ゾルディック的意思疎通を頑張ってる人?
「あら、さんいらっしゃい」
「お久しぶりです、キキョウさん。今日はお時間よろしいですか?」
「ええ、もちろんです。さ、中に入って」
「お邪魔します」
いつものやり取りを交わして、はゾルディック家の中に招かれる。彼女に重さがトンもある門はいらない、私有地を主張する執事見習いもいらない、執事たちもあまり意味がない。
「今日はどこでお店開きをします?」
「今日はそうね、広間でいいかしら」
「畏まりました」
キキョウのゴーグルが音を立てて視線を向けると、は微笑みを浮かべて荷物を振り返る。キキョウの綻んだ口元が嬉しくて、そして膨大な荷物の移動に気合を入れるためだ。
は洋服をゾルディック家に持ち込み、売るのを生業としていた。元々はではなくサテラと言う上司が行っていた仕事だが、サテラが忙しくなってしまい、手が空いているへとお鉢が回ってきた。
サテラはそのとき、が外出することを良く思わず、彼女の出歩きを禁じていた。も自分の言語がサテラの操るものと違うと知り、外に出るのをなんとはなく躊躇していたので問題はなかった。
が、ゾルディック家は肩書きが世間一般としては恐ろしいものだが、サテラにとってはよいお得意様であり、失くしたくない取引先だった。オーダーメイドも度々頼まれ費用は惜しまず、そしてまた普段なら使うことの出来ない素材を指定してくれるのだ。
従業員達は皆ゾルディック家の話題をすると怯えるか、都市伝説だと笑うかだ。
サテラもさすがに一般人をゾルディックに送ることは出来ず、難儀していたがそのとき居候のに白羽の矢が立った。
不思議な不思議な。
ある日天井から落ちてきたと思ったら、不思議な雰囲気を持ってしてサテラの両親達に気に入られ、気がつけば半年もサテラの家に居候をしていた。言語能力はサテラたちとの約束のために発達しがたく、この世界でのコミュニケーション能力は底辺に近かった。
が、サテラは非常事態であるがゆえに、両親いわく「手頃な力を持った」をゾルディック家担当に任命した。もちろんサテラが向かう際に助手として同行させ、あらかじめ下地を作ってゾルディック家の面々に了承をとった上での任命だ。
元々を居候とする際にそばに居た、サテラの両親に最初に任命の話をしたら、彼らは驚いた後にどこか嬉しそうに笑っていた。
「丁度いいわね」
「いい機会だ」
「向こう様のご迷惑にならないように」
一見するとを心配するような口ぶりだったが、違うということをサテラは知っていた。だがそれも違うという雰囲気を掴んでいるだけで、根本は知らない。
サテラはスポンサーである両親の笑顔を背にして、をゾルディック家に馴染ませようと努力した。世間一般的に、やはり暗殺業のお客は怖いと思ったのだ。
が、予想に反してニュースも良く見るはずのは極端に怯えず、ただただ見知らぬ人間に対する怯えだけを見せていた。プロは血の匂いをまとわずに、それこそ音も匂いも消しているものだが、それが功を奏しているわけでもなく、の抵抗は少なかった。
それがサテラにとって不思議ではあったが、仕事に好都合と言うことで気にしないことにした。親戚の少女とを名乗らせ、言語の不自由さを詫びながらいずれこの家の担当になると客人たちに伝える。キキョウたちはに興味を持たない素振りだったが、ふとしたことでイルミが口を出すことになった。
「へぇ、面白いもの持ってるね」
「あ、ありがとござます」
偶然と言うにはおかしいが、がなぜか作業中に転んだ。それをイルミが摘み上げたわけだが、その際にイルミが口にした言葉は意外な展開へと物事を運んでいった。
サテラがゾルディック家を訪れるのは、基本的に月に一度。けれど呼ばれれば週に二度でも毎日でも飛んでいく。それが恒例となっていたが、あれよあれよと言う間に付属指定までされて呼ばれ、を担当にしてもいいからとの前置きで、サテラには願ってもない条件を突きつけられた。
「サテラさん、その子をしばらく預からせてもらえないかしら」
「と、言いますと」
「言葉が不自由とのことですけど、理解力はあるようですし、うちの執事が教育します。そうすれば私共とも接する機会が増えますし、信頼関係も言語能力も向上すると思いますわ。悪い提案ではないと思うのですけど、どうかしら」
サテラはキキョウの言葉にしばし声を失い、ようやく還ってきたときはそのあまりにも都合の良すぎる提案に、キキョウを凝視した。
キキョウはそのサテラの反応を気に止める素振りもなく、どうかしらと返答を急かす。
「あの子を仕事と関係なく、ここに通わせると言うことですか?」
ようやくサテラが搾り出した言葉に、キキョウはころころと笑い出す。
「違います。あの子をこちらで預かる、と言ってますの」
サテラは目眩がしたが、キキョウはそれはそれは楽しそうに言葉を重ねていった。
衣食住に不自由なし、敷地内なら報告ひとつで外出もよし、費用は全てキキョウ持ち、帰りたいというならばすぐにでもサテラの元へ、部屋も個人部屋を完備。
の数少ない趣味の読書だってパソコンだって不自由させない、とまで言い切ったキキョウに、サテラが疑問の声を上げるのも無理のないことだった。
けれどキキョウは笑ってそれを話さず、けれど悪いようにはしないと言うばかり。
最後に折れたのはサテラだった。
その後の展開も早く、二日後にははゾルディック家の敷地内に個室を貰っていた。元々常人より鍛えられた家人たちは、が上手く発音できなくてもなんの問題もない。唇の動きを読めば良いだけで、から他の人間への意思の疎通はサテラたちよりも早かった。
が、やはり本人が他人の意思を受け取る術は下手で、執事達は一日中暇があればに話しかけることを練習の最初とし、家人たちに慣れてきたころからようやく授業形態を取り出した。
基本的な言葉遣いは接客業であるということもあり、一般的な言葉遣いよりも執事達と同じ言葉遣いを主とした。同時に立ち振る舞いやマナーも教え込み、一見すると優しく優しく執事見習いを育てているような風景が、数年の間ゾルディック家で見られていた。
「、今いい?」
「大丈夫ですよ。何か御用ですか?」
「いや、昼食どうするの?」
「イルミさんはどうしました?」
「まだ」
「じゃあ、一緒に食べましょうよ」
けれどゾルディック家に仕えているわけでもなく、雇われているわけでもないは終始客人扱いで、とりわけイルミと共に食事をすることが多く、最初に預かるとごり押ししてきたキキョウとは月に数回食事を共にするだけだった。
その数年では言語能力が大幅に伸び、今やつたなかった事が嘘のように会話が出来ていた。キキョウを前にしての会話にも迷いがなく、受け答えも問題ひとつ見つからなかった。
「では、今回はこのデザインでよろしいですか?」
「色違いも欲しいのだけれど、どの色が映えるかしら」
「こちらのデザインでしたら、小物との兼ね合いもありますし」
数年経ってサテラの元に返されたは、時折訪れるサテラに服飾関係の知識は与えられていたので、つつがなく担当交代となり、今は一人でゾルディック家のドアを叩いている。
「が来てるって聞いたんだけど」
「イルミ。仕事終わったの?」
今やイルミとも気軽に会話が出来るまでに人間関係を育てたは、キキョウの前でもイルミに対する態度を友人のままにする。キキョウもデザイン画から顔を上げ、部屋にはいってきたイルミと対するを見て微笑むばかり。
「うん、今日は簡単な仕事だったしね。まだ掛かる?」
イルミがそういうと、キキョウは扇を閉じてひとつ息をつく。広げられたデザイン画のうちのひとつを手に取り、まるで始めからそうするつもりだったかのように口を動かした。
「今日はこのくらいにして、また明日の朝お願いできるかしら」
暗に泊まっていけという意味を込めて微笑むと、も慣れたもので逆らわずに頷く。それだけでキキョウは満足するので、あっという間に部屋はイルミとの二人だけになってしまった。
イルミはそれを気にすることなく、キキョウが座っていたゴテゴテと飾り立てた一人掛け用の椅子ではなく、二人用のソファーへと腰を下ろす。そのままデザイン画やら生地やらを片付けているを見つめ、その動きをつぶさに見ていた。
「部屋に戻って休まないの?」
イルミを見ずにが言うと、イルミはなんでさと当たり前のように問いかける。
仕事が終わったのに、目の前にがいるのに、なんでさと心の中で付け加えながら。
けれどに心の声を聞く能力はなく、首をかしげてまた口を開く。
「だって、簡単な仕事って言っても疲れてるんじゃない? 休みなよ」
「はおれと一緒にいたくないの?」
「やだ、そんなこと言ってないじゃない」
は拗ねたようなイルミの言葉に吹き出し、生地とデザイン画をそれぞれのかばんに詰めて振り返る。一枚の絵のようにソファーに腰掛けたイルミを目の当たりにすると、何年経っても笑ってしまう。
は笑い声を増してイルミの前に立つと、その顔を覗き込んだ。
「何年も前から、イルミが仕事で遠くに言ってる時以外は、それこそ毎日会ってるじゃない。仕事の後くらい、私の顔も見ずに休みなさいよ」
「の顔見なきゃ、もう落ち着かないんだよ?」
「私もそうよ? でも、体は休ませてあげなさい」
イルミが意を決して言葉を選んで伝えたのに、はなんでもないことのように流す。イルミにとってはいつもの虚脱感が襲ってくるが、今回はそこで怯むような真似はしなかった。
長期戦長期戦とと親睦を深めることを主として来たが、最近のは女性的な丸みを帯びた雰囲気が顕著になってきていた。無意識に帯びているオーラも柔らかく美しく煌いていて、何年も一緒に過ごした今も触れなければ目にすることが出来ない。存在は感じるのに触れないもどかしさは、持ち主と同じだとイルミは思う。
「、ねぇ、こっち」
「ん」
イルミは自分の隣を叩くと、が座るのを待ってその手に触れる。はすぐに握り返してきて、微笑んでくる。
これで恋人同士でないと言うことが、イルミは当事者ながら信じられなかった。
そのまま指を絡め触れ合い、俗に言う恋人繋ぎをしてもは抵抗しない。逆に自分から絡めてくるほどで、嬉しいやら悲しいやらでイルミは複雑な気分になった。
「ねぇ、好きだよ」
「私も好きだよ」
いつもそうなのだ。は簡単に言葉を返してきて、イルミの気分を盛り下げてくれる。
「違った。愛してる」
「愛してる」
目を見つめて言い直しても、同じように目を見て繰り返されるだけ。
その力に気づいて自身に興味を持ったときに、触れ合うことで意思疎通をしていた自分をイルミは後悔した。こんな問題のとき辛抱強く待つのは好きではなく、の意思を率直に伝えてもらうためにとった手段だったが、お陰でスキンシップに慣れすぎてしまい、彼女はイルミへの接触を「通常」の交流と捉えてしまっている。
どこから間違ったかなーとイルミは考えるが、決して最初から間違ったとは考えない。いつもの感性と鈍さの所為だと結論付け、自分が悪いとは決して考えない。
よって、今回も何度目かの告白を気づいてもらえない苛立ちに、ため息をついた。
「おれ、告白してるんだけど。わざと?」
とうとう直球へと言葉を切り替え、の手を強く握る。けれど見詰め合っているはずのは笑い、知ってると呟く。
「私もって言ってるよ。他に何が必要なの?」
「……わかった」
「うん」
そこでイルミは降参し、体の力を抜いての肩に正面から顔をうずめた。も慣れたもので、もう片方の手でイルミの肩を抱きしめる。
「疲れてるの?」
耳元で囁かれる声に、イルミは眠りの体勢に入る。体全体で触れ合うとより一層見えるし伝わるのオーラは、イルミを癒すかのように淡い新緑色に染まり、イルミの体を包み込んでいく。心なしか川のせせらぎと森のざわめきが聞こえてくるような気さえして、イルミの睡眠欲を煽った。
「……かも」
「寝て良いよ。今日は泊まるから」
「ん」
そんなに掛からずイルミは瞼を落とし、眠りの世界へと旅立った。自分よりも大きな体を抱きしめながら、は天井を見上げてため息をつく。
「何度も答えてるんだけどなぁ。……いつまともに聞いてくれるのさ」
好きだよとイルミの耳に囁くと、はもう一度イルミの体を抱きしめなおした。