貴女を見つける
はいつもと違う格好で、ウォーターセブンを駆け抜けていく。
頭部ごと顔を覆う仮面は髪型さえも隠してしまって、物を口にする隙さえない。
「姉さんはどんな格好をするんじゃ?」
カクの質問に笑顔で応え、はぐらかし続けた昨日までを思い返し、は人通りのないところでくるりと綺麗にターンを決める。
顔は見えない。衣装も体の線が分からないように、首が隠れて肩幅が大きくて足先しか見えない長さの裾丈にした。腕も袖の長いだぼついた形だし、手袋もして肌の色さえ隠してみた。
サン・ファルドの仮装カーニバルでの衣装を、ちょっと組み合わせるだけで完成だ。は満足気に水に映った自分を見る。耳も顎も首もしっかりと覆い隠す衣装は、サン・ファルドの仮装ではとても一般的なものだ。
ここまで徹底すれば、誰もがだと分からないだろう。
かぼちゃやお菓子やお化けの溢れる、ハロウィン一色のウォーターセブンの街中へ、は機嫌よく引き返して行った。
「……だめじゃ、見つからん」
「お前見て逃げてんじゃねぇか?」
『そういうお前こそ、見て逃げられてるんじゃないか? クルッポー』
「んだと、ルッチ!」
いつものような口喧嘩が始まり睨み合う二人に、カクは呆れて辺りを見回す。探す人影は一向に見つからず、その足音も聞こえない。街には出てくるといっていたが、どこもそこも仮装している人間ばかりで目が疲れてしまう。
カクはルッチを肘で小突くと、ほれ、と前方を示す。
『なんだ?』
食って掛かって来るパウリーを放ってルッチが見ると、魔女やら悪魔やら道化師やらタイガーマスクやらがひしめいていて、どれを見ればいいやらすぐには判断できなかった。が、ルッチのしかめられた眉間に気づいたカクが、もう一度前方を示す。
「ほれ、アイスバーグさんじゃ」
「あぁ?」
カクの一声でルッチの向こう側から、パウリーがルッチとカクの間に顔を突っ込んでくる。その行動に二人が身を引くが、アイスバーグを見つけたパウリーは気づかずに声を上げた。
「アイスバーグさん! お疲れ様です!」
相変わらずカリファと連れ立って歩いていたアイスバーグは、呼ばれるとほんの少し視線をさまよわせ、そしてすぐにパウリーたち三人に目を留めた。パウリーの笑顔につられたのか、アイスバーグもカリファも笑顔になる。
「おう、お前達も仮装してんだな。良く似合ってるぞ」
「本当に。三人とも、楽しんでるのね」
先ほどまで不機嫌顔だったパウリーが、どことなく面映そうに口元を緩め、ルッチもカクも肩をすくめて笑ってしまう。
似合うといわれた三人の仮装は、ルッチがオペラ座の怪人のファントムで、パウリーが人狼伝説を基に頭部に耳、臀部に柔らかい尻尾をつけた農民らしい服装の狼で、カクは王笏と槍を持ち、神話にでも出てきそうな布を巻いただけの服装に金色のサンダルをつっかけただけの格好で、少しばかり出典が分からない服装だった。
ルッチとパウリーは説明を受けていたので、もうすでに疑問にも思わないが、カクの服装の意味を知らないほかの二人は、揃って首を傾げた。
「カク、お前のそりゃぁ、なんの仮装だ?」
すでにハロウィンとは言い難い部類のその格好を、アイスバーグは興味深く観察する。カリファは眼鏡のフレームを正し、やはり興味深く服装を眺めた。
「ふむ、やはり難しいかの」
辺りを見回せば、ハロウィンにまつわる者まつわらない者ごった煮の仮装だが、やはり出典が分かるものの方が多い。カクは機嫌よく槍を地面に突く。
「これはの、風神アエオルスと言って神話の神の一人の格好じゃ。王笏と槍を持った、ある一つの大地で風を治めておった神らしい。細かい服装は分からなかったんじゃが、まぁ、これでいいかと思うての」
似合わんかとカクが問いかけると、アイスバーグもカリファも笑顔になる。
「いいや、風神ならお前にぴったりじゃねぇか」
「山風はウォーターセブンの風神、と言うわけですね」
「いや、そう言うつもりじゃなかったんじゃが」
和やかな空気が流れ、困りだすカクに笑い出すアイスバーグとカリファ。ルッチとパウリーも、カクの困惑する様子につられて笑い、その場はしばらく緩やかな時間となった。
ざわりと風の匂いが変わり、水路に歓声が響く。揃って視線を向けた五人は、キングブルの上で飛び跳ねるパンプキンマンや魔女を見て、そうそうと思い出す。
「アイスバーグさん、を見ませんでしたか?」
パウリーが口を開くと、おれもそれが聞きたかったとアイスバーグが苦笑する。カリファがそれを聞いて手帳を開き、いつもの様に詰まることなく事実を述べる。
「本日回ってきた箇所の全てにおいて、さんらしき人を見かけることは出来ませんでした。いつも入り込んでいる洋菓子店、カフェ、酒場、公園、噴水付近に裏道と覗いてみましたが、やはりどこを見てもそれらしき人物はいません。比較的交流のある人々に尋ねてもみましたが、今日は見かけていないとのこと。三人はどこを探されましたか?」
きらりと眼鏡のレンズに光を反射させ、カリファが背筋を正して真正面から三人を見詰めてくる。アイスバーグも肩をすくめ、まぁ、お手上げだと苦笑する。
カクとパウリーは向き合って渋面になり、ルッチは肩をすくめるハットリと目を合わせ、呆れたように髪をかき上げた。
「見つけてみろって言うだけあるよな、マジ見つからねぇ」
「けど、見つけんと終わらんぞ? しばらくはこのネタでからかわれてしまうわい」
「菓子を持って歩いてるはずだから、見つけやすいはずなんだがなぁ」
ため息をついてアイスバーグがカリファを振り返ると、カリファもため息をついて首を横に振る。横の水路は大層賑わっていると言うのに、五人の表情はよろしくない。
「ヒントの一つでも、貰えばよかったですね」
カリファが走り抜けていく子供達を避けながら呟くと、まったくだとアイスバーグがその子供達に菓子を放り投げる。ありがとうございます! と元気の良い小悪魔達が満面の笑みで手を振り、アイスバーグも笑みを浮かべ返す。男三人はあっという間の出来事に避けるばかりで、手際の良いアイスバーグに呆れるよりも尊敬の念を覚えてしまった。
『アイスバーグさん、どこまで手際がいいんですか』
「ンマー、毎年やってりゃぁ慣れるさ。あいつらはいつもああなんだ」
機嫌よくアイスバーグは口の端を歪め、お前らも今度は投げてやれと助言する。あいつらは上手く受け取るんだと言われれば、三人は頷くしかない。
「大人も子供も菓子を貰えるなら貰っときゃいい。お前らも貰っただろ」
「……まぁ」
「貰ったといやぁ」
『貰いましたが』
どことなくバレンタインと勘違いをしている人間もいたりして、三人は曖昧な返事で濁す。が、正直悪い気はしないものだし、ここぞとばかりにの聞き込み調査も出来た。目撃情報はなかったが。
菓子を配りつつ貰いつつ街を回ると言っていたは、最初に見つけた人間に特別のお菓子を上げようと豪語していた。給料のいくらかをつぎ込むので、甘いものが嫌いな人間は申告しておくこととまで言われ、気合の入りっぷりが窺えるその準備の仕方に、パウリーとアイスバーグは目を丸くした。ルッチとカク、カリファにとっては二年ぶりに見るいつものだったので、驚くフリをするのが逆に困難なほど。喜びはひとしおだったので、それを隠すのも一苦労だった。
「特別な菓子に、何を用意してんだろうなぁ」
アイスバーグが思案をしつつ呟き、水路から名を呼ばれて手を振る。そのまま流れ作業の様に菓子を放り投げ、呼んだ人間達は上手く受け取り、かぼちゃを被ったパンプキンマンが逆に五人に向かってお菓子を放り投げ、それを皆上手く受け取るという一幕へと繋がった。
「ンマー、じゃあそろそろ行く。お前達も今日は楽しめよ」
「失礼します」
ハロウィン一色のウォーターセブンで、いつもと変わらぬ服装の二人はいつもと違う大きなお菓子かごを持ったまま、いつもの表情で三人の前を後にする。あちこちから声が掛かり、その度に返事をし笑うアイスバーグに、さすがアイスバーグさんだなぁとパウリーが呟いた。
「なんじゃ、休みの日も仕事がしたいのか」
カクが意外そうに頷けば、パウリーが慌ててカクを振り返る。カクはそんなパウリーの反応に、悪戯を思いついたかのような意味深な笑顔を浮かべた。それを見たパウリーの背筋が凍る。
「お、おまっ、お前! 企むなよ! 何も考えるなよ!」
「わしはただ、仕事がしたいのかと聞いただけじゃろうが。何を慌てておるんかのう」
格好は風神だと言うのに、カクはまるで魔女のような甲高い伸びた笑い声を漏らす。パウリーがその笑い声を止めろ! と食って掛かるのを、槍で牽制してカクは笑い続けた。
「ルッチ?」
いつもは止めろだとか突っ込みを入れるルッチが、二人を見もせずに後方へと視線を向けている。カクがまず先に気づいたが、パウリーがそれに気づくと同時に、ルッチが口を開く。
『別れて探そう。そのほうが早い』
「なんじゃ、考えとったんか」
『からかわれるのはごめんだ、ポッポー』
静かに告げると、パウリーが頷くのを見てルッチは一人小道へと抜けていく。唐突ともいえる行動に、パウリーもカクも首をかしげた。
けれどカクはルッチがを探したい理由を知っていたので、そこまで驚くものではない。最初から一人で探すと宣言されなかった方が不思議で、それだけこの街に馴染んでいるのだという事実の方がおかしいのだ。この期に乗じて、設計図を探してもいいはずなのだ。
「ルッチ、んなに菓子が欲しいのかよ」
「からかわれるのが嫌なんじゃと。ルッチも子供じゃな」
「それもまぁ、それで楽しいのにな」
パウリーの無邪気な一言に、カクは思わず吹き出してしまう。
「なんだよ」
「いや、パウリーの言葉にも一理ある」
どことなく拗ねた人狼に、カクはその頭の耳をつまんで笑う。何も知らないパウリー、何も知らないアイスバーグ。それと、ルッチはを見つけられるのか。カク自身、見つけられなかった存在を探し出せるのかと、疑問ともしやの考えが駆け巡る。
そうしていくつかの事柄を同時に考えていると、この場にいないはずのルッチとの姿を思い浮かべていた。仮装をしているはずのと、ファントムとなったルッチが合流する場面。
「見つけられるものか」
呟いた一言に、パウリーがカクの手を払いながら眉をしかめる。
「なにがだよ」
「いいや」
パウリーの不思議そうな視線に、カクは柔らかい笑みを浮かべた。
見つけられるものかと胸中で、ルッチに向かって囁いた。
音楽が咲き乱れ踊り続け、子供も大人も羽目を外して仮装し歩き、菓子を振り撒き貰い受け、は水路のへりを上機嫌で歩いていた。
先ほどルッチやパウリー、カクやアイスバーグにカリファと、見知った人たちの前を歩いてきたが、誰一人として気づかなかった。周囲の人々と菓子を交換し、手を叩いて歩いていたのに誰一人として、自分をと気づかなかった。その心地良さに、戦利品である菓子をかごの中に詰めながら、水路のへりを危なげなく飛び跳ねる。
ブルーノの酒場に行ったときは、丁寧に頭を下げて菓子をねだり、お返しに薔薇の花とカップケーキを渡してきた。ブルーノは笑顔で受け取ってくれたが、が誰かは分からなかった模様。名前を尋ねられ、首を振れば慣れた手順で菓子をくれた。頭も撫でられ、背の高い子供とでも思われたのか。
あからさまに大きな魔女のとんがり帽子は、撫でることに適さないものだけれど、身体的特徴を誤魔化すにはとても適していたようだ。魔法返しの先が丸くなっているブーツを鳴らし、は通りすがりの子供へと菓子を手渡す。
「ありがとう、魔女さん!」
可愛い子供の頭を撫でて、黒と赤と橙の三色を纏った魔女は、悠々と水路のへりを飛び跳ねる。オレンジ色した先の丸い杖を振り、街の人々に愛想を振り撒く。皆機嫌良く返してくれて、も仮面の下で笑みを浮かべる。
ふと足元がふらつくと見れば、子供が人ごみに流されてぶつかってきたようで、は子供の背を押して通路に戻す。と同時に、自身は水路へと放り出されてしまった。若干名の人々が、悲鳴を上げる。
が、はそのまま杖を近くのブルに引っ掛け腕を振り、反動で他のブルへとスカート、マントをはためかせながら着地した。帽子を押さえながら操縦者に詫びを入れ、かごの中の菓子の無事を確認すると、今度は反対側の通路へと飛んでいく。
その動きをパフォーマンスと思ったのか、キングブルに乗っていた一座のメンバーだとでも誤解されたのか、周りの人々が拍手で迎え、当の一座メンバーも水路の中から拍手を起こす。
は慌てながらも至極ゆっくり礼をすると、薔薇の花を散らして姿を消した。後に残るのは歓声と薔薇の花のみで、この日のイベントの一つと上手い具合に誤解されてくれたようだった。
小道へと身を寄せたは、一連の出来事の収拾がつけられたことに胸をなでおろし、さてまた街を歩こうと水路に面したほかの通路へと足を踏み出す。
「姉さん」
けれど最初の一歩が通路を踏むことなく、背後から強い力で腕を引かれ、後ろから流れてきたマントの両端がの体を包むように前に流れていった。が瞬きをする間もなく、耳元でルッチの声が囁いた。
「やっと見つけましたよ」
ルッチの素の声に、自分は顔を隠すのを忘れたのかとは一瞬戸惑うが、そんなことはないとすぐに気づく。だが、ルッチの声は確信を持って囁かれ、捕まえられた腕はやんわりとだが、逃げられるような握力ではなかった。
ルッチは確信を持って、を捕まえていた。
「おれが最初ですか?」
どことなく嬉しそうな声音が耳元で囁き、背中に触れるルッチの体には戸惑う。どうしてばれたんだろうと思うが、その一方でまだ誤魔化せるかもと焦りが生じる。とにかく、抵抗しなくてはと腕を振るが、片手は杖でもう片手はかごを持っているとなると、動ける範囲など限られてくる。
人違いだといいたいが、言ってはばれてしまう。言わなければ自分だと決め付けられるし、はこんな捕まり方を想定していなかったことに後悔した。しかも背後を取られるだなんて、任務中なら死んでもおかしくない。
「……やっぱり、姉さんですよ」
確信を持った声が、腕の力を緩めてくる。鳩の羽ばたく音が聞こえ、ハットリがどこかへいったことを知る。音は近くはないが高くへと飛んだようだ。
が観念して振り返ると、顔半分を仮面で隠したルッチが笑っていた。ほら、やっぱりだとでも言いたげな笑顔に、は渋面を作る。顔が完全に隠れるはずのその仮面は、ルッチの目にはないも同然らしい。そんな顔しないでくださいと苦笑されてしまった。
「自信、あったんだけどなぁ」
落胆の色を隠さずに呟くと、ええ、自信を持ってくださいとルッチが笑う。その笑いが嫌味に見えて、ますますは渋面になる。
「でもルッチには見つかった」
「おれは間違えませんよ」
の萎んだ自信を食べたかのように、ルッチは自信に溢れる口調で囁く。手を差し出されてその手を取ると、もう片方の手でお菓子の詰まったかごを抜き取られてしまう。慌てては取り返そうとするが、ルッチは手を繋いで歩き出してしまい、取り合ってくれない。
「特別なお菓子は、そっちに入ってないわ」
「家にあるんでしょう?」
「そうよ。……言ったかしら?」
「いいえ、姉さんの考えることなんてお見通しです」
楽しげにふふっと笑い声を漏らされて、は杖でその肩を小突く。ルッチは効かないとばかりに杖を振り払い、上りの階段ばかりな細道をしばらく歩くと、その足を止めた。
街の喧騒は遠く、辛うじて耳に届くものばかり。階段の両脇に連なる家の住人も、街へと繰り出しているのか物音一つしなかった。
「ルッチ?」
ひとつふたつ上の段差から見つめられ、は逆光気味なルッチを目を細めて見つめ返す。
「貴女だけです」
「え?」
「貴女だけは、見間違えません」
「ルッチ?」
持っていた菓子かごを階段に置くと、ルッチは躊躇う素振りもなく繋いだ手を引き寄せ、を抱きしめた。突然のことには杖を落とすが、ルッチは気にせずに両腕でを抱きしめる。片目がまっすぐにを見つめ、仮面の下にある目もをしっかりと見つめていた。
ルッチの目元がかすかに緩み、戸惑うに笑いかける。、と、音もなくその唇が動いた気がして、はその口元に目に魅入っていた。
「昔から、貴女を間違えたことなんて、ないんですよ」
ルッチの両手がマントの上からの背筋をなぞり、そのまま背をそらしてしまったの背骨を辿って、布地で隠れてしまったうなじを撫でる。思わず小さな声を出してしまったが恥じ入る隙もなく、ルッチの指は仮面のふちと顎のラインを撫でていた。
「これ、邪魔ですね」
カチリと硬質な金属の外れる音がして、仮面が外されたとが自覚できたのは、仮面が階段へと落ちて響かせた高い音と、悪戯っぽく笑うルッチの顔が目の前に迫り、瞼を閉じた後だった。
back