初詣
そう言えば、今度のお正月は着物でも着て初詣に行こうと思っていたなぁとがつぶやいたとき、頭に浮かんだのはノブナガの姿だった。
『ノブナガさんだったら、着物いつも着てるし付き合ってくれそうだよね』
いつも結っているちょんまげに腰にさしている日本刀だろう長刀、たまに出かけるときに一般的な服を着るときもあるが、大概は着流しのノブナガ。しんしんと降り続く外の景色を見ながら、は以前日本を懐かしがって着物を見に行きたいと、遊びにきたノブナガに言ったことがあったのを思い出した。
女性物でなくてもいい、ノブナガの着物を見せてほしいと懇願したとき、どうするのかと成り行きを見守っていたパクノダとシャルナークの目の前で、ノブナガはこともなげに許可をくれたのだ。
あの時は嬉しかったなぁとは回想するが、普通よく会いよく出かけよく食事をする関係だと言っても、ノブナガくらいの男性だったら家に呼ばないのではないかとは思っていた。だから面倒だが着物を持ってきてもらうだとか、御礼のことまで考えていたのだ。
けれど当の本人であるノブナガは、あっさりと許可をくれた上に驚く三人を前にして不思議そうに言った。
「なんだよ、ならいいじゃねぇか」
その台詞がどれだけの威力をもつなんて、きっとノブナガは気づいていないのだとは意味がわかった途端に赤面した。
年上で好意を持っている男性に言われる言葉としては、その気は無くても罪な台詞だと頬の熱を冷ますように手で顔を扇いだのも、今思えばいい思い出と言えるかもしれない。
「……うっわー……、おれ、聞きたくもないもの聞いちゃったよ」
「あら、いいじゃない。それだけノブナガが心を許してるってだけのことよ。シャル、貴方は動揺しすぎ」
「パクノダだって、足震えてるけど?」
「……武者震いよ」
そう言えばあの二人も動揺していたなぁとは思い出し、それほどノブナガの台詞が珍しいことを再確認した。そしてそんな風に言ってもらえる自分なら、多少のわがままも聞いてもらえるかなと少々打算的に考えを進める。
『まずは、一月一日のノブナガさんの予定を押さえないとね』
もし本当に現在がハンターの世界だったとしても、時間軸がわからなければ遠慮の仕様が無いことに気づいたは、早速連絡を取るべく携帯電話をプッシュする。
『あ、もしもし、ノブナガさんですか?』
寝起きだろう声にはきはきと問い掛けると、は本題を早速切り出した。
まだ除夜の鐘が鳴り響く深夜。は体を震わせてノブナガと通りを歩いていた。
『わー、ささ寒いですねー』
『そりゃ寒ぃだろ。なんたって年末だからなぁ』
『……暖冬ではないんですよね、今冬は』
『例年より寒いくらいだっつってたぞ』
着とけ、と渡されたマフラーを不恰好ながら自分で巻こうとすると、慣れない着物でわたつくを見かねたノブナガが手を伸ばしてくる。
『じっとしとけ』
『……はい』
鼻の頭を赤くしているの首に、ノブナガは手際よくマフラーを巻きつけていく。本当は専用の奴があるんだけどな、あれは寒ぃからよ、なんて笑ってマフラーを巻き終えるノブナガは、どこか満足そうにの頭を撫でた。
『ああ、成人式とかで良く見る白いもふもふですか?』
『そうそう。なんて言うんだっけな、あれ』
思い出そうとしているノブナガは、歩きながら首を傾げて気難しい表情を浮かべる。
はそんな些細なことでもなんだか嬉しくて、小さく笑い声をこぼしてしまった。
『ん? ……なーに笑ってんだよ』
『なんでもないですよー』
白い息を吐き出しながらが駆けると、ノブナガは数歩遅れてその後に続く。
たったったっ、と軽い音が鳴るはずのの足音は、今夜ばかりは可愛らしい女性用下駄の、かちんこつんかつんと軽快な音を鳴らす。
慣れない着物の足元をさばきながら、はすぐに追いついてくるノブナガに対抗して駆け足を止めない。ノブナガが呆れて笑い出すが、も笑いながら走るのを止めなかった。
『おいおい、その内こけるぞ』
『こけませんよーっだ!』
寒いのは寒い、けれど楽しい。
高揚感と体温の向上と気温の寒さで、頬と鼻頭と耳たぶを赤く染めているは大きな声でノブナガに答える。ノブナガは仕方がねーなぁと苦笑しながらも付き合い、歩いても平気な速度だがわざと駆けているようにに見せかけていた。
からんころんこつんかつん、との足音が駆けていき、その後ろをたったったったとノブナガの慣れた足音が続いていく。荒く息を付き出すに、意地っ張りめとノブナガは目を細めてその真面目になってしまった表情を見つめていた。
『なぁ、初詣ってのは走って詣でるものだったか?』
『……っんな、きまっは、なっ……です!』
『だよなぁ』
明らかに呼吸にまぎれているの言葉の意味を、ノブナガは正確につかみ取る。そろそろ歩き始めればいいものを、意地になっているのかはノブナガを見ることなく走り続けていた。
『そろそろ歩こうぜ』
『も、意地……っ!』
ノブナガの巻いてやったマフラーはずり落ち、着物の裾は盛大にめくれ、おめかしどころか髪型は落ち武者の様に乱れ始めているに、ノブナガは愛しいなぁと思いながらも待ったをかける。
『そろそろこっちに戻って来い。それじゃ人ごみに行けねぇぞ』
軽い動作での腹部に片腕を回し、釣り上げるようにノブナガは腕の中へとを収める。驚きながらも大人しく休憩だとばかりにはノブナガの腕の中で体の力を抜き、大きく深呼吸を繰り返した。
ノブナガは立ち止まっての呼吸が落ち着くのを待ち、長い長いため息でその呼吸が収まったのを聞くと、そっとを地面に下ろした。
『もういいか?』
『はい、お手数おかけしました』
輝かんばかりの笑顔でノブナガを見上げるだったが、地面に足をつけたとは言えノブナガの腕の中。背中をそらすようにノブナガの顔を見上げていると、そのざんばら頭が良く分かる。ノブナガはちょっとだけ笑うのを堪えて、その頭を押さえてやった。
『いいから、ちゃんと前を向け』
『え? ……あ、うわっ!』
自分の惨状に気づいていないに、ノブナガは近くのカーブミラーまで引っ張っていく。見てみろと指差した視線の先で、落ち武者になり着物を着崩しているが映ると、本人は深夜だというのに顔色を青く変えて見せた。
『お前、器用なもんだな』
『うわー! なんですかこれ! え、あっ、走ったからか!』
ノブナガの呟きも聞こえないのか、は大騒ぎをして髪を押さえに掛かるが、すでに押さえたところでどうにもならない領域に達している髪形に、ノブナガはため息をついての狂乱をなだめに掛かる。
『大丈夫だ、落ち着け』
『でも、このままじゃ初詣にいけませんよ……っ!』
涙目で手を繋いだノブナガを見つめてくるに、ノブナガは一瞬だけ息を呑む。の弱々しく手を握ってくる力に保護欲をくすぐられ、その良くあるシチュエーションのような涙目に理性を揺さぶられ、縋り付いてくるような弱々しく色の薄いオーラに肌をくすぐられた。
『どうしよう、ノブナガさん……』
幸い化粧はさほど落ちていないが、問題は髪と着物。は着付けのひとつも出来ないのに走り出した自分を恨むが、本当に後の祭り。もうこれは初詣どころではないと諦めかけるが、そんな表情の移り変わりを見つめていたノブナガが口を開いた。
『お前、おれに下着見られても平気か?』
『え?』
真顔で問われた質問の意味をが掴みかねていると、ノブナガは真面目な顔でもう一度同じ質問を繰り返す。
『……平気なわけ、ないじゃないですか……?』
『だよな』
怪訝そうなの返答に、ノブナガはそれはそれで最もだと頷いているが、その真意は口にしようとしない。
ふざけているわけでもなく、セクハラと言う意味での発言ではないのは重々伝わってきている分、の疑問は膨れ上がっていく。こんなときに冗談でもないんだろうけどと内心で一人ごちるが、が悩んでいる間にノブナガは一人で結論を出したらしい。しょうがねぇなと呟いて、どこか嫌そうに顔をしかめつつまたの手を引いて歩き出した。
『あの』
『初詣に行くんだろ。行くぞ』
『でも、着物と髪が』
『直してやるよ』
言われた瞬間の思考は止まり、体は引かれるままに着いていくが無意識の行動でしかない。
ノブナガはそんなに気づいているが、暴れられても面倒だとさっさと初詣の目的地近くを視線で物色しだす。ああ、ああれでいいかとノブナガの呟きさえもの耳に入らず、嫌に電飾あでやかな建物の中へと二人は吸い込まれていった。
『って、なんでですかこの展開ー! いやー!』
『嫌じゃねぇっつの。初詣行きたいんだろうが』
『行きたいですけど! 行きたいですけどノー!』
『どこの異国人だお前』
ピンク色の色彩を放つ寝室に足を踏み入れたと単に覚醒したは、一生懸命着物を着付けなおそうとするノブナガに必死の抵抗をするが、基礎体力からして違うノブナガに敵うはずもなく着物を剥ぎ取られていく。
『セクハラだー! いやー!』
『だーかーらー! お前が初詣行きたいっていったんだろうが!』
『言いましたけど! 言いましたけどぉー!』
お互いに絶叫しながら着物を剥ぎ剥がれ、着付け直し着付けなおされる一時間はとても長く、二人は顔を真っ赤にして作業を終える頃にはベッドの上でぐったりと肩を落としあっていた。
『……次、髪やるから……ていこうすんな』
『…………はい』
見事に何の問題もなく着物を正されたに否はなく、ノブナガはベッドの端にを座りなおさせ、改めて落ち着かない空気の中その落ち武者のような髪形を整えに掛かった。
見慣れない桃色の照明の中、ノブナガは今度こそ姿勢を正しての髪型を結い上げていく。走るたびにずり落ちていった飾りを引き抜き、崩れ落ちた髪を持ち上げ整える。そして少々強めに引っ張り上げ、うなじを晒すように髪を紐で縛っていった。
『……お前も女なんだなぁ』
暴れていたからか桃色の照明の所為か、ほんのりと色づき荒い息を吐くにノブナガは苦笑する。聞き取れなかったは振り返らずに聞き返すが、ノブナガはなんでもないとはぐらかした。
『おら、出来たぞ』
『ありがとうございます』
言って脱衣所まで駆けていったは、その出来栄えに歓喜の声を上げるがノブナガの走るなと言う注意は聞こえなかったらしい。
『ノブナガさんすごい! 器用! 天才!』
『だから走るなっつってんだろが』
脱衣所から戻ってくるときも駆け足なは、ノブナガに飛びつかんばかりの勢いで戻ってくる。はいはいとをなだめるように頭に触れようとしたノブナガは、思い直してその肩に触れた。
『おら、早く出るぞ』
『はーい』
ノブナガに体をひっくり返され出口へと正面向かされたは、満面の笑みで手を上げ良い子の返事をして歩き出す。
ノブナガはそんなの首筋にマフラーを巻きなおしながら、どうしてもうなじに目が行く自分を内心罵った。
『あけましておめでとうございます』
『おめっとさん』
新年になった直後に、初詣の人ごみの中隣同士手を繋いだまま微笑みあう。人ごみの列は遅々として進まず、その後10分ほどしてようやく詣でることが出来、二人は疲れの色を見せながらも記念だからと御籤を引いた。
『何でました? 私は中吉です』
『ん、おれは大吉だ。ほれ』
特に悪くもなく内容もそこそこに良いものだったは、満面の笑みで持って帰るとノブナガに語り、いそいそとその袂に御籤を折りたたんでしまいこむ。枝に括らないでいいのかと言うノブナガの質問には、悪い結果のときだけですよそれ、いい結果のときはお守りにするんです。と、楽しそうに返してきた。
『そんなもんか』
『ええ、そんなものです。それより、この街に神社があることのほうがびっくりですよ』
『まぁなぁ。なんでもありっちゃ、なんでもありだからな』
『そんなものですか』
『そんなもんだ』
ノブナガはそんなやり取りをしながらも、自分の大吉御籤をしまいこむ。恋愛運がどうやら積極的に行くといいらしいので、の言葉どおりお守りにすることにした。
『あれ、ノブナガさんも良いこと書いてあったんですか?』
『まぁな。お前もだろ?』
『……秘密ですよ』
『ふぅーん?』
気になりつつも深くは追求しないノブナガに、は笑って甘酒を飲みにいこうとノブナガの袖を引っ張った。そのごまかしだとしか思えない言動に、ノブナガは苦笑しつつもほだされる。吐く息の白さと赤く染まったの鼻頭が、なんとも子供っぽくていいなぁと思う気持ちを自覚していた。
「で、ノブナガは大晦日からどこに行ってたんですか」
しばらく散歩をして食事をして、新年最初の映画なんかを見た後で、眠いと呟いていたを送り届けたノブナガを出迎えたのは、目の下にクマを作って一睡もしていないように見える真顔のシャルナーク。
「……初詣だよ」
「誰と……?」
据わった目で問い掛けてくるシャルナークに、ノブナガは御籤の一文を思い出した。
【恋愛:積極的が吉。ただし、障害あり】
こいつか、とノブナガは呟いた。
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