ハロウィン騒動
は眠ってしまった小さなカクを抱きしめながら、起こさない程度の音量でため息を吐き出した。幼い子供は体温が高く、少々肌寒い現在の中庭では湯たんぽ代わりのよう。けれどそれを良しとしてはいけないんだなと、目の前の少年を見ながら思う。
「姉さん、作業をするかカクごと別の部屋に行くか、どっちかにしてください」
ルッチに見上げながら怒られると、情けないというか申し訳ない気持ちが溢れてくる。は頭を垂れて謝罪した。カクを抱き上げているため、そんなに深くは頭を下げられなかったが。
「ごめんなさい。カクをベッドに寝かしたら、すぐに戻るから」
「起きたときに誰も居ないと、カクが泣き出すでしょう。もう引っ込んでてください」
「……ごめんなさい」
思っていたより強く叱られ、の頭がますます下がる。一度ルッチを見るが、ルッチは怒ったまましかめ面でを見つめており、反論すら許されない状況に、は大人しく引き下がるしか出来なかった。
「……あの、カクが起きたら、また戻ってくるから」
せめてと呟けば、ルッチは腰に手を当てて呆れたようにため息を付く。
「やり始めたのは姉さんでしょう? 当たり前だと思います」
「そうでした。……じゃあ、それまでお願いします」
ブルーノもカリファも、ごめんね。お願いします。と、カクが落ちないように抱きなおしながら二人にも頭を下げ、はルッチを振り返り振り返り、その場から去っていった。
ルッチはその後姿を見送ると、自分の嫉妬を一身に受けたを可哀想とちらりと思考の隅で思うが、それ以上に自分の感情を煽るが悪いのだと顔をゆがめる。
五人で居るのに、カクを優先することが間違いなのだ。
年の差など忘れて嫉妬に焼け焦げていると、それまで口を挟まなかったブルーノとカリファが、そんなルッチをじっと静かに見つめていたことに気づく。
その視線の強さに押されてしまい、思わずルッチの表情が固まった。
「な、なんだよ」
「別に」
カリファがあからさまにそっぽを向くと、ブルーノはカリファを見ながら苦笑し、ルッチへと向き直る。その手は器用にかぼちゃの中身をくり抜く作業を続け、座り込んでいるにもかかわらず立っているルッチの目線と、そう変わりはなかった。
「ルッチは、さんが好きなんだね」
「そんなこと言っていないぞ」
「まぁ、落ち着きなよ」
ほら、まだかぼちゃはあるよ。
ごろごろと転がっているかぼちゃの群れをブルーノに指摘され、ルッチはに引っ込めとまで言った手前、途中で作業を投げ出すわけにはいかなくなり、またしかめ面になる。
そのまま口を歪めて座り込むと、放り出していたナイフを手にとってかぼちゃへとえぐり込む。ブルーノほど手際よく行かず、苦戦しながらもナイフを突き立て、取っ掛かりをほじくりだすと、ざまぁみろとばかりに嘲笑う。
何に対しての嘲笑なのか、ルッチは考えていなかった。そしてそんなルッチを見て、ブルーノが苦く笑うことなど気づいてもいなかった。
そこまで好きならば、もういっその事自分の感情を認めて開き直れば良いのに。器用なくせに恋愛ごととなるとプライドか、未知の領域のためかルッチの行動は恐ろしく子供じみたものになる。残虐性を帯びているといってもいい。ブルーノにとっては微笑ましいが、やはり当たられるやカクは辛いだろう。
小さな集団の年長者としてブルーノは、自分の感情を操る大切さを日々学ぶ。
「ルッチ、嫌ならやらなくていいんだよ」
思わず聞き流してしまいそうなブルーノの声に、ルッチの歪んだ笑みがさらにゆがみを増して、怪訝なものになる。
発言主を見つめその真意を測ろうとするが、ブルーノは微笑むだけで作業を続け、ルッチの視線の応える素振りは見せなかった。声は穏やかで、ルッチを叱るようなものではなく、ただ淡々としていた。
「それに、無理に姉さんって呼ぶ必要もないと思うよ。嫌なら、止めて良いんだ」
ルッチの鼻の表皮が一瞬疼く。些細な反応だったが、同じくかぼちゃをくり抜いていたカリファにはすぐに分かった。ああ、ルッチの機嫌は今最低なのだと分かったが、そ知らぬふりで作業に没頭しているフリをする。
カリファにはルッチを諭しているブルーノを止めるつもりなどこれっぽっちもなく、むしろへの理不尽な態度に対して怒っていたので、もっときつく言ってもいいんじゃないかとさえ思っていた。と同じく、ブルーノも自分達に対して甘いのだ。
「どういうことだ、ブルーノ」
殺気をまといだしたルッチを見ることなく、ブルーノはかぼちゃの中身を丁寧にくり抜いていく。中身を掻き出して整えて、表情が出るように皮も丁寧に切り込んで、そしてくり抜いた中身と貫通させる。
「ああ、上手くいったな」
「答えろブルーノ」
我慢の聞かないルッチは、答えないブルーノに早々痺れを切らす。それなのにブルーノは聞いていないのか、カリファが上手くいかないと手こずっている作業に、アドバイスを始めてしまう。
「そこは手首を使うんだ。そう、ほら上手くいった」
「ブルーノ!」
ルッチが怒鳴り声を上げると、ぽこりとその頭に何かが降って来る。反射的に三人が上を見上げると、なぜか怒り心頭のカクと目が合った。窓枠から身を乗り出し、手にはかぼちゃを持っていた。ルッチの頭に降ってきたのも、同じく小さなかぼちゃ。
状況がつかめずルッチが呆然としていると、カクが泡を飛ばす勢いで怒鳴りだす。
「ぶるーのにやつあたるな、ばかるっち! おまえのせいで、わしはうまくねむれんわい! さいていじゃ、わしよりおとなのくせに! すこしはぶるーのをみならえ!」
背後から慌てたような足音が響き、が姿を現すとあっという間にカクを抱き上げさらうが、窓枠をしっかりと握り締めているカクは興奮も露に言葉を続ける。
「だいたい、なんでるっちがおこるんじゃ! おこるようなこと、なんもないとしかおもえんわい! たんきるっち、たんきるっち! をひとりじめしたいなら、そうすればいいじゃろうが! あたまのわるい、ばかるっち!」
「言わせておけば、カク、お前何を言ってるか分かってるんだろうな!」
「るっちより、わしのほうがれいせいじゃわい! ばーか、ばーか!」
「降りて来い! 今すぐ降りて来い!」
すでに誰も口が挟めない攻防を繰り広げ、カクはに抱かれたまま窓から飛び降りようとするし、ルッチは持っていた刃物を投げつけようとするしで、周りの三人はそれぞれを止めようと急いで動き出す。
だが興奮している二人を止める決め手にはならず、ルッチは実力行使で止められる前に刃物をカクに投げつけ、それを見たカクはの腕の中から飛び出して窓から躍り出た。
カリファが思わず悲鳴を上げ、ブルーノが一歩遅くルッチを羽交い絞めにする。振り払われたはカクを追いかけて窓から飛び出し、小さなカクを捕まえながら地面へと落ちていった。
「姉さん!」
カリファの悲鳴が響く中、ルッチがようやく正気を取り戻す頃には、全てが終わっていた。
一瞬の出来事、あっという間に起きたこと。
地面には叩きつけられたのだろうが横たわっていて、その腕の中にはカクが抱き込まれていた。潰さないようにとの配慮か、仰向けになったの上にその小さな体は抱きこまれ、丸い目をさらに丸くしてを呆然と凝視していた。
痛々しいほどの沈黙が居座り、それを追い払ったのは一人冷静さを見せていたブルーノだった。
ルッチを開放してへ駆け寄ると、すぐに落ちてきた二人の意識を確認する。
「カク、さん、大丈夫かい?」
カクはそんなブルーノを見上げるが、口が利けないのかただただ唇を震わせるだけで、見る間に涙を溢れさせていく。ああ、怖かったろうと抱きしめると、カクはブルーノの胸に顔をうずめ、震えながら身を強張らせた。
「……さん」
もう一度ブルーノが声をかけると、固く瞑られていた瞼がようやく動きを見せる。そのまま緊張した空気の中、瞼は力なく開かれていき、自分の腕の中へと視線を移した。
その視線の意味を理解したブルーノが、安心させるように微笑む。
「大丈夫だよ、カクには怪我ひとつないよ。さんのおかげだ」
ブルーノの声に、ようやく気がついたという素振りでは視線を向け、その腕の中で泣きそうになっているカクを見つけると、小さく名前を呼んだ。まるでそのまま儚くなってしまいそうな声に、カクは返事をせずに首を横に振る。
「カク」
けれどブルーノに促され、小さな声だが返事をすると、はやっと安心したように息を吐いた。
「こわかった?」
「……、は」
「私は大丈夫、気が抜けただけよ」
そういうとブルーノに目配せし、はゆっくりとだが体を起こす。そしてカクとブルーノに向き直ると、あちこち付いた汚れを払いながら笑みを浮かべた。
「ほら、おいで」
腕を広げたに、カクはようやく大丈夫なのだと確信してぽろりと涙をこぼした。次の瞬間には、まるで火がついたかのようにカクは泣き出し、ブルーノもも苦笑する。
「ほら、ほら、大丈夫だから」
ブルーノの腕の中からへと手を伸ばすカクは、届いた瞬間にの胸へと縋りつく。わんわんとエニエス・ロビー中に響き渡るのではないかと言う音量に、は何度も謝罪する。
「ごめんね、怖かったよね。ごめんね」
ブルーノはそんな二人を見て大丈夫と判断し、の部屋へと飛んでいった刃物を回収してくると姿を消す。
ようやく自分のやってしまった失態に気づいたルッチは、それまでの一場面を傍観してしまっていたが、自分の行動が信じられずに呆然としてしまう。無意識に額を押さえ、の胸で号泣しているカクに妬くどころではなかった。
「ばかね」
ぺち、と軽い音をたてて後頭部に痛みが走り、振り返るとあきれ返ったカリファがルッチを睨んでいた。その目じりは少々赤くなっており、彼女も今しがたの場面に衝撃を受けていたことが良く現れていた。
「あなたとカクは、姉さんにとって違う存在なのよ。小さいほうが保護されるなんて、当たり前じゃない。変なやきもち焼いて、今姉さんやカクが死んでたらどうするつもりだったのよ」
「まったく馬鹿なんだから」
もう一度ぽこりと後頭部を拳で叩かれると、ルッチは呆然としたままカリファを見つめる。カリファはルッチからたちへと視線を移し、ルッチもそれに導かれるかのように件の二人を見た。
「あーもー、好きなだけ泣いちゃおう! ほら、もっと大きな声で泣け! ストレス解消だー!」
「うわあぁあああああん!」
「さん、あんまり煽らないで」
部屋の窓からブルーノの突込みが入るが、は泣きたいときは泣いた方がいいと笑顔でカクをあやす。
ああ、こんなにも幼い子供に刃を向けたのかとルッチはようやく笑い出し、自分の不甲斐なさに脱力する。訓練をしているとはいえ、子供一人抱えて上手く着地の出来なかったも、体のあちこちが痛いに違いない。自分が大人気なかったとルッチは己を省みた。
「謝ってくる」
「まだカク泣いてるわよ?」
善は急げとカリファの言葉を聞き流して、ルッチは二人に駆け寄った。はすぐ気づいて笑顔を向けてくるが、カクと一騒動やるまえに自分が向けた言葉を思うと、ルッチはの笑顔を直視できずとっさに視線をそらしてしまった。
が表情を曇らせていることを、視界に端で見てしまいながらも、出来るだけ優しい声音を心がけながら、ルッチはカクへと声をかけた。
「カク」
「ああぁああん! わああぁああん!」
「カク、悪かった」
ルッチの一言に、ぴたりとたちどころにカクの泣き声が止まる。なにか不思議なものを聞いたようなきょとんとした表情で、カクはルッチを見つめてきた。
「おれが悪かった、ごめんな」
ルッチはそれにもめげずに謝罪し、更にはカクへと頭を下げた。
「ごめん」
カクは事態が信じられないのか、とカリファへと視線の送るが、二人とも肩をすくめて苦笑するばかり。目の前には頭を垂れるルッチが居て、カクはそっとそのもみじのような手を伸ばした。
ルッチの頭を二度三度と撫で、おそるおそる言葉を口にする。
「わしも、……いいすぎたわい」
こまっしゃくれた謝罪に、思わずその場に居る全員が吹き出してしまう。
吹き出した反動で目線を上げたルッチとの視線が合い、また笑いが漏れる。
「カクには敵わないな」
「それは同感ね」
ルッチが前髪をかき上げながら笑い、も共感すると頷いて、カリファが馬鹿らしいわと両手をお手上げ。そこに刃物を拾ってきたブルーノが戻り、あっという間にその場の雰囲気が柔らかいものになる。
「私、かぼちゃ加工しとくわ」
「わしもやるぞ、かりふぁ」
「ルッチ、今度から自分で取りに行くんだな」
「悪かったな、ブルーノ。……姉さんも」
「今度から私も気をつけるわ。でも、あんまり過激なケンカはしないでね」
それぞれがかぼちゃの周りに集まり、それぞれがまた刃物を持ってかぼちゃの加工へと作業を始める。先ほどまでの大騒ぎなどまるでなかったかのように、仲良く円を描いて皆地面へと座り込んだ。
カクはカリファの横に座り、その横にはブルーノが腰掛け、さらに横にはとルッチ。それぞれが先ほどまでの作業を再開し、騒がしいまでのおしゃべりをしながら手を動かした。
「かりふぁ、そこちがうぞ。はがなくなるわい」
「カクも手元を見なきゃ、指を切り落とすぞ」
「もういっそ、かぼちゃはブルーノがやれば早いと思わない?」
三人はわいわいと楽しくおしゃべりをするが、残りの二人は喋りながらもどこか探りあいのようになっていた。
「……姉さん、さっきはごめん」
「いいのよ。ルッチの作業の邪魔になってたのよね? 今度から気をつけるわ」
「違うんだ、おれが気にしてただけなんだ」
「気にしてたって、カク?」
「……も、そうだけど」
ルッチは彫っていたかぼちゃを抱えながら、を見て難しい顔をする。眉をしかめ、眉間のしわを増やしながら唇をゆがめた。
「カクの言うとおり、独り占めされるのが嫌だったんだ。子供って勘がよくて困る」
にとっては意外な言葉で、思わず口を開けて聞いてしまう。そしてそんなを見たルッチは、言うんじゃなかったと顔を真っ赤に染め上げた。
「……私、嫌われてるんじゃなかったの?」
「逆です、逆。好きだからです」
さあ言った! と傍で三人が聞いているとも知らず、ルッチは誰からも視線をそらしながら忙しなく手を動かしていく。かぼちゃはすでにぐちゃぐちゃで、到底ハロウィンで使える代物ではなくなっていた。
「……私も好きだよ」
微笑むにルッチは顔を上げるが、なんだか母とか姉とか慈愛とかそういう表情だったのを見ると、ありがとうございますと言いながらこっそりふてくされるしか出来なくなっていた。
「ありがとうルッチ」
あー、姉さんは男の純情が分かってないなーと、三人がそばで呆れているのに二人とも、まったく少しも気づいていなかった。
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