阿呆な命を口にしようとしてしまう。呆れた餓鬼だと、政宗自身理解している命。
男は静かに頭を垂れたまま、政宗の戸惑いすら感じたまま命を待つ。
「……くだらねぇ命だ。嫌なら忘れろ」
そうは言っても、政宗の部下である限り命は絶対。
これはよほどためらう命なのだろうと、男も心得てさらに深く頭を下げた。
政宗の視線は部下へと向けられず、よそを向いたままその口が動く。
「猿飛の奴を牽制しろ。俺からの牽制っつー事が分かるように、むしろ俺が直接牽制してると錯覚させるくらいにだ」
「政宗様?」
「猿に、お前が奥州筆頭伊達政宗かと錯覚させるくらいには、ぎっちり牽制しとけ」
「……御意」
男が顔を上げ名を呼んでも、政宗は一瞥すらせずに命を下す。
けれどその口調は確かで、男はその心中を想像することすらせずに頭を下げなおした。
政宗は視線を向けぬまま、小十郎を呼んで来いと別の命を下すとごろりとその場に横になる。
音もなく部下が消え、まもなく小十郎が室に現れた後に話し合われたのは、の床擦れのこと、小十郎の姉である喜多にの存在を明かすこと、喜多にの世話をあらかた任せるということ。
佐助相手には牽制したくなるほどだというのに、喜多だと逆に安心する己の未熟さに、政宗は一人静かに落ち込んでいた。
そしての室まで移動し、その寝顔を見ていまだ痛がるその姿に胸を掻き毟られる。すでに黒脛巾組が応急処置を施し、喜多が了承するならきちんとした手当てが行われるというのに、政宗は不安で仕方がない。けれどその理由が分からない。
小十郎に促され、の隣室へと移動し、喜多と話をつけ、その後姿を見送る。不安で心細く、その原因が分からずに畳に突っ伏す政宗を、小十郎が促し自室へと戻る。
一連のなんでもない行動すべてが、政宗の不安を掻きたてた。
執務に精を出しているその最中も、時折よぎるのはの姿。
『まさむね』
呼ぶ声は優しい。
『まさむねっ!』
怒りに満ちた声となっても、根底にある愛情の存在は明白で。
『……まさ?』
不思議そうに呼ばれる己の名だろうそれが、の口からこぼれるたびに認識する。
の呼ぶ『まさむね』は己ではない。
の弟は政宗ではない。
の家族に、奥州筆頭伊達政宗はいない。
理解している。彼女の弟は自由で、民を背負わず、姉であるに心配ばかりをかける若者で。
現在筆をとり、政に頭を悩ます政宗とは立場が違いすぎる。
「……」
それなのに、は政宗を抱きしめる。姉上と呼べば応え、触れてくる手は柔らかい。
姉であるを呼び捨てたり、気軽に呼んでいるのだろう『まさむね』とのやり取りを垣間見るたびに、姉上と呼んで反応するの存在が不思議だと改めて思うものの、寝言で聞く『姉ちゃん』や『姉貴』などという呼び方は政宗には出来ない。
垣間見えるのは、身分すらないような穏やかな世界。
姉兄弟といった者達が同じ屋根の下で暮らし、父が一人いれば母は一人しかいない世界。
聞こえるのは近隣諸国の武将達の名だというのに、垣間見える言葉達は穏やかで鼻で笑ってしまうほどくだらない争いばかり。……そこに『まさむね』も混じっているというのは、いかがなものかとさすがの政宗でも思う。
けれど、その『まさむね』が羨ましいと思うのは、隠しきれない事実。
他国の武将達と馴れ合いたいわけじゃない。
今更両親を恋しがる子供でもない。
元服もとうに過ぎた男が、『まさむね』のような立場を羨ましがるなど、滑稽だ。
「……」
筆が墨を含んで紙の上を滑る。
今、政宗が向かい合っているのはただの紙ではなく、奥州であり民であり守るべき国である。
本来ならば訴えに応えるだけの想いをもって、ひとつひとつの執務をこなさねばならないのだと、頭ではわかっている。
が、分かっている事と実行することには深い深い溝がある。
「……逃げてぇ」
自ら望んでこの地位についたことを、後悔などしていない。後悔などしてたまるものか。
けれど頭は執務に向かおうとするたびにを思い出す。傍に居たい。部下に牽制させるのではなく、本当なら自分自身で牽制して追い払いたい。
とどのつまり、最近まじめに執務をしすぎて限界に達しつつあるらしい。
しかも頭を悩ます問題やら心の問題やら自分の心情と隔たりのある現実やら、その間も容赦なく降り注ぐ外交問題や領地内の小競り合い、城中で狸がわさわさしている問題などもう上げればキリがないことに、政宗は暴れたくてたまらなかった。
本来ならば戦がない分、ちょくちょく顔を見せる幸村とガチンコ勝負でもして発散しているのだが、その幸村も政宗と同じくの状態に心奪われ気もそぞろ、そんな二人がガチンコ勝負などできるはずもない。
「……」
けれど、政宗はもう本当に限界だった。何もかも煮詰まる現状にうんざりだった。半分以上自分のせいだというのはこの際無視して煮詰まっていた。
政宗は言葉もなく立ち上がると、外を見て時間を確認する。
幸村がこの時間居たか居ないか、いるならばどこに居るかを瞬時に判断し、うんざりだとばかりに己の爪をわし掴んだ。
そして駆け出したその足で、鬱々と凹んでいる幸村に斬りかかり、なし崩し的にガチンコ勝負を始めた政宗は、ぼろぼろになるほど力いっぱいの勝負を楽しみ、結局こんこんと小十郎に説教される羽目になる。