戯れに手にした、それ
「これで、全部だぞ」
スパンダムは内容量いっぱいの段ボール箱を抱え、息を詰めながら部屋に入った途端、部屋中に溢れる色彩に目をくらませた。よろけるその体を部下が慣れた手順で支え、スパンダムの体重移動を如才なく助けるが、しばらくスパンダムの目は視界に飛び込んできた星を散らし、虹よりも鮮やかな色の洪水に瞬きを繰り返すしか出来なくなっていた。
バチリ、バチリと音が出そうなほどしっかりと瞬きをスパンダムがし始めた頃、はようやく声を上げて扉を振り返る。
「ありがとう、そっちの床に置けそう?」
床に座り込んで作業に没頭していたは、スパンダムを見て不思議そうに辺りを見回し、原因に気づいて部下の男と笑みを浮かべあう。持っていた作りかけの飾りをテーブルに置くと立ち上がり、あちらこちらに広げられているクリスマス用の飾りやプレゼントの山を越え、踏み潰さないようにスパンダムの前へと移動してきた。
スパンダムが落としたのだろう飾りをいくつか、が部下から丁寧に受け取っている間に、ようやくスパンダムの視界が通常状態へと戻ってくる。
バチリ、バチリと瞬きを繰り返すその幼い仕種に、は段ボール箱を抱えているスパンダムの、運んでいる間についたのだろう頬の埃を手のひらで拭っていた。
「そんなに埃被ってた?」
おかしいなと首を傾げながら何度かスパンダムの頬を拭うと、埃は少々の抵抗を見せながらも落ちていく。スパンダムは落ち着いたの行動に、手を振り払いたいと思いつつも振り払えずに突っ立ったまま。部下はそんな二人の様子に、一言断りを入れてからその場から姿を消した。
「スパンダム、もしもし?」
返事のないスパンダムに、は目の前で手を振って見せる。けれどスパンダムはなんだか機嫌が傾いていき、意味もなくの行動を見ないように顔をそらした。
「おーい?」
突然顔をそらされたは、驚くよりもスパンダムと顔を合わせようと顔を近づけてみるが、それも子供が拗ねるような仕種で逸らされてしまう。
段ボール箱を抱えて突っ立ったまま、にとって意味の分からない行動をとるスパンダム。
これはどうしたものだろうと、はスパンダムの横顔を見つめ部屋に視線を飛ばし、スパンダムの抱えてきた段ボール箱の中身に目をつけた。
「箱、そこら辺に置いてて」
段ボール箱からひとつアイテムを抜き取ると、素早く顔に装着してはスパンダムに背を向ける。スパンダムがの反応に物足りなさを覚え、追いかけてくるのを十分に予想しての行動だった。
「おい、」
案の定、スパンダムは足で床に散らばったの飾りを蹴散らし、箱を放り出す勢いで置くとの背後へと詰め寄ってくる。
はそ知らぬふりで元の場所に戻ると、スパンダムを振り返ることなどしないまま、クリスマスの飾り作りを再開する。今までの分、数年分の飾りを取っておいたはいいが壊れているもの、色味が褪せているものは作るというより修繕をする。
スパンダムが運んでくるより前に、やはりいくつかの段ボール箱がの部屋へと運ばれてきていた。その中の一つを手に取り、懐かしさに頬を緩めながらは色褪せていたそれを作り直すことを決定する。
「なぁ」
背後にスパンダムは近づき、立ったまま座り込んだを威圧するかのように上半身を折ってくる。の手元にやや暗い影が落ちてくるが、幸いなことにエニエス・ロビーは夜のない島。しかもは大きく開けて窓の前に陣取っているので、それほど障害になるわけではない。
にとってスパンダムの威圧感は怖くないどころか、癇癪爆発させる前の子供に等しい行動。スパンダムに反応を返すことなく、は目的のカラフルな包装紙を専用の箱の中から手に取った。
「……なぁ」
自信なさ気に肩を指先で突付いてくるが、は払うこともせずに色味の褪せた包装紙を破り取り、新しい包装紙の大きさと並べ比べる。少々古いほうが大きく、はまた専用の箱の中に手を突っ込んだ。
スパンダムは、大人しくのの反応を待とうとしたらしいが、体を揺らして限界を訴えてくる。それは早いだろうとが内心で突っ込んだが、表面上はそ知らぬふりで作業を続けていた。
「、おい」
呼ばれても新しい包装紙へと視線を向け、古い包装紙と大きさを比べる。小さなカクが切りそろえたその古い包装紙は、やはりどこかいびつで美しいなんて言えない裁断痕だけど、はメガネを押し上げながらどこか愛しい気持ちを持って過去を思い起こしていた。
そんなに、スパンダムは焦れる。
「なぁ、、こっち向けよ、なぁ」
肩を突付いていた指がいつの間にか手のひらに変わっても、その手の力が増してきているのにもは気にする素振りを見せなかった。
部屋の中にはクリスマスツリーのミニチュアがあちらこちらに転がり、それを彩る飾りも多種多様に散らばっていて、はその溢れんばかりの思い出の品々と、これから作られる想い出を想像して笑みを浮かべる。
メガネを再度押し上げながら、慣れない息苦しさに口で呼吸をする。
スパンダムはの様子に気づく素振りもなく、イライラと肩を揺らしながらとうとうの肩を掴んで無理矢理振り返らせた。
「返事しろって……!」
「なによ」
声を荒げるスパンダムの言葉尻はかすれ、言いたいことがまだまだあっただろうに即座に声がしぼんでいく。は生真面目な顔を作ってスパンダムを睨みつけ、メガネのフレームを押し上げた。眉間の辺りのフレームを押し上げたり、こめかみ付近のフレームを押し上げたりと忙しなく指を動かし、メガネをかけていることを精一杯スパンダムにアピールした。
スパンダムの反応といえば、の肩を掴んだまま呆然とした表情から徐々に溶けていき、笑っていいのか泣いていいのか怒っていいのか分からないのだろう複雑そうな笑みを浮かべ、半開きのその口が引きつったように困った眉の形を保ったまま、胡散臭き無理矢理作った笑顔になっていった。
震えるもう片方の手が、のメガネのフレームに触れる。
「こ、ここここれはななな、なん……ッ!」
「スパンダムの持ってきてくれた箱にあった、メガネ」
「いや、メガネはメガネだろうけどよ! それにしても、よりによってお前!」
「メガネ」
「メガネはメガネだっつってんだろうが! だから、なんでそれを付けてだよ!」
スパンダムの最もな雄叫びに、ヒゲつきの鼻メガネを真面目に装着していたは、先入観としてある紳士のイメージそのままにウォッホンと拳を作って咳をする。
偽物でビニール製のカールしたヒゲを撫で付け、どこか遠くを見て懐かしがるように持っていたカク手作りの飾りを片手でもてあそび、回想を始める年配の色気を醸し出そうというのか、はそうさな、と前置きの様に呟いた。
「数年前のクリスマスイヴ、スパンダムには内緒だと配られた紳士ヒゲつき鼻メガネ。スパンダムがチキンとシャンメリーを口に含んだ瞬間、皆で一斉に装着し口から鼻から噴出させた、ものの見事な連係プレー……」
恍惚に頬を染めながら、鼻メガネを掛けたままのはうっとりとため息をつく。
一方スパンダムといえば、今まで忘却の彼方へと押しやり突っ込んでいた記憶が俊足ダッシュで駆け戻り、悪夢が脳内で静かに再生ボタンを連打して、過去を上映し始めていた。
未成年もいるからと配られたシャンメリー。それと同時に予め切り分けられたチキンがの手から渡され、食べやすいが子供じゃねぇんだと拗ねた振りをした数年前のスパンダム。
まだまだ体の小さい人間のほうが多く、無邪気にケーキや七面鳥にかぶりついている姿を見ると、のことで嫉妬するのも馬鹿らしいと思える、スパンダムの心さえ解きほぐした穏やかな時間。
それがチキンを口に含み、シャンメリーを飲もうとしたことで一変した、あの悪夢。
噴出した所為で床が汚れ服が汚れ、シャンメリーの炭酸が鼻を逆流したことで止まらない涙。ジュースだと油断していた、すぐに水をと所望し渡されたグラスの中身を煽ってみれば、それは酒で度数を96とするウォッカのスピリタス。
即座にスパンダムが熱を訴え、自分の吐き出した酒とチキンに足を取られて転倒し、大慌てのからバケツの水をぶっ掛けられきちんと大量の水を飲み干すまで、スパンダムは生きた心地がしなかった。しかもその合間にクリスマスケーキに体ごと突っ込み、温かいシチューの鍋を巻き上げ暴れる事もスパンダムの体は忘れてはおらず、クリスマスパーティーの会場は一転して大惨事の修羅場と化した。
本来はただの水を渡すはずだったのを、ルッチとカクがなにやら口論の末スピリタスと入れ替えたらしいと分かっても、スパンダムには報復だとかに躾ろと文句を言うなどとする体力などなく、すでにスパンダムよりも強いルッチとカクに、スパンダム個人として意見する考えは毛頭なかった。
アレは本当にきつかったなぁと、今更白髪が生えそうな過去を回想していたスパンダムは、が鼻メガネをつけたまま、張り付いた胡散臭い笑顔で自分に迫ってきていたことにようやく気づく。
スパンダムは迫り返すどころではなく、嫌な予感に背筋を凍らせた。今の今まで回想していた過去が脳裏で大画面で蘇り、冷や汗が流れる。
「スパンダム」
「……」
「今年はあんな事しないから、安心してね」
それは鼻メガネで鼻からシャンメリーのことを言っているのか、それとも油断させておいてスピリタスを飲ませたことを言っているのか、スパンダムには判断がつかなかった。ただ、いびつに笑みを浮かべるのみ。
「大丈夫大丈夫、あの子達もあれからもっと大人になってるし、あんな事しないわよ」
そのガキ共がおれにいつもガン飛ばしてるの、お前知っているかと鼻メガネのに告げようとするが、スパンダムは大人の余裕と言う言葉を思い出し、どうにかこうにか嚥下する。喉に突っかかりながらもその言葉は胃に落ち、スパンダムは楽しそうに笑うの顔から鼻メガネを取り上げた。
「あ、なにするのよっ」
「だめだだめだ。外すんだ」
「いいじゃない、変なことしないから」
の言葉に、スパンダムは深く深く息を吐き出し、力の抜けた情けない八の字眉で訴えた。
「つけてるだけでおれの胃が痛むんだ。止めてくれ」
両肩をつかまれての発言に、は首を捻って分からないの意を示し、スパンダムの胃痛を強めていった。
「胃が痛むの?」
「ああ、全部鼻メガネの所為だ」
「……そんなもの?」
意味の分かっていないに、スパンダムは力の限りで懇願をした。
「頼む、鼻メガネは勘弁してくれ」
スパンダムの脳裏で、無邪気な子供二人が悪魔な笑顔でスピリタスを差し出していた。
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