報告を受けたその日【武田】


 先日まで、佐助は奥州に赴いていた。奥州から無謀にも逃亡した罪人を届ける任務だったが、それとは別になにかを見つけたようで、信玄も幸村も深く聞きはしなかったが気に掛かっていた。
 すぐに奥州へと送るような事はなかったが、それでも佐助が思うように動けと告げ、そしてその言葉を受けた佐助はしばしば幸村や信玄の前から姿を消し、どことなく不可解そうに首を傾げるのみで、まだ報告は出来ないとだけ口にしていた。
 けれど、ようやく口を開いた佐助の言葉は、幸村はもとより信玄も予想をしていなかった方面の話だった。
「竜の旦那にちょっくら忠告しなきゃならなくなったから、行ってきますよ」
「佐助、忠告とは物騒じゃな」
「ま、余計なお節介かと思いましたけどね」
 信玄が面白そうに目を細めて佐助を見るが、佐助は軽く肩をすくめて幸村と信玄を見る。
 一呼吸置いた後、どこか自分自身に呆れたように天井を見上げて、言葉を放り投げた。
「旦那って言うより、黒脛巾なんですけどね。女一人隠してるみたいで」
「な」
 にょしょう、とな。
 小さくつぶやき絶句した幸村に、佐助はいつもの言葉が出てくるかと思ったが、信玄は笑って幸村の名前を呼んだ。
「はい」
 絶句した顔のまま即座に返答する幸村に、信玄はもう一度笑ってその顔を見た。
「佐助の話によると、黒脛巾は指示を受けて隠しているようには聞こえなかったが、どう見る」
 瞬時に引き締まった幸村の顔に、佐助は信玄の顔を見る。さすが大将だと軽く目を見張り、そして自分の主の表情に次の言葉を待った。
 幸村は思案し言葉を探していたが、報告をした佐助へと視線を向ける。頭を垂れずに、佐助は主の視線をしっかりと受け止めた。幸村の口が動く。
「某が佐助を、真田忍軍を信頼すると同じように、政宗殿は黒脛巾を信頼していよう。同盟国の腹を探るような真似はしたくはないが、政宗殿には一言お伝えしたほうが良いと、某は思う」
「はっ」
 頭を垂れた佐助に、幸村は数瞬口ごもり、垂れた佐助の後頭部を見ながら続けた。
 どこか釈然とせず、納得していない顔ながらも、幸村の表情は佐助を政宗を奥州を案じて頷く。
「問題なく済むのなら、それに越したことはない。極力、相手を刺激せぬように頼む、佐助」
「はいはい。……っと、頷きたいところなんですけどね」
「ん? どうした」
 言葉を濁して主を見る佐助に、信玄が穏やかに問いかける。
 ここで頭ごなしに頷けといわれたほうが、幾分か気が楽なのになぁと思いながら、佐助は先日自分がした行動を報告した。
「すでに刺激しちゃったあとなんですよ。女は怯えちゃったみたいで、向こうさんも警戒心があからさまになっちゃいまして」
「……佐助ぇ」
「旦那、ごめん」
 情けなくうなだれる幸村の姿に、佐助も苦笑して頭を下げる。
 信玄はただ面白そうに片頬を上げて、無茶をするのうと佐助を見つめた。


 そして幸村と信玄が佐助を送り返して後、数日も経たぬうちに送られてきた報告書に首をかしげる。
「どうみる、幸村」
「はっ。……某には、とんと検討がつきませぬ」
「うむ」
 二人が頭をつき合わせて考えたが、報告されたこと以上のことは推測が出来なかった。
 佐助の報告は急ぎ送ったことにより、簡潔なもの。
「女、眠り深く異なる世界の生き物だと主張。調査続行。……わからんのう」
 信玄は低く唸ると、横で首をかしげている幸村へと視線を移し、持っていた報告書を差し出した。反射的に受け取った幸村が、今度は信玄を見て不思議そうに瞬きをする。
「お館様?」
「うむ、やはり直接佐助から報告を聞くしかあるまい。幸村、行ってまいれ」
「奥州に、でございますか」
「なんじゃ、不服か」
 どこか呆然とした幸村の呟きに、信玄は笑って返す。
 幸村が奥州と言って思い出すのは、やはり筆頭である伊達政宗だろうと予測し、けれど幸村が向かう目的は「報告の詳細を聞くこと」のみ。久方ぶりに相対する伊達政宗に、やはり思うところがあるのだろうと微笑ましく信玄は笑う。
 しばし呆然としていた幸村は、それでもすぐに正気を取り戻し、いつものように快活に笑う。
 はっきりと左右に振られた頭は、幾分かしっかりとしていた。
「そのような事はありませぬ。真田源二郎幸村、お役目果たしてみせましょうぞ!」
「うむ! その心意気じゃ、幸村ぁぁああ!」
「お館様ああああぁぁああああ!!」
 いつものように殴り合いが始まったのを、館の者達は一様に耳にしていた。

「あ、嫌な予感」
 の眠っている寝所にて、顔を見に来た佐助の目の前で今度は豪快に掛け布団を蹴り上げたに、呆れながらも布団をかけなおしていた佐助は、小さく背筋を震わせた。
「はぁ、俺様の仕事増えてないといいんだけど」
 無理だよなぁ、と小さく呟きながらも寝ながら嫌だ嫌だとぐずり、布団を何度も蹴ってくるをなだめようと、布団の上から何度もとんとんと片手であやす。そんなことをしながら、佐助は先ほどの豪快な蹴りを見て、まるでどこか人一人が飛んだような光景だったなぁと感心する。
 掛け布団だとこの目が認識しなければ、あの動きはまさしく人一人を蹴っ飛ばし、吹っ飛ばしたとしか思えなかっただろう。そりゃぁもう、なんの躊躇いもなく繰り出された蹴りだった。女が繰り出す蹴りじゃないなと思う以前に、まずなんで寝た体勢からそこまで綺麗に蹴りを繰り出せるのか、そこが疑問だ。
 佐助はあやしていた手にすがり付いてきたの腕を、ぺいっと放り出すように外しながら、いまだにぐずるを見た。
「う、……が、いじわる……。わるいの、…………とちかで、……おたから」
「今度は誰が出てるんだろーね」
 寝言だからかそんな話し方をしているのか、蹴りとは正反対にはっきりとしない口調でぐずぐずと言っているは、もう一度とばかりに佐助へと手を伸ばしてくる。佐助は軽くそれを避けたが、ますますの眉間に皺が寄る。
「……」
 ちょっと面白いなーとか思ってしまった佐助は、その後、伸びてくる手をことごとく避けた。の寝ているはずなのに見えているかのように伸びてくる手を、やはり軽く避ける。時折泣き出しそうに唇を強く噛んでいるのを見たが、それはすぐに見えなくなる。ただただ無心に手を伸ばしてくる。
「……くそっ」
「女の子がそんな言葉遣いしちゃだめでしょーが」
 口をひん曲げて悔しがり、ごろごろと布団の上から転がり出たは、当たり前のように部屋の隅で丸くなる。小さく小さく丸くなる。部屋の角に頭を当てて、小さく小さく脚も腕も折り畳んで小さくなる。
 まるですねた子供のような態度だけれど、体躯は一応成人女性。
「ええ……っと」
 乱れた着物の裾から覗く二の腕やら太ももに、やはり少々の罪悪感を覚えた佐助は視線をそらす。が、そらしていたら布団に戻らないことに気づき、面倒くさいと思いながらもの傍に寄る。佐助の気配に気づいたのか、嫌々と首を横に振る駄々っ子っぷりに、さすがに佐助も笑ってしまう。
「はいはい、駄々こねないの」
「……と、ちかが、わるい……!」
「もとちか? なに、もしかしてどっかの鬼の名前?」
 佐助は以前偵察に行った瀬戸内の、四国の海賊であり鬼と名乗る武将を思い浮かべた。「おたから」が大好きな鬼の旦那がそんな名前だったよなぁと、佐助が何の気なしに回想していると、寝ているの雰囲気が変わる。どこか不敵な笑みを浮かべ、ごろりと仰向けに転がりそのままもう四半回転。そして佐助の正面に体を向けると、楽しそうに大きく口を開けて叫ぶ。
「も・と・ち・か! あにきー!! ……あにき、ぐれいとだぜ」
「……」
 え、これなんの冗談かな。俺様耳まで悪くなっちゃったとか?
 佐助は取り合えず自分の耳をほじって感覚を確かめるが、外の音も良好に聞こえ、試しに部下へと連絡を取ってみれば、いつもと相違なく返ってくる音が聞き取れた。
 なんでもないと部下に合図を返し、そしてもう一度目の前のを見る。どこか満足げににんまりと上げられた両の口の端、けれど気のせいだと言うにははっきり叫び声を聴いた記憶は鮮明で、これはどう判断すればよいのだと佐助は少し途方にくれる。
「な、今こいつ叫んだか」
 けれどひょいっと軽く音も立てずに降りてきた黒脛巾の男に、佐助はあー幻聴じゃなかったと、がっくりと肩を落とす。
 あんまりこの部屋に近づくなと言われても、実はこっそり何度も来ているを拾った忍びは、佐助の様子に首をかしげながら再度口を開く。
「もとちかってあれか? もしかしてこいつ、西海の鬼の名前とか呟いてたクチ?」
「あー……、ただの偶然と思いたいけどねぇ」
「あー……」
 軽口を叩いた男に佐助が脱力して答えると、男も一緒になって脱力する。そして遠くを見る。
「……」
「……」
 二人して遠くを見つめていると、男がポツリと漏らした。
「あの掛け声に意味なんてねぇーよな?」
「……」
 佐助は「いやぁ、何度かあの掛け声でやっこさんたちが気合入れてんの、見たことあるよ」というべきかどうか、男の横顔を見つつ深い深いため息を吐き出した。
「旦那、俺様早く甲斐に帰りたい……」
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