竜の屋敷で初日【佐助】
さて、んじゃまどうしたもんかね。
佐助は自分の頭をひと掻きしてから、音もなく手近な木の枝へと着地する。夜の闇の中、寝静まっている同盟国の城を見上げ、そして随分前から怪しんでいた存在が寝ているはずの室へと視線を移した。
大体、忍びが長ぐるみで見知らぬ女を隠していたことが、根本的におかしいのだ。
佐助は以前気配を感じたときのことを思い出す。長も男も誰も彼もが、その女を害がないもの、もしくはいないものとして振舞っていた。佐助がつついても流されたそれは、最初自分自身の勘が鈍ったのかと思うほど自然で、まさかその屋敷にいる忍び全員全員が佐助を騙しているだなんて、思いもよらない事態だった。
けれど実際女は確かに存在しており、隠されており、秘されており、佐助の勘は鈍っていなかった。更に言ってしまえば、その忍びたちは自分の主たちですら欺いていたのだ。報告を怠り、さらには隠匿したのだ。佐助が主ならば、どれほどの罰を与えればよいのかすら分からない大罪ではないだろうか。
「んー……。ま、すぐ起きたりしてね」
佐助の目の前で、佐助に気づいているのか居ないのか、むしろもう気にも留めていないのか。小十郎や政宗がの室を出入りし、そう短くない時間を過ごしていた。大きな物音は立たなかったが、いくつか先ほど聞いたような寝言を言ったような音を佐助は耳にしていたし、それに対して小十郎が呆れ、政宗が笑っているのも知っていた。
二人とも、入室したときとはまた違った表情をそれぞれ浮かべて、どこか納得したような雰囲気で室を出ていた。
尋問が始まったわけではない。女から何か聞き出せたわけではない。
なのにその表情はどういうわけかと、佐助は忍びの男を思い出しながら首をかしげる。
「あの子の何が、そう思わせるんだろうねぇ」
特に何の変哲もない娘。それこそ、間者やなんだというのがお門違いだと感じるほどだ。
けれど、刀を三本も指の間に挟んで攻撃できる政宗の握力で、首を絞められても苦しがったり咳き込むような様子を見せないのは、著しく一般人離れした反応といえる。眠っているからといって、生命の危機に反応しないのはすでに人間ではない。つまり、動物にはありえない反応なのだ。
けれど、数ヶ月共にした男はなんの害意もないのだと断言する。信じろと態度で告げる。
忍びから忍びらしさをとってしまうその存在の、なにが脅威でないというのだろうか。
佐助は時を見計らって、しかいない室に忍び込む。音もなく滑り込み、眠りこけているらしいその姿を視界に入れた。
「……女の子でしょうに」
そして思い切り畳に膝を付いた。綺麗に布団に収まっているかと思えば、思い切り掛け布団を蹴り飛ばしていると、かろうじて引っ掛けられている見覚えのある羽織。政宗が着ていたものだと佐助が記憶を掘り起こしたときには、部屋に充満した匂いの効能を脳内に羅列し終えていた。
「これ出してまでって、竜の旦那は本気だねぇ」
大名達が好んで使うのは、どちらかと言うと眠る前閨で使用するあれやこれやの方が多いのだが、心地よい目覚めを望むための香もないわけではない。そしてそれは、安いわけではない。心地よい目覚めというより、このような香を嗜む人間は起床時間を好きに出来る権力を持っている人間が多いのだ。わざわざこのような香を使わずとも良い。
需要が少なければ供給は減り、職人達が技を磨くためだけに売価を度外視して作れば、売る場合の値は当然上がる。
高級品かと言われればそうでもないと言えるが、本当に使うとしたらなかなか値の張る一品である。
佐助は政宗の本気を見た気がして、これを知った信玄や幸村を想像した。かたや面白がり、かたや破廉恥だと叫びだしそうである。女子が関わっているだけで、それを起こすのだと意気込んでいる政宗は破廉恥に映るだろう。
喉奥で楽しげに笑った佐助は、そうやって自分が思考の海に浸っている間も緊張の素振りなく、昏々と眠り続けるを見つめ続けた。
豪快な女と思えぬ寝姿に、思わず布団をかけなおしてやりたくなる。言うなれば、顔なじみの幼児が目の前に転がっているのと同じ感覚だ。腹は出ていないか、肩は出していないか、寝たままくしゃみなどしていないかと、思わず気になってしまう。
……なんの緊張感もなく、へらりと口をあけてやに下がった笑みを浮かべられていれば、警戒するというほうが馬鹿な気がしてしまい、佐助は取りあえず羽織を取って掛け布団を丁寧にかけ直してみた。やはり多少は寒かったのか、大きく震えたはもぞもぞと掛け布団の中に体を縮めこみ、佐助が気まぐれに布団の上から体をぽんぽんと軽い動作で叩いてやると、安心したようにほっと息を吐いて体の力を抜き去った。むにゃむにゃもごもごとうごめくその唇が、ありがとうと音もなくうごめいたのを確認した佐助は、やっぱり起きてるんじゃないのかと思いつつも、そのまま布団の上から眠りを誘うようにあやし続けた。
「……ったく、なんて報告しようかねぇ」
気まぐれに与えた優しさを、当たり前のような顔して受け取ってしまうその寝顔に、佐助はもう呆れ顔しか浮かべられない。つい数刻前にその寝顔を目にして、堂々と「不細工」などとのたまったことを佐助自身、忘れたわけではないのだが、今は不細工と嘲るより「お馬鹿さん」だと呆れる気持ちのほうが強い。
なに無防備に寝てんの。
なに安心しきって笑ってんの。
なに企んでんの。
なにが目的なの。
なんでそんな寝汚いの。
なんの夢見てんの。
なんで俺たちの名前、口にしたの。
疑問は尽きねど回答者は眠りの中で、まったくもって収穫はなし。
「当たり前か」
いつもより独り言が多いなと自覚しながら、くすくす寝言で笑い出したの顔を覗き込む。
ばかと囁いているその言葉の相手は夢の中の佐助相手らしく、聞いてしまった佐助は一瞬目を瞬かせる。寝ているは気づく素振りもなく、なにやら手を動かしていた。
「……やくそく…………で、だったら……。……から」
先ほどよりうんと聞き取りにくい寝言に、ついつい耳が音の一つ一つを注意深く探ってしまう。いやいや、これは仕事だから好奇心もあるけどさ! などと心の中で言い訳しつつ、佐助は耳をそばだてる。
はどこか仕方なさそうな笑顔から、段々と不機嫌そうに表情が硬くなっていく。寝言はどんどん小さくなっていき、そのうち布団をぺちりとひとつ叩いた。
「ばか」
「……」
これは喧嘩でもしてんのかなと佐助が見つめていると、何かをは腕に抱え込む動作をした。人ではない。小さな手の平程度の巾着のような……。
佐助は注意深く観察し、それを握り締めないようにけれどしっかりと持っているらしい、そんな動きをするを見つめていた。
「なら、あげない。そんなこといわれてまで、あげたくない」
寝言とは思えない、きっぱりとした断言口調。けれど語尾が微妙にぶれている。……激情をこらえるような素振りに、ああ、本当に喧嘩してんだと佐助は納得した。寝返りを打った動作は夢の中の佐助から離れるためか。小さく掠れた声が、痛ましいほど弱々しかった。
「……つくって……こなきゃ、よかっ……!」
「…………なにしてんの、俺様」
ついには泣き始めてしまった寝顔を眺め、佐助は天井を仰いだ。
同じ名前であるというだけながら、こうして泣かれてしまうのはなんとなく罪悪感が湧いてしまう。仕事相手ならば別にどうということもないのだが、こうも無防備に寝ている相手に対して、こうも優しく名前を呼ぶ相手に対して、こうも戦えそうにない相手に対して罪悪感を覚えないほど、佐助は薄情ではなかった。
「死ぬも生きるも仕事のうちだけどさぁ……」
夢の中で悪いことをしたのは、俺様じゃないよ?