変わらない寝顔【佐助】


 はいまだ起きない。
 ゆるりと季節が移行し、風は温かさを消すように冷たさを含み始め、木々が茜色に色付く季節になっても目を覚まさない。
 佐助が奥州に、の元に通うようになっていくつ月をまたいだか。
 佐助は虫干しと称して、いつもとは別の布団と共に縁側に転がされているを横目に、縁側に座り平和そのものな陽気を食む。霞を食べていけるほど悟ってはいないが、自分の安全地帯である甲斐ではないのに、それと近いほど馴染んでしまった奥州の雰囲気は和やかだ。
 腹に薄い掛け布団をかけられ、敷布団の上で先ほどまでが口にしていた寝言を思い起こす。
「ろーりんぐさんだーってなに」
 真に勇ましい掛け声だった。素早く繰り出された足技は空を蹴ったが、は誰かに見事命中させたのか、満足げにその足先を振り払い鼻で笑っていた。勇ましいと言うより、どこかの誰かさんを彷彿とさせる嫌味具合に、本当に血縁者ではないのかと政宗に問いたくなる表情だった。
 言葉に意味があるとかないとかは分からないが、繰り出された脚は魅惑的だった。白く柔らかい肌が目に眩しい。
「ギャラクティカなんとかー!!」
「……なにそれ」
 と、これまた勇ましく上げられた声と共に繰り出された拳は、見事縁側の柱に命中しての動きを止めた。
 じぃ……ん、と音が聞こえそうなほど細かい振動がの表皮を張っていくのを佐助は目撃し、数瞬後にの手が盛大に腫れあがっていくのを幾分か緊張の面持ちで見つめていた。
 が、佐助の緊張とは裏腹に何でもなかったようには眠り続け、腫れてぱんぱんになり握りこむことも出来なくなっている手は放置された。
 まさしく紅葉色。紅葉のような手だとか言うどころではなく、真っ赤。
「大将の指くらい、腫れてない……?」
 恐る恐る問いかけてみるが、無論答える人間は居ない。
 佐助はため息を吐きつつずりずり這って寄り、の片手を取る。ぱんぱんに腫れたそれは、いつも触っている手と同じだとは到底思えないほど、ぱんぱんのぷくぷくの真っ赤でぶにぶにで。
 どう見ても内出血をしているその手に、佐助はもう一度ため息を吐いて素手でその手を握りこんだ。
「……」
 軽くでも触れれば痛みが突き抜けるだろう手の腫れにも、は眉宇をしかめることすらせずにすやすやと穏やかな寝息を立てている。
 先ほど拳を突き出した後に、特に目立った寝言を言っていないことから、場面転換がなされたのか拳の先は見事相手に的中したのか。
 想像するしかない事柄だが、憎らしくなるほど気持ち良さそうに眠り込んでいる。
 片手で腫れたその手を弄りつつ、佐助の人差し指と親指がの人差し指をつまみ、ゆっくりと撫でさする。
「ぷくぷくになっちゃってまぁ」
 大将くらいはなくても、芋虫相当じゃない?
 呆れた声を出しながらも手を握りなおし、今度は手の平全体で腫れ上がった手の甲を撫でさする。
 真っ赤な色に相応しく、体温も熱いくらいに上昇したその手は痛々しいが、撫でている分には熱源代わりにちょうどよい。ふくふくと柔らかいのもこれまた具合が良く、気まぐれにその手を己の頬に触れさせると、じんわりとした心地よい温かさが伝わってきた。
「……」
 なにしてんだろ、俺様と思わないでもない状況だが、実際冷たくなり始めた外気と比べての手は心地よく、佐助はそのままの寝顔に視線を落とした。
「……、…………。…………、……、…………」
 なにやらうにうに唇を動かそうとしているが、佐助の目でもって見ても断片的にしか分からない。

 ……える、しかたが……。けいじくんの……、あずけて……。

 人名らしき言葉に、ひょいと軽い調子で佐助の眉が上がる。さて、誰のことだかと見逃さないように屈み込むが、不意にの首が巡る。背後を振り返ったような仕種に、佐助も思わずの視線を追いかけそうになった。
 柔らかい声が呼ぶ。
「けいじくん」
 ほわりと、だなんて形容したくなる柔らかくほぐれた笑みが、の顔に浮かべられる。
 佐助が掴んでいる手に若干の力が入り、指の腹がするりと触れていた佐助の頬を撫でる。それは痛みなど微塵も感じない優しい手つきで、佐助の頬を滑るように撫でた。
 思わず手を取り落としそうになり、佐助はすぐにの手を掴みなおす。
 けれど寝ているは感じていないのか、佐助の動きなどなんの注意も払わずに唇を動かし笑う。
 今度もかすかな唇の動きが大半だったが、佐助ならば読める程度の微かさだった。

 こら、せんぱいをよびすてにしない。……またとしさんに、いたずらしてきたの?

 血色の良い唇が楽しそうに弧を描き、佐助が掴んでいないほうの手が軽く握りこまれる。振り上げるような素振りをして、柔らかく高い位置でその拳が止まる。

 だから、おこられるの。まったくことしでいくつになったの? ほら、あやまってきな。

 握りこぶしになっていた手がやんわりほどけて、そしてそのまま前に突き出される。ちょうど、誰かの背でも押すように。佐助に触れていた手もならうように離れていこうとしたが、佐助は掴んでいた力を強くして、それを阻む。
 佐助自身その行動に驚いていると、の動きがぴたりと止まる。
 そして、まるで誰かを探しているかのように、片腕を伸ばし背を押すような姿勢のまま、片手を捕らえている佐助の方へと首をめぐらした。
 まっすぐに、の手を掴み自分の頬へと押さえつけている佐助の方へと、眠ったまま閉じた瞼で視線を向けた。
「っ」
 思わず息を呑み呼吸を止めた佐助は、の開かれようとしている唇から視線をそらすことが出来なかった。
 軽く傾げられたその首が、そのまま位置的に軽く布団の上に落ちる。
「……だ、れ、か……」

 だれか、いるの?

 初めての、明確な反応。
 呟かれた言葉は不思議そうで、つむられた瞼の向こうで瞬いている目が見えるよう。
 動きを止めてしまった佐助に気づいたのか、の手に明確な意思を持って力が込められる。何かを確かめるように、触れている佐助の頬を指の腹で手の平でしっかりと触れて、開かぬ目はじっと佐助を見つめていた。
 ぶるりと慄いた佐助の体は、言葉を発することを忘れてその動きを皮膚で空気で全身で読み取ろうとしていた。その意図は何かと。
 けれど、佐助が分かるのはたった一つの事実だけ。
 の意思で、が、佐助に、触れている。
 その事実を飲み込もうとしても突然の事態に飲み込めず、の唇の動きに見入る。
「さ、……っちゃん……?」

 さすけ、……さっちゃん……?

 なぜ分かる。なぜ俺の名前が佐助だと分かる。
 得体の知れないなにかに触れられている気がして、でも硬直した体は掴んでいるの手を離そうとしない。とっさにクナイを取り出そうとして、けれどその前にの表情が変化する。
 ゆっくりと背後を振り返る動作をして、佐助に触れている手から力が抜けていく。
 先ほどまで恐ろしいものと感じていたのに、それがひどく惜しく感じて佐助はその感情の変化にも恐怖を感じた。
 なんだ、なんだ、なにが起こった?
 けれど佐助が何かを掴む前に、は呆れたような諦めたようなため息を吐き出し、どこか困ったように笑みを浮かべた。
 佐助ではなく、別の誰かに向かって。
「…………、………………」
 佐助でも読み取れない唇の動き。動きがほとんど無いそれに、佐助の目でも言葉がとらえられない。
 なのに、は笑う。佐助の方をもう見ようともせずに笑い、そして佐助に触れているほうの手は完全にだらりと垂れるほど力を失う。

 だから、きのせいだったみたい。
 さぁさぁ、とりあえずとしさんのところにいこう。

 唇が紡ぐ言葉は、すでに先へと進んでいる。
 浮かべられている笑みは、いつも佐助たちが見ているもので、それは幸せそうで平凡な毎日を謳歌しているそれで、羨ましくも未来がこうならば安堵してしまう笑みで。
「……」
 なのに、今も温かく腫れてぷくぷくとしているその手の平は、佐助の存在に気づいたくせに気のせいなどと言う。
 起きるかと多少の期待もしたのに、佐助に気づいたその感覚に一瞬でも恐怖を覚えさせたというのに、気のせいだと言う。
「……はぁ。ちょっと、いい加減覗いてないで薬。それともあんたが手当てする?」
 少しばかり自分の内にこもろうとしたのだが、佐助はいい加減見つめてくる視線が鬱陶しくなって篭るのを止めた。
 ぐるりと首を巡らせば、気づいてたのかよとどこか詰まらなさそうに呟く黒脛巾が一人。自称の飼い主の男。
「なに? 俺様が気づかないとでも?」
 いつものように皮肉って笑えば、男はどこか悩むように首を傾げて笑う。その眉が寄ったことに佐助も気づき、どしたのと気安くそれを指摘する。
「あー……、いや、起きなかったなと思ってよ」
「ああ、そうね。残念」
 なんだそんなこと、と当たり前のように佐助が返せば、男は逆に不思議そうに首をかしげた。
「なに」
「いや。……実は起きるだなんて、端から思ってないとか?」
 言われた言葉の意味が分からず、佐助は一瞬口を閉じる。先ほどまで起きるかどうか息を呑んでいた自分を思い出し、それはないと首を横に振るが、男はどこか信じていない風に笑う。
「なら、なんでそんな反応なんだよ」
「忍びに感情があっちゃだめでしょー?」
 おどけて言えば、男も笑う。
「うわ、俺たちには今更」
「だよねー」
 笑って、笑って、笑って。
 受け取った薬を開けての手に塗りたくり、佐助は先ほどまで考えていたことを放棄した。




 慶次くんがそんなだから、いつまで経っても利さん心配するんだよ。
 あれは昔からだと思うけどなぁ。そんなもんかい?
 ……昔から慶次くんは心配を掛けっぱなしと? 自己申告しちゃう?
 …………あはははは!
 笑ってごまかすなー!

「ご機嫌だねぇ」
 楽しそうにくすくすと笑うは幼子のような、けれどどこか穏やかな空気と年相応の柔らかさをまとっていて、佐助はどこか力の無い笑みを浮かべながら、ぽつりとこぼした。
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