台所での戦闘服



「……姉さん、そんなところで寝るくらいなら、ベッドに行ってください」
「らいりょうぶ、おきてる」
「呂律が回ってません」
 ルッチは盛大にため息を吐くと、台所で調理器具と目を瞑ったまま格闘するの首根っこを捕まえた。そのまま問答無用で持っていた泡だて器を取り上げ、洗い場に放り出してやる。手の空いたがむずがりだすが、それも眠たいためだと切り捨てて、ベッドへと連行した。
「やだ、まだ出来上がってないのよ!」
「あとはおれがやります。姉さんは寝てください」
「レオパルドは毛が入る!」
「誰がそっちの姿でやると言いましたか」
 眠りの世界に半身を突っ込んでいる所為か、の言動はいつになく脈絡がない。ルッチは押しかけて来て良かったと、数時間前の自分を自画自賛した。
「姉さん、ほら、出来たら起こします。寝てください」
 寝室の端に置かれたベッドへと、を抱き上げなおして横たわらせると、寝ぼけた目が手が虚空をさまよう。ルッチはもう一度ため息をついて、その手を下ろして瞼を手で覆ってやった。
「ここは台所じゃありません、寝室です」
「れおぱるどの、毛は、はろうぃんに合うとおもうけろ……」
「だから、わざわざレオパルドで調理はしません」
「きいろのかぼりゃけーく」
「かぼちゃは、一般的にはオレンジです」
「それだ」
 ぼんやりとした目線のまま、はルッチを指差した。なにがそれだですか、とルッチは反論しながら布団をかけてやる。
 は素直に布団を掛けられるが、次の瞬間には布団を抱きしめてぐしゃぐしゃにしてしまう。本格的に寝ぼけているのだなと、ルッチはため息を吐いた。これはしばらく眠ってくれないだろうと時計を見上げ、ルッチはを見下ろした。
 ぼんやりした表情のまま、は布団を握って何事か呟いていた。
「姉さん? 眠らないんですか」
「らって、なまくりーむがまだらよ」
「まだら? ああ、そうですね」
 そう言えば、生クリームは途中でつまみ食いしたくなるからと、はルッチに言って手をつけていなかった。だが、それと睡眠に何の関係があるのだろう?
 ルッチが首をかしげると、はルッチの方にいるハットリへと視線を向け、おいでおいでと手招きを始めた。ハットリはすぐには飛ばず、ルッチへと視線を向けてくる。
 ハットリの戸惑う気配にルッチはどうしようか迷うが、結局はハットリをへと行かせることにした。は嬉しそうに笑ってベッドに足をつけたハットリを撫でる。
「あははは、ハットリかわいいー」
「……姉さん、眠たいんじゃないんですか?」
「んー? ハットリのけーきも、そう言えば可愛いよねー」
 だめだ。お手上げだ。
 ハットリの動きが固まるが、ルッチはを寝かしつけることを放棄した。彼女はしばらく眠らないだろう。だが、台所で怪我をされるよりましだと分かっているので、ルッチは口を噤む。ハットリが困惑した表情を向けるが、子守りをしてやれとばかりに顎をしゃくった。ハットリは諦めたような声を上げたあと、に望まれるまま頬へと擦り寄っていった。
 楽しそうに上がるの声は、やはりいつもとトーンが違って淡く眠気を含んでいて、聞いているとどこか違和感がある。いつもと違うのは当たり前だが、背筋を伸ばして姉として振舞っている姿ばかり見ているルッチとしては、こういう無防備な姿は違和感を感じてしまう。
 姉として振舞っていて欲しいとは、まったく思っていない。
 むしろもっと対等に、一人の人間として扱って欲しいと常に思う。
 現状として、ウォーターセブンの人間が同席している場であれば、それなりに友人らしい扱いはしてくれるが、それもルッチの望むものとは少々形が違う。
「ハットリ、何かあったら呼べよ」
 ルッチの言葉に振り返ったハットリは、二度鳴いてからの手のひらに捕まった。
 ルッチはそれを尻目に、台所へと足を向ける。

「さて、どうしたものか」
 作りかけのパンプキンケーキを前にして、ルッチは首を鳴らす。
 昔からこの手の行事には駆り出されていたが、主体となって菓子を作ったことなどないルッチは、寝かせるために言ったこととはいえ、手順は頭に入っているとはいえ、菓子作りに手を出すことを躊躇してしまう。
 とりあえず、エプロンでもつけるかと探すが見つからない。記憶を探っていくと、がつけたままだったことを思い出し、もう一度寝室のドアをノックした。
「姉さん、エプロン貸してもらいたいん……」
 ドアを開きながらの台詞に、ハットリが慌てて振り返りながらくちばしに翼の先を当てる。「しー」と言いたげな動きに、ルッチの言葉尻も消えていき、視線の先で眠りこけているを見て、なるほどなと納得した。
「ハットリ、良く寝かせたな」
「くるっぽー」
 それほどでもないさ、とばかりに小さな声で答えたハットリは、布団の端から出ているヒモを示した。エプロンの端だと気づいたルッチは、静かに布団をめくってエプロンを借りようと結び目に手をかけた。
「……ん」
 布団がなくなって寒いのか、それともルッチの指が触れた所為か、が身動ぎしだす。とっさにルッチもハットリも動きを止めて見守るが、しばらくは唸りながら身動きし、やがてまた静かな寝息を立てだした。
 ハットリと顔をあわせてルッチは笑い、そのまましゅるりとエプロンの紐を解く。肩紐とひとつ繋ぎになっている構造から、そのままルッチは片方の腕からヒモを引き抜く。だが、もう片方は横に寝ている体勢のため難しく、起こさずに引き抜くには少々難しい状況だった。
 試しに一度、ルッチは声をかけてみる。
「姉さん、エプロンを借りたいんですが」
「んー」
 寝言のような反応は返るが、起きてはもらえない。ここまできてなんだが、エプロンを付けずに作業に戻ろうかとルッチは考えた。が、エプロンなしで台所に立つなと言われ続けていたため、ルッチとしてもエプロンのないまま調理するのは、少しばかり嫌だった。
 ので、諦めずにエプロンを借りようとの肩を押して仰向けにしてみた。抵抗なくの体は動き、エプロンを脱がしやすい体勢になる。
 ルッチはここぞとばかりにもう片方の腕からヒモを引き抜くと、そのままエプロンを腕に巻き込んだ。は深い眠りに入ったらしく、紐を虫と勘違いしたのか手を軽く振るだけで起きない。
「姉さん、エプロン借りていきますね」
 ようやく達成できたとルッチが安堵しながら言うと、また寝言が返ってきた。が、これで後で何を言われても言い返せると、ルッチは気にせず台所へと戻っていく。
 ハットリも寝ぼけて捕まえられてはごめんと、ルッチの方にちゃっかりと戻っていった。

「ルッチ、私のエプロンに見えるんだけど。それ」
「借りました。一応断りは入れましたよ、寝てましたけど」
 瞼を擦りながら起きてきたに、ルッチは生クリームをかき混ぜながら涼しい顔をして答えるが、その答えにが難しそうな顔をする。
「……私、つけてたと思うんだけど」
「引き抜きました」
「……えっち」
「誰がですか、失礼な」
 意外な言葉にルッチが睨むと、は慌ててリビングへと避難する。が、ハットリを呼び寄せながら外を向いて一言。
「ルッチ用のエプロン、こっちに置いてあったんだけどね」
 クローゼットの中に、弟達それぞれ一枚ずつそろえてあるエプロンをちらりと見たに、傍に寄ったハットリは驚愕の表情でルッチを振り返る。
 ケーキと格闘しているルッチには聞こえていなかったようで、いかにも女性用とばかりにネコの刺繍が施されたエプロンを身に着け、ぶつぶつと呟きながら手を動かしていた。
 ハットリは、今の言葉は聞かなかったことにしようと、ルッチの心情を思って決意した。


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