降り積もる白
「寒ぃ、さっさと閉めろ」
「でもまだ全部終わってないよ」
「いいんだよ」
寒さに自分で自分の肩を抱いているジャブラは、言い返してくるに捨て台詞のように強く言いつけた。
眉が寄りひとつ大きなくしゃみをするジャブラに、はため息を吐きながら窓枠から下を見る。窓の外に積もった雪は、が何度もすくい上げて当初よりだいぶ減っていたが、造っていた雪の人形は未完成だ。
「体調管理くらいきちんとしてよ」
軽口を叩いて唇を尖らすと、は不承不承ながら雪をまた階下に捨てる。外は一面の雪景色で、夜の来ない不夜島と言えども明るすぎる。が階下に捨てた雪は、外に降り積もった雪と同化して見えなくなった。
ジャブラは手を叩いて雪を払っているを確認すると、傍に来いと椅子に腰掛けテーブルを叩く。
「私は召使いじゃありません」
片眉を上げて不快感を示すに、ジャブラはほんの少しだけ口の端を上げる。鼻水を啜り上げながらティッシュを取り、盛大にかみながら今度はを手招きした。
「いいから来いよ。いいもんやるから」
「私はカクじゃないんですから、物じゃつられません」
言いながらも気になるのか、腕を組んだまま少しずつジャブラとの距離を詰めてくる。忘れずにしっかりと窓は施錠しているが、どこか口元がむずむずとしているように見える。
ジャブラは部屋の暖房へと伸ばし、温度を上げながら隣の椅子を引いて誘導する。はためらうように椅子とジャブラを交互に見たが、最後には「仕方ないわね」だとか何とか言いながら腰掛けていた。
素直じゃねぇなと内心笑いながらも、ジャブラは一枚の写真を指先で弾いて渡す。
難なく受け取ったは、何か言われる前に素早く写真に目を通した。
しっとりとした暗闇に浮かび上がる、幻想的なまでに美しいネオンと輝く雪景色。不夜島では決して見ることの出来ない夜の光景に、は一瞬言葉を忘れた。写真の美しさと、それ以上にジャブラがなぜこの写真をよこして来たのかが分からず、不思議に思ってジャブラを見る。
ジャブラは不思議そうに無防備に視線を向けてくるの表情を見て、この表情にもだいぶ慣れたと一人ごちる。
出会いが出会いだったからか、それともガキどもの攻防の所為であるか、はたまた自身の特性かは分からないが、一般人ならば当たり前に浮かべる表情を当たり前に浮かべるようなであっても、ジャブラと二人きりで無防備になる瞬間など当初はほとんどなかった。
それなりにくつろぎ、それなりに笑い、それなりに怒って見せたりはするけれども、やはりどこかで警戒の姿勢を崩さないがいた。
それはCP9を志す人間としては及第点を与えられる態度ではあったが、ジャブラとしては段々と不快感を募らせるものでしかなかった。
四人のガキどもが傍にいれば、ジャブラといる時など比べ物にならないほど自然な表情を浮かべ、無防備に動いている。
それが過ごしてきた時間の差異だと分かってはいても、ジャブラとしては不愉快に変わりはなかった。
「……これ、どうしたの?」
けれども今のは、ジャブラを不快にさせるような警戒心など見せない。不思議そうに首をかしげながら、口を開かないジャブラに痺れを切らして話し掛けたりしているほど。
二人きりで部屋にいても緊張などせず、当たり前のようにジャブラに文句を言う。
ジャブラは写真の風景を指差してやりながら、「行こうぜ」と呟いた。
「え?」
心底不思議だと言わんばかりに目を丸くしたは、ジャブラの悪戯小僧のように楽しげな笑顔とぶつかる。そしてジャブラの表情に、瞬きを繰り返した。
家族は似るものだというが、その仕種はどことなく幼かったカクを連想させる。
けれどカクではなくだからこそ、ジャブラはこうして写真を渡した。口元に笑みを浮かべる。
困惑した表情のは、どこか頼りなげに見えて可愛らしいとすら思う。
「ここは夜がこねぇからな。いっぺん雪の降る夜に出かけてみたいだとか言ってただろ? そこなら今の時期そんな風な夜景が楽しめるし、お前が食いたがってたケーキもあるらしいぜ」
ジャブラはもう一度、行こうぜと笑う。
瞬きを繰り返したは、もう一度写真とジャブラを交互に見る。そしてまた、困惑したように眉根を寄せて首をかしげた。
「でも」
ジャブラとしてもの言いたいことは分かっている。もうすぐクリスマスなのだ。
ジャブラはきっちりと施錠された窓に視線を向ける。の部屋の窓からこちらを覗きこんでいるのは、手製の『家族』の雪人形。ブルーノ、カリファ、ルッチ、カクと行儀良く並んでいるその隣には、いまだ歪な形のジャブラだろう雪人形が不恰好に部屋の中を見つめていた。
窓枠に積もっていた雪で作られた、真っ白な雪人形。
本人たちは常に黒をまとっていると言うのに、は毎年楽しそうに雪で人形をこしらえる。
ジャブラの人形が混じりだしたのは、いつからだったか。
「心配するな。出発予定は明後日だし、滞在も二泊か三泊ってところだ。それくらいで遅れる準備はしてねぇだろ?」
「でも、ジャブラ久しぶりの休暇じゃないの?」
言いがたそうに口を開いたに、ジャブラはなんだそんなことかと肩から力を抜く。いつの間に力が入っていたのかと思うが、の心配げな視線に首を横に振ってやる。
「おれが言い出したんだ、遠慮すんな」
「だって」
「おれとじゃ出かけたくねぇっつうなら、諦めてやるよ」
また目を丸くしだすに、ジャブラはここぞとばかりに押し黙った。
こんな言い方をされて断る人間なら、最初から誘ったりしない。
第一、一緒に行きたいと笑って雑誌を眺めていたのはだ。ジャブラはその願いを叶えてやるわけだから、感謝されこそすれ遠慮される言われはない。
「なぁ、もう観念してうんって言っちまえよ」
その言葉に目を丸くしたは、次の瞬間破顔した。
その顔を眩しそうにジャブラは見つめ、荒っぽくの頭を撫で付けた。
「最初からそうやって笑えばいいんだよ」
ゆらゆらと揺れる感覚と、肩に触れられた感覚には慌てて飛び起きた。
「お、やっと目ぇ覚ましたな」
の目に飛び込んできたのは、煌々とした灯りの下で微笑むジャブラ。顔を覗き込むように体をかがめていたジャブラは、飛び起きたとぶつからないように体をそらしていた。両手を挙げて、何もしていないとアピールする。
「……ここ」
「そろそろ時間だからな。良く寝てるとこ悪ぃが、起こしたぜ」
瞼を擦りながら辺りを見回すに、ジャブラは楽しそうに笑い声を上げる。
子供のような無邪気な笑顔でに笑いかけるジャブラは、我慢できないのか体が揺れていた。
「ほら、起きろ」
それをが指摘するより早く、ジャブラはハンガーから下ろしていたのだろうのコートを投げつけてくる。分厚いコートは、二人きりだからと不夜島の外に出てからジャブラがへと贈った物。真っ白なコートは、ジャブラとでデザインは違えど同じ色だった。
いつもは黒なのにとが笑えば、ジャブラも笑顔で言い返してに試着をさせたコート。
「今は任務じゃねえ」
試着室に押し込められたことに反論しようとすると、カーテンの隙間から笑うジャブラの低い声。
薄っすら開いた隙間からジャブラを見ると、試着室を見ないようにあらぬ方向を向いたジャブラが続けて唇を動かした。揺れるヒゲと覗く歯。零れる笑い声には釘付けになった。
「何色になったっていいじゃねぇか」
その通りだと、試着することでは同意を示した。似合うぜと笑うジャブラは満足そうで、二人で店まで着ていたコートをホテルに送ってもらった。
不夜島の外。
夜のある世界。
たったそれだけのことで、ジャブラもも浮かれていた。
昼間は散々あちらこちらを見て回り、夜のあの光景を見るまで時間を潰した。
そして部屋で一休みをしていて、が眠ってしまっていたらしい。
ようやく現状を把握したは、投げつけられたコートに腕を通す。寝ぼけた瞼を擦りながらも、すでにコートを着込んだジャブラに急かされてソファーを降りた。
「ライトアップの瞬間には間に合わねぇが、写真と同じ夜景は見れる。急ぐぞ」
一応二人きり出来て、いい歳した男女二人きりの部屋の中だというのに、ジャブラはまるで子供の様に目を輝かせてを急かす。
口調はいつもどおりに振舞ってはいるものの、その目は何かを期待しているかのように生き生きとしていた。
は浮かれそこなった自分を感じながらも、ジャブラのその様子に笑みをこぼす。
「そう急かさないでよ、すぐ行くから」
手櫛で髪を整え、軽く化粧を直そうと洗面台に向かおうとするが、ジャブラは重ねて急かしてくる。
「顔なんてどうでもいいだろ。変わんねぇって」
「ジャブラ」
男はこれだからと反論しようとすると、扉を開けて半分ホテルの廊下に出ているジャブラは続けて喋っていた。
「化粧崩れてねぇし、お前どっちにしろ綺麗なんだからよ」
ぽかんとあほの様に口を開けたを振り返り、ジャブラは怪訝そうに眉を寄せながらもう一度を急かす。急かしついでに、動きを止めてしまったの腕を無理矢理掴んで廊下へと引きずり出した。
「おら、行くぞ」
そのまま歩き出してしまったジャブラと、歩き始めて数分で正気を取り戻したは並んで歩いていたが、は何度かジャブラを盗み見て一人頷いた。
純情だというジャブラへの認識を変えなければいけない、と頭の中で議論をしていたのだが、ジャブラはそんなに目もくれず今夜の夜景のうんちくを語って聞かせていた。
「……うわぁ、さむっ」
「このくらいで寒ぃとか言うのは、鍛錬不足か? あ?」
「……情緒のない男は嫌われるよ」
わざとらしくをからかうジャブラに、そっぽを向いたはザクザクと降り積もった雪を踏みしめて先を歩く。
ジャブラはが本気で拗ねていないことなど理解しているので、笑いながらその後を追いかける。
雪の降り積もった夜の街を、ライトアップされた光の中で堪能する。
の足跡を、ジャブラの足跡が追いかけていく。
ふと自分達の歩いた道を振り返ったジャブラは、まるで追いかけっこの様に続いている自分達の足跡を見てくすぐったい気持ちに目を細めた。ジャブラと比べれば小さな足跡が、まるで逃げようとするかのように小刻みに雪の上を歩いていく。そして追いかけるように続く自分の足跡は、大股で。
前を向くとジャブラを置いて歩き続けていたが、ライトアップされた街並みに立ち止まって見入っていた。子供の様に口をあけて見ている光景に、ジャブラは胸に温かいものが宿るのを感じた。
「なぁ、」
クリスマスシーズンの人気スポットとは言え、二人が選んで歩いてきたのは人通りの少ない裏通り。そしてすでに店も閉まっている小さな広場。人通りは多い方ではなく、二人以外誰も居ない空間になってしまっていた。
ジャブラの声は降る雪にも遮られずに響き、を振り向かせた。
「なに?」
先ほど拗ねて見せたことなど嘘のように振り返ったは、いまだに薄っすらと唇を開いて夜の光景に見入る。雪の積もる量は同じくらいだろうとジャブラは思うが、やはり夜が暗いかそうでないかの差は大きい。雪がまるで嘘のように幻想的に見える。
「お前」
ジャブラがもう一度口を開くと、が今度はしっかりとジャブラを見つめる。なに? と問いかける代わりに静かに見つめ、写真で見た光景に白いコートを着てしっくりと溶け込んでいた。
邪魔者は誰も居ない。
二人きりの空間。
それなりに雰囲気のある、夜の光景。
ジャブラは何度か言葉を舌に乗せては溶かし、音もなく次の言葉を捜した。
雪はその間も降り続いて、ジャブラとの体を冷やしていく。
声もなく見つめてくるは、そんなジャブラを急かす素振りもせずに微笑みを浮かべた。
「ジャブラ」
優しく、まるで雪の寒さなど忘れたように楽しげに名前を呼んだに、ジャブラは反射的に顔を上げる。鼻の頭と頬を寒さで真っ赤に染めたは、満面の笑みで声を上げた。
「ここに、二人で来れてとっても嬉しい! ありがとう、ジャブラ!」
子供の様に無邪気に、なんの憂いもなく気負いもなく伝えられる気持ち。
ジャブラは面食らって目を丸くし、肩の力を抜いて自分の頭を乱暴に掻いた。
「……ああ、おれもだ」
そう伝えるのが精一杯だとでも言うように、絞り出した声はかすかな音量でに届いた。嬉しそうに目を細めるを見て、ジャブラは歩み寄りながら鍛えられた耳でしか拾えないような音量で囁く。
「お前と二人きりで、ずっとお前を喜ばしてやりてぇよ」
言った瞬間にから目をそらしたジャブラが、の首まで真っ赤な顔を見るまで数秒を要した。
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