形勢逆転
私のことが嫌い? とが切なそうに笑いながら言った。ルッチは即座に否定したい内心を押し殺して、余裕ぶった動きでゆったりと唇を笑みの形にし、小さな笑い声を立てながらソファに背を預けた。
「そうかもしれませんね」
俯いてしまうから視線をもぎ離し、ルッチは窓の外に目をやった。雪の降る今夜はクリスマス。先ほどまでクリスマスパーティーをしていた部屋の中はルッチとの働きにより整頓され、後はもうルッチが帰宅するだけとなっていた。
の部屋はルッチにとって心地良く、ついいつも長居してしまう。
そんなルッチをはいつも笑顔で受け入れ、そして確実に男女の仲とは程遠い時間を過ごす。
今回のクリスマスパーティーもそうだ。
ルッチは笑顔での落ち込んだ空気を無視し、そのまま近くのカップを引き寄せる。が入れてくれた温かいそれを飲み、内心の葛藤を首尾よく飲み下す。
「……ルッチ、今日は泊まる、の」
強張ったの声に、二口目を飲み下していたルッチの口の端が上がる。首尾よく行くものだなと、ルッチがほくそえんでいることを知らないは、視線を向けてこないルッチに焦れて向かいのソファーから立ち上がる。
「わかった、今日は泊まらないってことよね。じゃあ、早く帰らないと、明日も早いんでしょ」
虚勢をはるように姉ぶった言葉を吐き、ルッチに背を向けて無理矢理に笑っているが、ルッチとしては新鮮だった。
いつもなら慌てて立ち上がり、「違いますよ姉さん、すみません」だとか殊勝な言葉を吐くルッチは、今夜はそれを心を鬼にして堪える。不安気にちらとルッチを盗み見てくる姉の様子も、笑顔で首を傾げたりして言葉を発しないようにする。
途端に、は弾かれたように玄関へと走って行ってしまった。
の常にない、音を立ててトタトタ駆けていってしまう足音は、どうにもルッチは慣れない。が背を向けて視界から消えたのをいいことに、少々目を丸くしてしまう。
「……あの場所では、始終足音を消していたのにな」
ウォーターセブンに来てからこっち、は常人の様に足音を立てて生活をしている。まるで年下の生意気な友人の様にルッチに接してくる。けれど恋愛のれの字も匂わせないその態度に、ルッチは慣れない為の違和感と同時に焦燥感を募らせていた。
玄関から戻ってきたは、駆けていったときと同じく足音を立ててルッチの前まで戻ってくると、手に持っていたものを突き出してきた。
「これは?」
ルッチがわざとらしくそれに目をやり、ゆっくりとを見上げると眉がつりあがり焦れた表情の。軽く足を踏み鳴らしながら、はルッチを睨みつけ口を開いた。
「泊まらないんでしょう? なら、さっさとコートを着なさい。まさかカクみたいに窓から帰るわけでもないでしょうに、近くとは言ってもコートを着なきゃ風邪を引く季節よ」
ほら、と指されれたベランダを見ると、見事に積もっている吹雪いている外。これはカクでも吹雪に押し流されそうだとルッチが呟くと、まったくねと苛立たしげなの言葉がついてきた。
「ほら、さっさと着て帰って」
ベランダをまだ見ていようとしたルッチに、は無理矢理コートを押し付けてくる。ルッチが内心の笑いを噛み殺して振り返ると、先ほどよりも眉が振るえ唇が波打ち、イライラと辺りを見回すがいた。
ああ、おれでもこの人の感情を逆撫で出来るのか。
ルッチが妙な感慨に耽っていると、はほんの少しだけルッチを横目で見て、すぐに視線をそらした。そして、どこか期待しているように唇を動かす。
「……この吹雪だから、帰らないつもり?」
妙に上ずっているその声に、自身が気づいているのかいないのか。
ルッチは堪えることをせずに喉を震わし、ほんのり頬を染めたに睨まれる。
「では、帰ります。今日はありがとうございました」
コートを着ながらルッチはソファーから立ち上がり、メンバーから貰ったクリスマスプレゼントの詰まったかばんを持ち上げると、そんなの脇を何食わぬ顔で通り抜けた。驚いて口をぽかんと開けているの顔がなんともおかしく、ルッチがまたもや笑うと慌てても表情を引き締めていた。
「こ、こんな夜だから恋人と会うんでしょ。……ち、遅刻なんじゃないの?」
精一杯の嫌味のつもりか、はルッチの後ろを追いかけるようについてくる。ルッチが極力冷たい視線になるように流し見ると、その目線に驚いたのかはその場で足を止めた。丸くなった目が、まるでカクのようだとルッチは思った。
半身をずらして振り返ったルッチは、そのままかばんを足元に置くとに向かって首をかしげて見せる。心底不思議だといわんばかりに眉を上げ、怪訝そうな表情を作った。
「姉さんには関係のないこと、ですよね?」
ぐっと、の息の詰まった音がする。
ルッチはいよいよ内心で喜ぶと、そのまま向かい合ってに迫る。はルッチが近づいてきていることに気づいていないのか、呆然とルッチを見上げたまま。
「それとも、妬いてるんですか? その会ったこともない、おれの恋人に」
「なっ!」
ルッチの接近に気づき、うろたえ後ろに下がろうとしたはその一言で覚醒し、カッと頬を染めるとルッチを睨みつけて踵を返す。思わぬ反応に、だがルッチは素早く背後からの手首を掴むと、そのままコートを翻して自分の腕の中に引き寄せた。コートがを包み込むように広がりまといつき、驚いて小さく上がるの声を聞いたルッチは、その後頭部に口付けながら笑う。
「いませんよ、そんな人」
「…………え?」
もがいてルッチの腕の中から逃げ出そうとするに、ルッチは顔を見られぬよう首筋に唇を当てながら囁く。
「姉さん以外にいませんよ、こんな日に逢いたい人なんて」
「え……と、その、ルッ……チ?」
「姉さんだけです。……だけだ」
すっぽりと自分のコートの中、腕の中に収まったにルッチは熱っぽく囁く。突然の事態に硬直してついていけていないは、ざらりとした濡れた感触をうなじに感じて、小さく息を漏らした。
「ちょっ、ルッチ冗談は……ッ!」
「冗談で出来ませんよ。本気です」
目を見開いて強引に振り返ってくるに、ルッチは苦笑しながら頬に唇を寄せた。途端、状況を理解したが顔を朱に染める。
「る、るるるるる……!」
「雪の降るクリスマスに、好きな女説いてなにか悪いですか?」
どこかの鈴の様に舌を回しだしたに、ルッチは淡々と語りかける。慌てて首を振ったが、自分の行動の意味に気づいたときはすでに遅く、ルッチはその胸元に顔を埋めていた。
「っ、ルッチ……!!」
とっさにルッチの後頭部を拳で叩くが、それを鬱陶しそうに振り払うルッチ。は困惑しながらも上着の裾から手を入れてくるルッチの手の冷たさに、あわあわと辺りを見回してあることに気づいた。
「……ルッチ、ルッチ、ルッチ!」
「……なんですか」
あからさまに気分を害した、雰囲気を読めといった表情を浮かべていたルッチに、は落ち着き払ってルッチの背後にあるドアを指差す。
面倒くさそうながらも、渋々振り返ったルッチは即座にを抱きしめなおし、渋面になる。
「……ごめんなさい、忘れ物をしただけなの」
「悪いな、ルッチ」
「わはは! ルッチがとうとう襲いおった! うわははは! わし、パウリーに言うてくる!」
ドアからほんの少し覗いていた三対の目は、それぞれ口を開くとまたそれぞれの行動に出る。
カリファはそそくさと部屋に上がり、ブルーノは心底すまなそうにルッチとに頭を下げ、カクは大笑いしながらまた姿を消した。
「……」
「うん、予告なく盛るルッチが悪いね」
余裕を取り戻したは、ルッチの指が手のひらが腹部に触れていることを認識しながらも、くすくすと楽しそうに笑い声を漏らす。どうにもやる気のなくなったルッチは、手を引っ込めながらもに幼子の様に抱きついた。
「こーら、ルッチ?」
「……今夜はいけると思ったんだが、な」
なーにが、今夜は、だ。
ブルーノが部屋の奥でカリファと顔を見合わせて笑うが、やはりかわいそうになって二人とも早々に部屋を後にした。
クリスマスパーティーなんてぶち壊せばよかったとルッチが思っているのを、は知ってか知らずか笑う。
「来年は、パーティー二回必要だね」
「……なぜですか」
「え、だって」
次の瞬間、ルッチは弱りきった犬の様に眉を垂らして、に弱々しくもたれかかった。
「皆でやるパーティーと、ルッチと二人きりでやるパーティーでしょ?」
「まいりました」
楽しそうに笑うに、ルッチは心底脱力した。
back