3秒前
年に一度のハロウィン色に染め上げられたエニエス・ロビー内を、特に感慨もなく自室窓から見下ろしながら、ルッチは降り止んでいく雨と海列車入港音にの帰還時刻だと気づいた。
ハロウィン目前にして無理矢理ねじ込まれた任務に、渋い顔をしながら出かけて行った。スパンダムの複雑そうな顔を一瞥しルッチたちへと苦笑を向けると、すでにカク以外成人しているその顔ぶれに、すぐ帰るからと後の準備を任せて素早く任務地へと旅立った。
ルッチたちに伝えられた内容は、早ければ一週間もせずに戻れるような任務であり、他のCPナンバーでもできるのではないかと言う任務だった。なぜ今これがに回ってくるのだと皆一様に首を傾げたが、スパンダムが口を割らない限り答えは出ない。スパンダムの口を割らせるよりも、が任務をこなした方が早いのは目に見えていた。
そのが任務終了の連絡を入れたのは、開始から三日後のこと。息を上げてむせながらの報告に、スパンダムは訝しげ、続けて連絡を受けたルッチたちも不思議がった。無事に終わったとの言葉と、すぐに戻ると言う言葉に疑う余地はなく、現在カクとカリファは海列車まで迎えに行っている。
「おれも迎えに行くか」
仰々しい迎えを喜ばないだが、折角の楽しい時間を潰されての任務なのだ。それも毎年きちんと仕事をこなした上での休暇中だというのに、その落胆振りはいかほどだろう。きっと任務終了から戻ってくる短時間の間にも、ハロウィンへの期待は膨れ任務の愚痴が溢れているに違いない。
そんなを想像し、ルッチは思わず笑い声を漏らす。時折カク達が見ていない隙に、ほんの少し尖らせた唇で不満を表したりしているを連鎖で思い出し、その表情を知っている自分の愉悦に酔う。姉ではなく、一人の女性として存在しているの姿に胸が跳ねる。
そんなを迎えに行かない道理はないなと独り納得すると、窓辺から離れ簡単に身支度を整える。鏡の前で確かめさて部屋を出ようかと言うとき、無粋にも電伝虫が喚きだす。
「なんだ、こんな時に」
が出かけ際にかぼちゃの帽子を被せていった電伝虫は、ルッチの気も知らずに鳴り続け喚き、しばし廊下と電伝虫の間で視線をさまよわせていたルッチは、首を一振りすると諦めて電伝虫を手に取った。
「ルッチです」
緊急任務かもしれないと、ありえないと思いつつもかしこまった対応をとるが、聞こえてきたのはを迎えに行ったはずのカリファの切羽詰った声だった。
「ルッチ、私よ。医者を呼んでおいて貰えるかしら、今すぐに」
「カリファ? 姉さんを迎えにいってたんじゃないのか?」
姉さんの監視についていった人間が怪我でもしてたのかと推測したが、それはカリファのため息で否定される。念を押すようにゆっくりと告げられた言葉に、ルッチの眉が跳ねる。
「その姉さんが視力に異常をきたしているの。いいからお願い」
予想外の言葉に言葉を躊躇う暇もなく通話を切られ、ルッチは受話器を置きなおすと医者へと連絡を取り付けた。予め入港直後に連絡を入れられていたらしいが、ルッチの言葉で更に急ぐと言う返事に通話を終える。予想をしていなかった事態に、ルッチもエニエス・ロビーの玄関へと急いだ。
「で、言い訳はありますか」
「……ないわ」
ルッチはをベッドに腰掛け医者の診断を受けさせると、二人きりになった部屋の中ため息をつく。瞼も開けられないらしいその症状に、医者も無理矢理瞼を開かせるわけにも行かずにお手上げだといっていた。せめてと瞼の端から取れる粘液を採取し、目に投げつけられた粉末のサンプルを持って退出したが、の説明にルッチは腹が立つよりもあきれ返っていた。
ルッチはただ瞼を閉じただけにしか見えないの様子に、壁に背を寄りかからせて首を捻る。の部屋の壁もハロウィン一色で、かぼちゃの写真だとか魔女の帽子だとかランタンだとかが飾られており、騒々しいことこの上ない模様替えが完了しているが、それらも全ての目には映っていない。
「止めを刺せたか確認もせずに、敵に背を向けたんですか」
「向けたわけじゃないわ。確認しようと屈みこんだら、目に粉を投げつけられたのよ」
「それでも、動く気配が分からないわけはないですよね」
「それは……そうだけど」
ルッチの追求に気まずそうに言葉を濁し、視線をルッチのいないほうへと向ける。ルッチよりも弱いのは確実なのに、はたまに分からない行動を取る。動いたと分かった瞬間に止めを刺しなおせば、こんなことにはなっていなかっただろうに、これではハロウィンも目が見えず、万全の構えで楽しめないが損なだけだ。
ルッチは組んでいた腕を解くと、の目の前に立った。気配で分かったのだろうはルッチを見上げるが、瞼は閉じたままで微妙に顔を向けている角度が合っていない。
不安なのか瞼の下で目が動いているのが見えて、微笑ましい様子に思わずその瞼に触れてしまう。
ルッチの綺麗に切り整えられた爪が薄い瞼に触れ、そのまま指の腹が柔らかく眼球の存在を皮膚越しに感じ取る。骨ばった中指が完全に触れると、両横の指も瞼を覆い隠すかのように触れていき、なだめるように横へと動かす一連の動きでの眼球は動きを止めた。そのまま手のひらで頬を包み、親指が確かめるように瞼を撫でる。
特に瞼や眼球が高熱を持っているわけでもなく、裂傷も不快な症状も出ていないようだ。医者の問診を受けていることからもそれは明らかだったが、ルッチは自分で確認して改めて安堵する。
そのまま頬を数度撫で手を離すと、不思議そうに名前が呼ばれた。
「熱は出ていないようですね、ハロウィンはどうしますか?」
もちろんやりたいと言うだろうと見越しての質問だったが、は口を開けたはいいが返事をしない。
「姉さん、したいんですよね?」
当たり前の確認として聞くが、やはりは返事をしない。
ルッチへと手を伸ばし、服の裾を掴んだかと思えばようやく小さな声が聞こえてきた。
見上げられている顔が横に振られ、眉が困ったように寄せられる。
「残念だけど、この状況じゃあ満足に楽しめないわ。誰かに手を貸してもらわないと、スパンダムみたいに料理に頭を突っ込みそうなくらいよ」
どこか自嘲気味なその言葉に、ルッチはらしくない落ち込みを見た。服を掴むその手が若干白く見え、それもまたらしくないの様子だった。ルッチはその手を片手で包み、もう片方の手での頬に触れた。
まるでが心細さで小さく見えるような気がして、微笑ましくて笑みがこぼれる。
「でも、楽しみにしてたじゃないですか」
「ええ。でも、このままじゃ迷惑をかけてしまう。それは嫌なのよ」
それでも、絶対にハロウィンパーティーをしないとは言わない。
ルッチの何か言葉を待っているのか、考えをまとめようとしているのかの判断がつかず、ルッチもそのまま次の言葉を待つ。ルッチの手を握り返してきたに、思わず手を引こうとしてルッチは自分の行動に目を丸くした。
も同じだったのか、意外そうに眉が上がり口元に笑みが浮かんでいた。今日最初の、心底からの笑みに見えた。
「逃げないでよ。……ルッチが手伝ってくれるなら、パーティーに行けそうなんだけど」
「おれに何をさせようって言うんですか?」
「当ててみる?」
ようやくいつもの調子を取り戻してきたのか、はルッチの手を引き寄せながら小さく笑い声をこぼす。すごく面倒くさいことだよとの言葉に、ルッチは目を丸くした以上に頬を緩ませた。望むところだと内心で呟き、自分の推測が外れていないことを次の言葉で喜んだ。
「目が治るまでの間、私の傍にずっといるの。ね、面倒くさいでしょう?」
ね、お兄ちゃんと囁かれるいつもなら眉をしかめる言葉にも、四六時中傍にいられる手形だと思えば、ルッチにとっては苦痛でなくなる。現金な己に笑いながら、ルッチは頬を撫でていた手でを胸に抱き寄せた。
「ッ、ルッチ?」
「喜んで介護してあげますよ、姉さん」
「介護だなんて失礼な、せめてエスコートにしてよ」
「そういうことにしておきます」
「意地が悪いよね、ルッチは」
拒否されなかったことに喜んでいるのか、は拗ねた言葉を口にしながら、甘えるように頭を摺り寄せてきた。くすぐったくてルッチは表情を引き締めることが困難になってしまう。二人きりの室内で、災難だがの目が見えない状態で良かったと思ってしまった。心細いゆえの甘えだろうに、ルッチに恋愛感情があるわけではないだろうにと分かっているのに、頬の緩みが止まらない。
あたたかい体温と鼓動を感じて、ルッチは片方の手を離してもらうと、両手でを抱きしめ、その髪に顔をうずめた。
「今年も皆でハロウィンを楽しめそうで、安心しました」
掛け値なしの本音に、が面映そうに笑う。ルッチの背に回った両腕が、その存在を確かめるように力強くなった。
「うん、幸せだね」
「で、なんでルッチが姉さんの面倒を見とるんじゃ。わしでも良かったじゃろうに」
カクの言葉にルッチは鼻で笑う。大人しくルッチの隣に立ち、カクの言葉に返事をしようとしたの口にルッチからケーキを突っ込まれ、驚きながらも租借している間に代わりの様にルッチが口を開く。
「その場にいなかったお前が文句を言うな。ガキが」
「わしは姉さんの仕事の後始末をしとったんじゃ! ルッチがしても良かったんじゃぞ」
ケーキを嚥下したは、今度こそと口を開くが目ざとく見つけたルッチがその手にグラスを渡す。落とさないようにグラスの底を支えながら、ゆっくりと口元まで誘導するまでの徹底振りに、の舌が固まる。
「姉さん、まだ昼間なのでジュースにしましたよ。冷たいので気をつけてください」
「あ、ありがとう。で、カク」
最後まで言い終わらないうちに唇にグラスのふちを持ってこられ、グラスの底から伝わってくる力加減には喋る間もなくジュースを口にする。ルッチはそれを見守りながら、カクの睨みに余裕の笑みで持って肩をすくめて見せる。
「まぁ、お前も楽しめばいいじゃねぇか。姉さんの面倒はおれが見るからな」
「わしも姉さんと一緒にいたいんじゃぞ。ルッチこそ姉さんをわしに任せて、楽しめばいいじゃろうが」
「おれが頼まれてやってることだ。口出しするな」
二人の会話に入りたくてもグラスを押し付けられて飲むしかないは、とにかく中身のジュースを飲み干すことにして会話を聞いていた。会話が白熱するにつれグラスを支えるルッチの力が増していくのが怖いが、唇や歯に当たるようなことはないのでは安心しつつ急いでジュースを飲み干していく。
その間にカクがいくつか料理を切り分け小皿に乗せ、いつでもに差し出せるように準備をするが、がジュースを飲み干した途端にグラスをルッチに押し付けられ、反対に小皿を取られて手柄を奪われてしまう。
「姉さん、いくつか料理がありますけどどれから食べますか。肉も野菜もデザートも、全部揃ってますよ」
「それはわしが取り分けたものじゃぞ。ルッチ」
「どっちでもいいじゃねぇか、どうせ姉さんが食べるものだ」
とてもいい笑顔でカクへと笑いかけるルッチは、本当にどちらでもいいらしい。目が見えないは視線をルッチとカクの方へと交互に向けるが、口を開こうとしても言葉が出なかった。
「ええと、カクもルッチもありがとう。後始末も任せた上に、こうやって細々ごめんなさい」
「姉さんは気にしなくていいんですよ。ほら、これから食べますか? 5年に一度しか取れないと言われる、姉さんが楽しみにしていた材料で作られてますよ」
甲斐甲斐しく口元まで料理を運ぶルッチに、は戸惑いながらも口を開く。ほんの少し差し出された舌にそっと乗せられる料理と、それをまるで親鳥の様に柔らかい視線で持って見守るルッチに、カクはあんぐりと呆れて口を開く。
見たくないものを見てしまった気がして頭を振るが、ふと向けた視線の先でスパンダムが涙ぐんでいるのが見えた。カクと目が合うと無理矢理目元を拭っていたが、あれは確かに泣いていた。
改めてルッチとを見るが、その様子はまさに出来上がったばかりの恋人同士もかくやなべたべたっぷり。誰よりも付き合いが長いスパンダムさえも涙ぐむ接近振りに、カクは姉を取られた悔しさよりもルッチへの呆れた気持ちの方へと意識が傾いてきた。
そう、見た目だけで言えば恋人同士に見えなくもない事実に、カクは今までルッチの一方通行だと思っていたが、もしや両想いだったのではと疑問が浮かんでくる。そんなことはないと断言したいが、は戸惑いながらもルッチの手を借りているし。
そこまで考えると、カクは顔色を変えてを見た。
「姉さん、もしやと思うたんじゃが」
「なに?」
丁度小さく切り分けられた料理を嚥下したが相槌を打つが、ルッチがつまらなそうにカクを見る。会話を始める気でいるはルッチが料理を差し出しても口を開かず、カクの次の言葉を待っている。
カクはルッチとを交互に見て、ありえないと疑いつつも声を潜めながら聞いてみた。
「もしかして着替えも、ルッチにしてもらったんかの?」
その瞬間吹き出したと、何を思い出したのかよそを向いて舌打ちをするルッチに、カクは思い当たることが合ったのか思っても見ないことだったのか分からずにつばを飲む。
変なところにつばが入ったらしいが咳き込むが、ルッチが素早く飲み物を差し出して飲むよう囁く。すぐさまは口にするが、落ち着くには少々時間が掛かった。
「っは、カク、あなた、なにを」
本気で苦しかったのか息の上がったに、カクはもどかしく急かした。
「どっちか言うだけでもいいから、姉さん教えてくれんかの」
「どっちって」
が口を打ち上げられた海洋生物の様に開け閉めしていると、ルッチがため息をついて心底残念そうにカクを見て呟いた。
「風呂場の中までは拒否されたぞ。そんなに広くないから大丈夫だとかいってな」
「ルッチ! 貴方は黙ってなさい!」
「あ、じゃあそこまではやってないんじゃな。なんじゃ、紛らわしい話をしおって」
「紛らわしいって、私はそんな話をしてません」
顔を赤くして怒り出すに、カクは安心して言葉をこぼしルッチは眉間の皺を深くしながらため息を吐いた。
「姉さん、見えないままじゃ危ないですよ。現に転んでいたじゃないですか」
「転んでません。躓いただけです」
「ルッチ、姉さんは良いと言うとるんじゃぞ。図々しい」
「おれは姉さんを思って言ってるんだ」
言い募る二人に外野となっているスパンダムが悲しそうに視線を送ってくるが、カリファが眼鏡を押し上げてセクハラだと呟くと、ショックを受けつつ料理をまた突付きだす。が、突付き損ねて空に舞い上がった料理を、ブルーノが慣れた仕種で受け取って元の位置に置く。そしては、元気に口論を続けるルッチのほうへため息と共に呟いた。
「ルッチ、なんだかスパンダムみたい」
ルッチの動きが止まり、カクが爆笑する3秒前。
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