ハロウィンの策略
久しぶりの休日にルッチが街を歩いていると、そこかしこからジャックオランタンが愛想を振りまき、時には帽子やら箒やらを持って街角を彩っていた。
ああ、もうそんな季節かとイベントごとにうるさい姉を思い出し、ルッチは引き寄せられるようにふらふらとそんな店を冷やかしていった。
小さいかぼちゃ、中くらいのかぼちゃ、大きなかぼちゃ。
色とりどりの照明器具、笑い動くおもちゃ、看板にかじりついているかぼちゃのプレート、子供を一飲み出来そうなサイズのジャックオランタン、可愛らしいアクセサリー、こうもりの飛び交うデザインに変わっているいつもの店、魔女服に変わっているウエイトレスの制服、期間限定のデザート類に期間限定のカップル専用ハロウィンコース料理。
どれもこれも目に痛いほど飛び込んできて、ルッチはまったく退屈などしなかったが、その際に投げかけられる熱い視線にはほんの少しだけ身を隠したい衝動に駆られてしまった。
声を掛けられれば返事をし、商品を勧められては断り、食事に誘われれば身持ちも固く残念だがと社交辞令を口にする。以前ならば気が向けば食事くらい一緒にしたものだが、惚れた女が同じ場所に居る現在、わざわざ他の女性と食事をする道理もないだろうとの判断だった。
その惚れた女であるところのはと言えば、朝一番に会いに行ったにもかかわらず不在なんていうすれ違い具合。何時から出かけてんだと時刻を確認した午前8時、ルッチは一旦家に戻ると商店街を徘徊し始めた。
の仕事が休みなのは、先日本人に確認したので間違いない。暇だと呟いていたのも昨日偶然耳にしていたし、誰かに誘われた形跡も昨日の夜までないはずだった。
ならば電伝虫で誘われたかと考えるが、それにしても午前8時に待ち合わせているとは考えずらい。その時間ならば、待ち合わせるよりもどちらかの家に向かったほうが。
そこまで考えると、ルッチの中でひとつの可能性が生じた。
俗に言う「お泊り」という可能性で、昨夜から他の男と一緒にいたのではないかというものだった。男と限定していることに気づかぬまま、ルッチは内心冷や汗をかく。今までの男関係と言えば失礼ながら寂しいもので、自分は外で恋人を作っておきながらの異性関係の物悲しさを聞くたびに安堵していたものだ。
だがしかし、このウォーターセブンでも同じだとは言い切れない。
なにやら急激に危機感を感じてきたルッチは、の行きそうなところを探して来ようかと足を止めた。するとどこからともなく腕を引っ張られ、反射的に振り解こうとする前に腕に寄せられた顔で誰だか理解した。そうだ、この場所でこんなことが出来るのは数人しかいない。気配も足音も何もかも消せるのは、片手しかいないじゃないか。
自分の落ち着きのなさに笑いそうになりながら、ルッチは見つけたと嬉しそうに囁いているに視線を移した。
『なんだ、用事か?』
未だ、友人のような口を利くことに躊躇いを覚えながらも、を呼び捨て無愛想な口を利き、それに対しても友人に接するような態度をとる。ルッチは、その一連のやり取りが心地良いと思えるまでになっていた。
「パンプキンパイを食べに行こう」
先ほどルッチが覗いてきた、期間限定デザートを出している店の名前を挙げるは、どこかルッチを圧力的で強制的な雰囲気で見つめてくると、有無を言わせず引きずっていこうとする。ルッチが本気を出せば一寸たりとも動かないのだが、ここでそうしても意味がない。
『今からか?』
「そう、いまからよ」
どこか焦っているような口調に疑問を覚え、多少引きずられていた体に力を込める。途端に動かなくなるルッチを、は恨めしそうに振り返る。寄せられた眉が物悲しく、ルッチはついついハットリ経由で笑ってしまう。職長で自分の口で会話ができないと言われる自分が大笑いすれば、今までハットリを使った腹話術の甲斐がなくなってしまう。
さすがにこんな些細なことで台無しにするのは嫌なので、ハットリのジェスチャーにあわせてしばらく笑った。
「……笑いは収まったかしら」
『ああ、悪かったな。傑作だった』
無言で胸元を殴られるが、それも可愛らしいひと撫でに過ぎない力。おやと意外に思って顔を見ると、はすでに気を取り直したように笑っていた。
「まぁ、気がすんだのなら付き合ってくれるよね?」
自分が望んでいる意味ではない、と分かっていながらも言葉ひとつに動揺する。
表面上は無感動に肯定してに引っ張られるまま、引きずられるまま足を動かしだすが、自分の頬が火照っているような錯覚を覚えた。
先ほど歩いていた道を逆に辿り、どこにでもいる男女のように隣同士で歩いている。パンプキンパイと言ったところから、ささやかながらハロウィンの前祝かと予想を立てるが、そうしながらもルッチは自分の頬が火照っている気がしてならなかった。
「いらっしゃいませ」
「です。席、空いてますか?」
「さまですね、少々お待ちください。……はい、お席にご案内いたします」
店に着く頃には平常心を取り戻したルッチだったが、ウエイトレスとのやり取りから含みを感じ取り、ついて歩きながらも疑問を投げかけた。
『予約でもしてたのか?』
「そうよ。人気商品なんだから、味わって食べてね」
どこか得意げに言われると、それ以上の追求が出来なくなる。丁度良く席へと着いたのか、案内をするウエイトレスが素早くすれ違っていく。が、ルッチは目の前の扉に首をひねる。
『個室、なのか』
「その通り」
躊躇うルッチを放って一人入っていくに、やはり意識されていないのかとルッチはうな垂れた。いくら友人のようなやり取りをしても、カップルだらけの街を手を繋いだまま歩いても、の中でルッチは弟のままなのだ。
見たくもない事実を突きつけられ落ち込むが、部屋の中からの催促に引き寄せられるように入室する。ここで引き返せば傷は浅いと知っていながら、長年の習性でいうことを聞く自分をルッチは恨めしく思った。
「ハットリの分もあるよ。座って座って」
すでに並べられた料理たちの姿に、一瞬ルッチもハットリも絶句する。五人分の料理くらいは並べられるのだろうそのテーブルは、今や所狭しと鮮やかな料理を並べており、隙間などコップ一杯分しか見つからない。
嬉しそうに椅子へと手招きするは、ルッチの反応に満足しているらしく、満面の笑み。
「冷めないうちに食べちゃおう。さ、座って!」
言われるままに椅子に腰掛け目の前の料理を口にするが、ルッチには最高に美味いとは思えなかった。それなりに美味いとは思うが、ここまでして食べるような料理と思えない。
が、を盗み見るとルッチの美味しいだとかそう言う反応を待っているようで、にこにこと笑顔を振りまいて星が生まれてくるんじゃないかと言うほど、上機嫌で待機していた。
こういうときのルッチの行動は素早い。
『美味いな』
の望んでいるだろう言葉を言うと、今度はルッチの望んでいた笑顔が眩しいばかりに輝きだす。そうでしょ、そうでしょと興奮気味に笑い出し、も食事を開始する。
しばらくは赤く染まった頬のまま笑顔で、ルッチは無表情ながらもの表情を盗み見ながら食事が進み、ハットリも用意されたハロウィン料理をつついていた。
店からはささやかな音楽が流れてきて、今がハロウィンだと知らしめる。
それは目の前の料理も同じことだが、どちらかと言うとばかり見ているルッチにはあまり関係のないことで、口に入れてからこれはなんだと確認する作業を挟まねばならないほどだった。
ふと、がルッチの顔を静かに見つめていた。ルッチは気づかないフリをしようかとも思ったが、会話がないのも寂しいので話しかけることにした。
『おれの顔に何かついてるか?』
「んーん。ルッチと一緒に食べられて、良かったなと思って」
何気ない言葉だが、ルッチはの寂しさを見た気がした。離れていた二年間、弟がいないのもそれなりに寂しかったのだろうな。その考えに思い至ると、視線が合い微笑むへと手を伸ばした。料理へと伸ばしていたその手を絡み取り、少々強引に引き寄せる。
「わ、ちょ、ルッチ!」
慌てて立ち上がってテーブルを回ってくるは、程なくしてルッチの目の前に引き寄せられた。困惑顔がルッチの顔を覗き込み、唇は小さく囁いた。
「ルッチ?」
その呼び声に答えることなく体に腕を回し、の体を引き寄せ抱きしめた。
戸惑い動きを止めるの反応に、自分を男として意識すれば良いと思いながら抱きしめる腕の力を強くした。
「……ルッチ」
「姉さんは、ひどい」
「なにが?」
「その態度が」
「どの?」
「……全部ですよ」
決定的な一言を言うのが怖くて、八つ当たりの様にルッチが言うと、それは困ったなとがため息をつく。胸元に縋りつくルッチの頭を撫で、ハットリに後ろ向いてとお願いしてから、もう一度ため息をつく。
「全部?」
「そう、全部です」
「こんなに優しいのに?」
「だからです」
「ルッチが好きなのに?」
「そんなに簡単に言うからです」
「本心だもの」
「うそつきだ」
「ルッチ」
咎めるような声に、ルッチがますます腕の力を強くする。顔が見えないように、見せないように強くする。
「姉さんはうそつきで、嫌な人だ」
小さな子供に戻ったかのようなルッチの態度に、は身を屈めてルッチの髪を掻き分け、その耳に唇を寄せる。
多少びくついたルッチに笑いを堪えながら、あのね、と話し出す。
「私が今日、なんで食事に誘ったかわかってる?」
「ハロウィンだからでしょう?」
「うん、それもあるけど」
「それ以外ないくせに」
「あるの。聞いて」
「弟だからですか」
「ルッチ」
いい大人の癖に、とは呆れた声を漏らす。けれどそれにルッチが答えることはなく、は微笑みを浮かべてその耳に真相を打ち明ける。
「今日の朝一番にこの店に来た一組のお客にはね、期間限定のあるコース料理がさらに限定コースになる食事券をもらえるの。ただし、恋人同士じゃなきゃ、食べられない」
ルッチが勢い良く顔を上げると、ばね仕掛けの様に上半身を起こしたは、自分を凝視するルッチの顔に笑い出す。
「あのね、告白はまだだけどいいかなって思ったのよ」
「ルッチは私を好きでいてくれてるし」
「事後でもいいかなーって」
「先に料理をセットしてもらって、美味しい料理に舌鼓打ちながら、告白するのも素敵かなって」
ルッチは今目の前でが口にした全ての言葉が単語となり、頭の中でばらばらに弾けてまたひとつになると言う作業を繰り返しながら、これは都合のいい夢だろうかと考えた。
楽しそうに微笑みながら言葉を続ける。
邪魔者のいない個室。
ハロウィン一色のコース料理。
カップルだらけの店内。
微笑む。
「ねぇ、ルッチはどう思う? センスの悪い作戦だったかな」
悪戯の手管を語るようなその表情に、ルッチはつばを飲み込んだ。
「」
「なぁに、ルッチ」
今まで伝わっていないと思っていた行為の全てが頭をよぎり、けれどそのいくつかは伝わっていたのだと言う事実にどこかしら熱くなる。自分の胸だとか触れている手だとか、抱きしめている体と触れ合っている部分だとか、諸々が。
「好きだ」
「……私も、好きよ」
ああ、こんな日が来るなんて。信じられない。
夢ではないようにと、触れ合う唇の熱さにルッチは祈った。
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