03.廊下


 女子のきゃあきゃあはしゃぐ声が、廊下の方から聞こえてきた。鉄筋作りの校舎の中で妙に反響して届くその声は、その中身までは分からないもののいやに楽しそうに響いてくる。
「ヨシ、お前聞いちょんのか!」
「聞いちょるよ」
「ならしゃきっとこっち見んか!」
 昨日俺がと帰ったことが気に食わないらしく、覚悟してたとはいえカズの切れそうな睨みと不満の言葉達は気持ちいいもんとは違う。繰り返される言葉は朝練の時にタカから繰り出された「ずるい、うらやましかー!」を言葉を変えて言っているようなもので、俺としても聞き飽きた感がある。
 口に出したらその瞬間、手やら足やら飛んできそうやけん言わんけどな。
「ヨシ、聞いちょ」
「聞いちょんよ、カズはが好きなんやな」
 目を合わせて冷静に確認事項のように聞くと、カズの動きが止まる。目が見開かれてゆっくりと秒単位で首から色が赤く染まっていき、耳が染まり顔が染まり帽子の下の額までが真っ赤に染まると、ぶるぶると唇が震えだしてひゅーひゅーと唇の隙間から息が吐き出されてきた。
「……ヨシ」
「そこまで色で分かるほど、が好きなんやな」
 追い討ちをかけるように微笑めば、耳から帽子の下から湯気でも出そうなくらいカズの身体が跳ねる。
「せ」
「せ?」
 一拍置いて、カズの口が大きく開かれて叫び声が耳を突き刺さらんばかりに放たれる。よく聞くフレーズだった。
「せからしかーーーー!!」
 机を蹴倒し椅子を引っ掛け扉をひしゃげさせるほどの勢いで、カズの姿が目の前から消えてなくなる。廊下からはカズの勢いに驚いたのだろう、女子の悲鳴と男子の驚いた声が聞こえてくる。
「せからしかーーーー!!」
 繰り返すこともないだろうに、自分の前から走り去っても恥ずかしさは消えなかったのか、叫び声第二弾まで聞こえてきた。周りの連中は驚いちょんやろう。
「本当に……なに煽っちょんのやろうなぁ」
 ライバルに気持ちを自覚させち、自分になんの有利なことがあるんか。
 心の中で自分自身を叱り飛ばすが、自分はどうやら昨日より気持ちに余裕があるらしい。昨日のの反応を見て、悪くないと思ったらしい。カズん時と違う反応を見してくれて、赤く染まった顔に自分は好感を持たれていると確信して、余裕らしい。
 我ながら子供っぽい優越感で友人を煽ったらしいことを自覚する。その途端に恥ずかしさがこみ上げてきて、もっと落ち着きを持ちたいなとしみじみ思う。
「城光くんは落ち着いちょって、なんか一人だけ大人みたいやな」
 そうに言われたこともあるんに、実際はこんなに子供っぽい。なんとかして本当の大人にならんと、これではもし上手くいっても失望されるかもしれん。
 気の早い話やし、さらには先の方の話なんに、自分はどこまで考えちょんのか。先の方まで予測するくせはこの場合自重せんといけんなと自戒する。なんで子供の数とか考えちょんのか。いけん。
 頭をガリガリと掻いて気持ちを切り替え、止み始めた外に目をやる。今日は放課後練習ができるかもしれんなと立ち上がってベランダに出て、その振り具合を確認する。
「ああ、これならいけるかもな」
「なにがいけるん?」
 声に先ほどまで考えていた将来像が駆け足で戻ってきて、二階建ての我が家と庭の花壇と子供が三人と赤ん坊が一人との笑顔がこちらに手を振っていた。が口にした呼び声は、あな…。
 最後まで想像上のに言わせず、無理矢理思考を現実に戻して振り返ると、現実でまだ中学のが笑って立っていた。
「なにぼーっとしよるんよ、なに考えてたん?」
 にやにやと楽しそうに笑うに、なんでもないけんと笑って返す。上手く笑えているかは疑問だが、「つまんないの」とが唇を尖らすのを見ると、上手く笑えたらしい。
「気にすんな」
 もう一度笑って頭を撫でると、その唇を元のように笑わせていたので、誤魔化すことには成功したようだ。
「城光くん、なんか昨日から優しいっちゃ」
「そうか?」
 昨日の放課後、傘の下で見たような照れくさそうな笑みを向けられ、ほんの少しどきりとする。自分の気持ちを自覚したからなどと、いきなり告白するわけにも行かなくて、そっとその言葉の矛先を変えてやる。
「傘、結局どうやった」
「母さんも父さんも、諦めよっち」
 気にいっちょったもんやったんやけどなーと、諦めのにじんだ声で空を見上げ、そして戻ってくる視線は仕方ないの色が濃かった。
「カズとタカに弁償させて、同じもん買わせたらいいと思うんやけど」
 言った後で、自分が買ってやるっち言った方が男らしかったかなと後悔したが、はそんなこと思っても見なかったらしい。アホのこのように口をあけていた。
「昨日から、周りの発言に驚いてばっかりや、私…」
 呆然と呟かれた一言に、なんやそれと苦笑すれば帰ってくるのは無言の視線。なんだなんだと見つめ返しても言葉は返っては来ず、「アンラッキーやなくて、ラッキーになっちょったんで」と返ってきたと思ったら意味の分からない言葉だったり、困ってしまう。
「あー、。あのな」
 けれど何か言う前には「無理っ!」と一声上げる。驚いてすぐに言葉が出る。
「なにが」
「あの二人に、弁償せろっち言うこと!」
 元気良く挙手でもしそうな勢いで返された言葉は、いやに可愛い言葉だった。苦悩の表情で額に手を当て、考える人に似たポーズで上体を傾けると、は続けた。
「高山くんはよりいっそう罪悪感かんじそうやし、功刀くんは俺の傘やるとかいいだしそうやし、第一お金貰って好きなの買いに行くとか、申し訳なくてできん!」
 でもどうしよう、気に入っちょった傘やしなぁ。
 申し訳ないといった舌の根も乾かぬうちに悩む発言をしたは、その発言の矛盾にも気づかぬまま苦悩のポーズを続ける。どうしよう、城光くんと言いながらも悩み続けるその姿も可愛く思えてきて、自分も末期だなと苦笑する。
「あー、笑わんでもいいやんか!」
「いや、は可愛いなち思ってな」
 そんな言葉で誤魔化されませんよ! と威勢良く返ってくるが、ほんの少し染まった頬は良く見えた。
「誤魔化されませんよ!」
 繰り返される言葉にも笑みがにじみ、笑わないでよと力強く突っ込まれる。それでまた笑いがこみ上げてきて、いつのまにか堂々巡りになっていく。
「もう、城光くんは笑い上戸なんか」
「そうでもないと思っちょったんやけどな」
「うそつき」
 いーだ、と歯を見せて威嚇した後で本格的に悩みだしたから視線を外すと、廊下に見慣れたものが見えた。
 ひょこひょこと本体を隠してその部分だけ除いているのは、カズの被っているキャップのツバ部分。何度か覗き込もうとしているのか、引っ込んだり姿を現したりと忙しい動きで、文句を言い直しに来たがと話しちょったけん顔をだせんのやなと見当をつける。当のは今だ考える人。

「なん」
 打てば響く返事は昨日から健在のようで、その耳元にこそっと呟いてやる。
「俺も一緒に、弁償せろっち言っちゃろうか」
「ほんとっ!」
 ぱっと顔を上げて嬉しそうに目をキラキラさせる様子に、笑わんように堪えながら「ほんとやけん、安心せろ」と笑顔を見せる。安心したように身体の力を抜いて窓枠に寄りかかるは、嬉しい一言を比較的大きな声で言ってくれた。
「あー、ほんと、城光くんは頼りになるね!」
「お褒めに預かり、光栄やな」
「ほんとで! 城光くんは頼りになる!」
「ありがとう」
 になんの含みもないのは知っちょる。俺としても受け答えの中に含みを持たせちょった訳じゃなか。
 けど、嬉しそうにありがとうと言うからちらりと視線を外すと、廊下から覗くツバ部分がしゃがみ込んでいるのを確認できた。
「素直なはこげな嘘はつかんけんな、光栄やわ」
「褒めてもなんも出らんよ」
 笑うに視線を戻し、ささやかな幸せを味わう。
 昨日から頭の痛いこともあったけど、いいことも続く日やなと実感する。
 あとでカズを呼び寄せて、傘弁償の話でも始めるか。


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