酔う



 かんぱーい! の声も高らかにグラスをぶつけ合ったのは、確か二時間前だとルッチは記憶している。童心に返るハロウィンの夕日は沈み、夜は悪霊と大人たちのハロウィン時間。かぼちゃで溢れかえるメニューを、馴染み深いメンバーで豪勢につつき合い奪い合い、酒を酌み交わす衣装とメニューを抜かせば、仕事後の大きな打ち上げとなんら変わらない状況だったと、そう記憶していた。
「よし、! おれの酌を受けろ!」
「よし、パウリー! どんとこーい!」
 笑い声の溢れる酒場の中、パウリーとが衣装もそのままに肩を組み合い笑い合い、あまつさえ他の人間を寄せ付けない酔いっぷりで酒を酌み交わしているのを見ると、ルッチは頭痛を覚えずにはいられなかった。
 外された仮面に熱いからと脱がれたマント、首筋や手や頭部を隠すものはもはやなく、は上機嫌で素肌をさらしていた。ルッチの目にはそう見えた。
「うわわっ、もったいない!」
「やべっ、注ぎすぎた!」
 のグラスからなみなみと零れる酒に、二人は一斉に動揺するが、しばし見詰め合うと何がおかしいのか爆笑する。パウリーは自分のグラスに酒を注ぎ、はもったいないと言いながら手に掛かった酒を舌で舐めとる。それに目を留めたパウリーが、酔いに任せているのだろう赤い顔での手を取る。
 ルッチは自分の中でいくつかのタガが外れる音を聞き、持っていたグラスを握りつぶした。そして近くにあったパイを手に取ると、パウリーの顔面に向けて力の限り投げてやった。
「パウリー!」
 声を上げることなく椅子ごとひっくり返ったパウリーに、が驚いてしゃがみ込む。周りもなんだなんだと覗き込むが、当人であるパウリーが大笑いしながら起き上がったのを見て、安堵と共に視線を戻す。
 ルッチはイライラと砕けたグラスの破片を弄るが、カウンターの中に戻ったブルーノがそれを見つけると、無言で欠片を片付けられた。
『余計なことはするな』
「ルッチ、今日くらい多めに見てやれよ」
 噛み付くルッチに、ブルーノは慣れた顔で欠片を集め向けられた怒りを受け流す。ルッチが無理矢理視線を剥がしたパウリーとは、まるで何事もなかったかのようにテーブルについていた。
「うわパウリー、パイまだついてる」
「パイに襲われるなんざ、ハロウィンだけあるな」
「悪霊の仕業とか?」
「かもな」
 またもや起こる爆笑に、ルッチが新しいグラスを握り締めに掛かる。が、隣から滑り込んできた手にグラスは奪われ、入っていた酒も飲まれてしまう。ブルーノが仕方がないというようにため息をつき、ルッチは八つ当たりの矛先を替えた。
『カク、お前も余計だ』
 立ったままルッチを見下ろしているカクは、無言でルッチの顔を見つめてくる。その冷たい見下すような視線がまたルッチの神経を逆撫で、知らず知らずのうちにルッチの喉奥が唸り声を上げていた。
 ブルーノが顔色を変える。
「ルッチ、酔って力を使うなよ」
 潜められた声にルッチが反応することはなく、ただカクだけがブルーノに視線を向け、睨み続けるルッチを冷静に見つめた。
「姉さんに振られ続けておったくせに」
「……お前、何が言いたい」
「ルッチ!」
 カクの発言に眉をひそめたブルーノだったが、ルッチの声を聞くなり刺すような声を上げる。音量は小さくカウンターにいる二人にしか聞こえないようにしたが、ルッチの素の声に素早く辺りを見回した。酒場は夜の闇の中、煌々とつけられているかぼちゃのランプに照らされ、あちらこちらから機嫌の良い笑い声が響き、酒と料理の匂いが充満する陽気な雰囲気は変わっていなかった。ルッチの声に気づいた人間は、いないと判断するには十分だ。
 胸を撫で下ろしたブルーノは、睨み合う二人にため息をこぼす。
「ルッチ、せめて喋ってくれるな」
 計画への影響を考えてブルーノは言うが、二人は一斉にブルーノへと睨みを飛ばす。驚く間もなく、カクが勢いよくグラスをカウンターに叩きつけた。
 カクを中心にほんの数テーブル分、小さな沈黙の場が出来る。が、カクは据わった目でブルーノへと身を乗り出した。酒臭い息を吐き、そこでようやくカクも酔っているのだとブルーノは理解した。
「わしはな、気に食わんのじゃ!」
 叫び声をひとつあげると、数テーブルと言わず店の見える部分のテーブル全てが静かになる。笑い続けているのはパウリーとくらいで、他は酔っても温厚だったカクの叫び声に、何事だといくつもの好奇の目を向けてきた。
 ルッチは未だにカクを睨み続け、カクも受けるようにルッチを睨み鼻で笑う。
「大体、はわしら全員に会いに来たんじゃ。ルッチだけではない! 独り占めすべきではないじゃろうが! そこら辺を考えろ、この独占欲の塊鳩男!」
『ポッポー、鳩男とは言ってくれるじゃないか。え? この鼻風男。喋り方が年寄りじみてるくせに、一番クソガキなのはお前だろうが!』
「なんじゃと! 言わせておけばこの怪人が! わしはただ、お前の始末の悪い独占欲をきちんとしまっておけと言うておるだけじゃろうが! このハレンチ男が!」
『調子に乗ってふざけるなよ、この我侭駄々っ子のクソガキが。おれがどれだけ我慢してるかも知らないくせに、偉そうに指図するんじゃねぇよ。お前は一生ヒーローやっとけば、きゃーきゃー言われて満足だろうがな』
「侮辱じゃな? それは侮辱じゃな? 受けて立つぞ、ルッチ表に出ろ!」
『望むところだ、完膚なきまでに潰してやろう』
 止まらぬ言い合いは、立ち上がり額をぶつけ合わさんばかりに白熱し、カクは槍を持ったまま体に巻いた白い布を翻し、ルッチは仮面を付け直し黒い外套を翻すと、二人揃って酒場から出て行こうとした。
「二人とも、落ち着きなよ」
 ブルーノが慌てるが止まる二人ではなく、睨み合いながら一歩外へと踏み出した。
 その途端に上がったの笑い声は、とても無邪気なものだった。
「ぱうりー、ぱうりー! あははははっ、やめておなか痛い!」
「んだよ、お前よりおれの方が似合うんじゃねぇか? 狼で魔法使いで船大工、すごすぎてため息もでねぇな。逆に魔女を使役しちまいそうだ」
「なにそれ、じゃあ人狼と魔女の格好取り替える?」
「お、それいいな」
 周囲の人間は思わずパウリーとの会話に注目し、次の瞬間禍々しいまでに忍び寄ってくる重い空気に、ルッチとカクを勢いよく振り返った。すぐに見なければ良かったと後悔するが、ときすでに遅し。
 その場で服を脱ぎだすパウリーとに、ルッチとカクが音速の速さで駆け寄っていた。
「パウリー! あれだけハレンチじゃ、足出しすぎだと言っておったのに、お前はよりによってにストリップをさせるのか! 見損なったぞパウリー! 最低じゃパウリー! お前だけは純粋だと信じておったのに!」
『パウリー、お前をいい奴だと信じていたおれが馬鹿だった。お前のその純朴な性格は作り物だったわけだな。純朴ゆえに賭け事にハマるのではなく、計算高いが故に博打を打ちたかったというわけか。とても残念だ、友よ』
 パウリーとの間に無理矢理体を割り込ませた二人は、パウリーの肩を掴み腕を掴み力の限り揺すりながらまくし立て、反論する隙も与えずに怒りと悲しみを露にした。
 ルッチはすでに指銃の構えに入っており、それに気づいたカリファはアイスバーグの隣から、どうやって割り込んで阻止しようかと頭を悩ます。ブルーノはすでにカウンターから出て、いつでも止められるように構えていた。
「なんだ、二人も着たかったの?」
 場違いなほどに不思議そうな声は、その場を瞬く間に沈静化した。
 声の主を振り返った二人は、そこでが機嫌よく微笑んでいることを知る。重ね着していた衣装はいくつかすでに脱がれていて、胸元やら二の腕やらが露になっていて一瞬動きが止まるが、それより早くが続きを話し出す。
「ならほら、四人で衣装を交換しよう!」
 豪快に上着を脱ぐに、弟達の悲鳴が響いた。


back