幸福な錯覚



「っくし!」
 パウリーがまたくしゃみをした。
 は両手の指を一巡するほどくしゃみをしたパウリーに、ため息とも苦笑ともつかない表情を浮かべ、こっちにおいでよと手招きをする。
 パウリーはその手招きに片眉を上げ、不思議そうにを見るがすぐに意味を理解して破顔した。
「気にすんな。お前はあったまってろ」
 窓も閉めとけよと注意の声を上げ、パウリーはまた作業に戻っていく。
 窓の外は一面銀世界。
 先ほど初日の出を二人で見て、今年もよろしくと室内で頭を下げあったのは一時間前の話。
 さて、ご飯でもとが立ち上がると、パウリーも一緒に立ち上がって外へと出てしまった。
 手伝うでもなく、どこにいくつもりかと声をかけると、鼻の下を擦りながら笑みを浮かべるパウリー。
「お前が用意してる間、雪かきするんだよ」
 だからお前は、部屋で朝飯用意してくれ。
 くしゃみをしながら分厚いジャケットを羽織り、毛糸の帽子を目深に被り、いつものゴーグルを目にかけたパウリーは、仕事用の軍手をつけてリビングから外に出ると、の家の玄関周りを片付けだす。
 パウリーに雪が降る前から言われていたは、忠告を素直に聞いてシャベルや雪かき道具を準備していたが、パウリーが元旦の朝から雪かきを始めるとは思っても見なくて、思わずまじまじとその作業を見守ってしまう。
 二人きりの室内だからと、暖房を入れて半纏を着てお酒を飲んでほろ酔いで。
 そんな中ごろ寝をして、目が覚めたら初日の出。
 正月休みくらいゆっくりすればいいのにと止めても、パウリーは笑顔で雪かき作業を続けてしまう。
「おれがやってやりてぇんだ。なぁ、あったかい汁もんでも作ってくれよ」
 いくら親密な仲になったといっても、二人は世間で言うところの恋人同士。夫婦ではない。
 なのにわざわざ一軒家の雪かきなんてと、は再度パウリーを止めようかと台所に向いた体で外を見る。
 無邪気な顔をして、葉巻も吸わずに一心不乱に雪かきをするパウリー。
 掻いた雪は目の前の水路に落として、また新しい雪の塊をすくい上げる。
 単純な作業な上、寒さはどんどん体に染み込んでいっているだろうに、無邪気な顔で嬉しそうに笑い続けるパウリー。
「……」
 可愛いなと思ってしまうことが止められず、は少しばかりパウリーとこんな関係になったことを後悔した。
 どうせロビンちゃんがこの島に来れば、ルッチたちと一緒になって裏切らなければならない『一般人』のパウリー。何も知らないパウリー。傷つけられても最後まで立ち上がるパウリー。
 告白しようか悩んでいたとき、先のことを考えてルッチに散々止められていたことを、不意には思い出す。
 今まで一緒に年を越してきたのは、ルッチたちやスパンダム。
 離れていた数年は仕方がないとして、がウォーターセブンに来たときには当たり前の様に例年通りの年越しをするつもりだった。もちろん、任務に支障のない範囲で。
 けれどが思っていたよりもパウリーは魅力的で、年上ぶってに説教を繰り返すそのやり取りがとても心地良かった。
 やれ男にべたべたしすぎだ、やれおまっそのスカート丈! だ、ハレンチだお前クソガキ! だ、散々な言われようだったが、パウリーとのスキンシップだと思えばにとって居心地のいい時間でもあった。
「あ、良かったら褒美に熱燗もつけてくれよ。朝の一杯やろうぜ!」
 ゴーグルを上げて額の汗を拭ったパウリーは、まだ外を向いて立っていたに気づくと、片手を振っておねだりをしてくる。
 意識が現実のパウリーに向いたが見つめ返すと、な、頼む! と大声を張り上げて勢い良くを拝みだした。
「……仕方ないなぁ、一杯だけだよ?」
「さすが! 愛してる!」
「はいはい、私もよ」
 真面目な愛の言葉は照れるくせに、ことさら物欲に関しては愛情表現の激しいパウリーに、は苦笑するしかない。
 片手を振って了解の意を示すと、鼻歌を歌いながらパウリーはゴーグルを掛けなおし、雪かき作業を再開する。
 鼻の頭は見事なまでに真っ赤に染まり、隠しきれないパウリーの耳も真っ赤に冷え切っていた。
「っくし!」
 そしてくしゃみの連発が始まるが、パウリーは一向に気にせず雪かきを続行する。
 朝日がパウリーを上から下まで照らし出しているが、元旦早朝の空気に太陽の光は役に立たないらしい。
「パウリー、適当なところで切り上げていいんだからね?」
 台所に戻りながら軽く声をかけると、おーうと元気の良い声が返ってくる。
 けれど声のこもり方から雪かきを止める様子には見えず、は昨日残ったおすましを温めなおすことにした。
 あとは熱燗と、ちょっとしたつまみと。
 夕べどこに置いたかとあちらこちら探し、パウリーが早く室内に戻ってこれるようにあたふたと用意をする。
 いつ終わると知れない恋人関係と知っているけれど、さすがに初めのお正月で職長であるパウリーを寝込ますわけにはいかない。
 は心持ち浮かれながら急いで作業を仕上げていった。


「っくし! ……あー」
 鼻を擦りながらパウリーが室内に目を向けると、あれだけ窓を閉めとけといったのに開けっ放し。しかも気づいていないのか、は急がしそうに台所でくるくると回っている真っ最中。作業に邪魔なのか、防寒着である半纏も脱いでしまっていた。
「ばかだなぁ、あいつ」
 パウリーはしみじみと呟きながら、シャベルの柄に両手を乗せて更に顎を乗せ、ゴーグルを額にまで引き上げると、しばしの姿を見つめてみた。
 生意気な女だけれど、自分を愛してくれている。
 カクやルッチと妙に仲がいいが、それ以上に自分を見つけたら目を輝かせてくれる。
 たまに身のこなしに感心するときもあって、借金取りから逃げているときは一緒に走って気を紛らわせてくれる。
「……まぁ、借金は止めた方がいいよなぁ」
 分かってはいるんだが、どうしてもレースやら酒やらは止められない。たまにまともに返済できる時期もある。
 けれどとずっと一緒に居るなら、借金は止めた方がいいよな。
 パウリーは自分が雪かきをした一軒家の玄関を見る。中古の家だが、の手入れが行き届いているようで古臭さを感じない。たまに業者も使っているといっているし、部屋の中も生活の気配がある程度でそこそこ片付いている。
「パウリー、おすましあっためたよー! 中に戻ってきてー」
「んー」
 返事をしながらシャベルを物置小屋の前に立てかける。
 ゴーグルを頭から外し、寒さで鼻水を堪えている鼻を擦りながら、パウリーは気づいた事実に笑みを漏らす。
 まるでこの家に住む、夫婦のような会話。
「なんか、ほんとになぁ」
「なにー?」
「なんでもねぇ」
 パウリーは笑いながら顔を向けてくるをリビングに押し込み、自分も靴を脱いでリビングへと上がりなおす。
 絨毯の敷かれたリビングには、二人で買ったソファにが前の家から持ってきたこたつ、ストーブの上のやかんの中では熱燗が出来上がり、テーブルの上にはお節とおすましが綺麗に並べられていた。
「雪かきありがとう。ね、食べて食べて」
 笑顔で勧めてくるに、パウリーはその頭を乱暴に撫でて腰を引き寄せると、一緒にこたつへと足を潜り込ませる。
「なに? そんなに寒かった?」
 笑いながら温かい体を摺り寄せてくるに、パウリーはわざと鼻頭を摺り寄せる。冷たいと笑いながらはしゃぐに、パウリーも笑いながら鼻を摺り寄せ続けた。
「なに、元旦から甘えっ子だね」
「たまにはいいじゃねぇか」
 じゃれあいながら今年最初の食事を始め、静かに時間は過ぎていった。



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