巡る感情
「」
「はい、ぱーむ」
パームは切り出したはいいが、目の前に座っているの笑顔に言葉を詰まらせた。先ほど中身を見せてきた一抱えもある紙袋をふたつと、その中身に付属するものを被ったは、無邪気に同じ言葉を繰り返す。
「はやく、じかん、ぱーむ、いしょう、きがえ」
悪意の塊や自分の意思に沿わない善意ならば、パームは遠慮なくブチ切れる。けれどは悪意を持って発言しているわけでもなく、パームの意思に沿わない善意と言うわけでもない。パームの意思に沿ってはいるがどことなくずれていて、そして押し付けられているわけではないのだ。
紙袋からはみ出している棒をパームが見ると、すぐには取り出し差し出してくる。笑顔を絶やさない様子に、芯からパームに良いことをしていると思っているらしい。パームはため息を吐き出しながら、渡された箒を手に取り確かめる。
「これ、ジャズラーの58年モデルじゃない」
箒の柄に使われた樹の質感、たぎり纏いつくオーラ、うっすらと金色の筋に彫られた年号とサイン。柄の中ほどを強弱つけて捻り弄ると、ジャズラー作品としてはメジャーなカラクリ仕掛けが姿を現す。パームは呆れたように呟いた。
その道のマニアの間では二級品とされていながらも、根強い人気を得ているジャズラー作の箒は、素人が簡単に手に入れられるようなものではない。それこそ、財産の半分を投げうつ馬鹿もいる世界だ。高々ハロウィンの仮装のためだけに手に入れるような、そんな安いものではない。
「貴女、どうやって手に入れたの」
パームがあらゆる方法を浮かべては消し、最悪な想像をして静かに怒りを蓄え問いかけると、は瞬時に笑顔を消して俯いた。やましいことをしたのかとパームは怒気を強めるが、身震いしたは口を開こうとしない。
パームはの交友関係を知らない。それこそパームの周りでがどう関わっているかくらいしか知らず、旅団と懇意にしていることも知らなかった。
だからこそ、素人が手に入れられるはずのない箒を前にすれば、顔が広いノヴやモラウが関わっていると読んでしまい、それこそ古美術関係に入る目の前の品のために、ノヴの手を身勝手に煩わせたかと思うとはらわたが煮えくり返るどころではなかった。
「……いい子だと、思ったのに」
不穏な響きを含ませて、パームは死刑宣告の様に呟いた。
弾かれたようには顔を上げパームの顔を見上げるが、パームはそれに構わず台所へと進んでいく。包丁一本で事足りるかと見当をつけ、どれを使うか選びに入る。素人だし初犯なので、なるべくさっくり肉と骨が裂ける切れ味を。
ぶつぶつ不穏なことばかり呟くパーム。はその背中に息を呑んでしまったが、大急ぎで姿勢を正した。
「ぱーむ! ぱーむ! ごめなさい!」
パームは視線も向けずに包丁を鳴らし、切れ味のよさを冷蔵庫に入れていた生肉をぶった切ることで確かめる。まな板ごと切れてしまう激しさに、は震えながら謝罪を続けた。
「ごめなさい、てつだてもらた! ぱーむ、ほうきにあう、いいの、ほしかた!」
そんなことでノヴの手を煩わせたのかと、パームは怒りが湧き上がるどころではなかった。やはり初犯とは言え苦しませなければと、また別の包丁を出してくる。はその異様な雰囲気に押されながらも、涙ながらに頭を下げる。
「しゃる、のぶなが、ぱく、てつだてもらた! わたし、ひとりさがせなかた! ごめなさい!」
聞き慣れない人名に、パームはそこでようやく振り返る。は本気で泣き出してしまったようで、体を震わせながら小さく小さく縮こまっていた。
「ぱーむ、よろこんでほしかた。わたし、ひとり、さがせるおもた。ぱーむ、ごめなさい、ごめなさい」
どうもパームの思っていたような事態ではなかったらしく、の論点もどこかずれているのをパームは認識した。ノヴの手を煩わせたわけではなく、他の人間に手を貸してもらっていたのだ。最初は自分ひとりで捜そうとしていたらしい。
「私に、似合うと思って?」
パームが落ち着きを取り戻して声をかけると、は顔を上げたがまだどこか怯えているように身を震わせていた。小さくだが、何度もその頭が縦に揺れる。一人で見つけられなかったと、ごめんなさいとまた呟く。
パームは自分が怒っている事柄と、の誤っていることの内容の差異に首を捻る。包丁を持ったままの前に行き、腰を下ろした。
「手伝ってもらったの? 誰に?」
「のぶながと、ぱくのだと、しゃるなーく。ごめなさい」
「そこは謝らなくてもいいと思うんだけど」
すっかり落ち着いたパームは、自分の怒りの原因がないことにもが謝る理由もないことも、きちんと理解していた。だから呟いたのだが、は不思議そうに目を丸くして見上げてくる。だから怒ったんじゃないのかと、そう言いたそうな目だった。
パームは苦笑を浮かべる。先ほどまでの荒れた顔ではない、美人といえる部類の苦笑だった。
「やだ、私の勘違いだったみたい。は気にすることないわ」
「……ほんとう?」
「ええ、もちろん」
パームの浮かべた笑顔に、はようやくほっと安堵の息を吐く。その安心しきった表情を見て、パームもまた自分の感情の高ぶりに違和感を覚えた。
ノヴに関することならば、いつも別格だという自覚はある。けれどは今まで知り合った人間とは違い、まるで自分の人魚ちゃんのような存在なのだ。傍にいなくても良いが、いざという時にはやはり可愛がってしまう存在ではなかったか?
自分の感情の波が原因も分からず乱されたことを、パームは不快と感じた。だがそれを表面に出さずにいると、ようやく涙が収まったが不思議そうにパームの顔を見つめていた。
「なに?」
パームが問うと、どこか照れくさそうには視線をそらす。小さく笑い声を漏らし、パームの目を柔らかく細めた目で見返した。
「のぶ、せんせーちがうよ。わたし、てつだて、もらてない」
「え」
自分の考えが読まれたのかとパームは慌てるが、はそんなパームに気づかずに袋から魔女の仮装道具を引っ張り出す。
「ぱーむ、のぶ、せんせーことなる、おこる。してるよ?」
帽子を出しピアスや指輪を出し、衣装を引きずり出し靴を並べると、はまた照れくさそうに笑う。ほんの少し赤く染まった頬で言われた言葉に、パームの頬も赤く染まった。
「ぱーむ、さき、えがお、こいしてた」
「……貴女、なんでそういうことには気づくの?」
「なぜ?」
赤い頬のまま、呆れたようにパームがため息をついたが、は眉を上げて楽しそうに笑うばかり。
「はい、おそろい」
並べ終わった衣装と小道具に、はじゃじゃーんとばかりに両腕を広げて見せた。どうぞ着てくださいと並べられたそれは、パームの感覚では丈の短く露出の多い服に見えた。自分より若い年齢の女性が着るような、そんな服装。
けれどの顔を見れば、パームが着ることを疑う素振りもなくにこにこと微笑んでいて、パームはまぁ年に一度着るのも一興かと思えた。まぁ、たまには。
「……黒ね」
「まじょ、いろ」
「ふーん」
言いながら服を摘み上げるが、特に安い素材ではない。高い素材でないことも確かだが、先ほどの箒とは格が違う。少し頑張れば一般人でも容易に手に入る部類のものだった。
「あのね、これ、わたし、ひとりさがしたよ」
褒めてとばかりに浮かれた調子で言うは、先ほどまで怯えて泣いていた事実をもう忘れているようだった。それぞれ一つずつ指差して、これはどこで、これはどうやって、これはこうやってと説明する横顔は、本当に楽しそうだった。
「箒を探してくれた人に、他のは薦められなかったの?」
ふと思いついた質問を投げると、は途端に難しそうな顔になる。腕を組んで眉をしかめ、うーんうーんと低く唸りだす。
「?」
「それ、いう、ぱーむ、あう、いわれる」
「え?」
「のぶなが、やさしい、も、かほこ?」
「過保護?」
「そう、しゃるなーく、そういう」
ああ、なるほどねとパームは納得する。
ようするに、服装と言う身体的特徴を加味したものを選ぶなら、パームに会わせろと言って来たのか。納得して頷くと、は内緒話するように声を日閉めて、口の横に手を当てていた。
「ぱーむ、あわせない、わたし、ひとりじめ」
目を丸くするパームに、はどこか満足げに笑い出す。
「ね、きる、よ?」
「……そうね」
今度こそきちんと服を手に取ったパームは、言われるがままに丈の短い胸元が丸く開いた、そんな魔女服に袖を通した。所々黒のレースの施されたそれに、似合う似合うと喜ぶを見ると、パームも思わず微笑んでいた。
「いうわけ、で、おそろい! とりくおあとりと!」
「お忙しい中失礼いたします。トリックオアトリート」
仕事にひと段落つけ、会長に勧められるままモラウと自分を含めた三人で会食をしていたノヴは、我が目を疑った。なぜそんな格好をしているのだと問いたかったが、理性は冷静にハロウィンだからだろうと囁いてくる。二人が同じ格好をしているわけも問いたかったが、それは会長が聞いて解決済みだ。が持ってきたらしい。よくパームが文句も言わずに着たものだ。
「ほー、似合うもんじゃな。二人とも」
「ありがとうございます!」
「ありがとうございます、会長」
ちらりとパームがノヴに視線を送るが、ノヴは反応できずにいた。感想を言われたがっているのは、重々承知している。モラウも会長も面白そうにこちらを見るが、ノヴにとっては居心地の悪いものだった。
「のぶ、せんせー、ぱーむきれい」
そこへとんでもないことを言いながら、が笑いかけてくる。「のぶせんせー、は?」とかなんとか拙く言われなくとも、感想を強要されていることが分からないノヴではない。他男性二名の視線が、より一層強くなる。ノヴは眼鏡のフレームを押し上げた。
ノヴはどう流そうかと視線を二人に一応向けるが、褒めるつもりはなかった。まぁ、褒めてもいい部分は見つかったが、それを言うべきかの判断をしていたともいえる。が、それ以上にパームの持つ小道具に目が釘付けになる。
「パーム」
「はい」
どこか嬉しそうに答えるパームを無視して、ノヴは箒から視線をそらさない。
「その箒はどうしました」
言った瞬間、どこか物悲しそうにパームが見つめてくるが、ノヴはそれに答えない。モラウと会長がなんだつまらなんと白けているが、ノヴには知ったことじゃない。唯一、だけは身を硬くしていたが、それも小さなことだった。
「パーム」
「に頂きました。ジャズラーの58年モデルです」
「見せなさい」
「はい」
ノヴは渡された箒を見て、すぐに気づいた。表情を険しくさせ、会長へと視線を向ける。自分のひげを撫でていた会長は、おどけて肩をすくめていた。
「さん、これはどのようにして手に入れましたか」
詰問するような口調で問いかけると、の体が更に硬くなる。パームがその肩に手を置き、何事か言っているのも聞こえているかどうか分からない。パームが諦めたように口を閉じ、ノヴを見た。
「の友人が探してくれたと言っていました。たしか、名前が」
「わたし、もらた! ぱーむ、も、ともだち、も、わるいない!」
パームが言い終わらないうちに叫ばれ、その場に居る全員がいぶかしむ。パームがなだめるようにの体を抱きしめるが、その光景は癇癪を起こす妹となだめる姉のようだった。
会長の笑い声に、ノヴが呆れて息を漏らす。
「誰が悪いという話ではありません。この箒の出所が知りたいんです」
「わからない」
「そうですか」
が嘘の付ける人間だとノヴは思っていない。嘘をつく頭がないのだとすら思っているので、その言葉にすぐに納得した。何も知らずに箒を貰い、喜んでいたのだろうと見当をつける。
「パーム、貴女は気づかなかったのですか」
ノヴの言葉にパームはしばし黙るが、すぐに思い当たったかのように顔を上げる。申し訳ございませんと、頭を下げた。
何がなにやら分かっていないのか、は到底理解していないような狐につままれたような顔になっている。パームとノヴの顔を交互に見て、そして会長とモラウの顔を見て首をかしげた。
「ぱーむ、なぜ、おこる、される?」
「怒ってなどいませんよ。ただ、気づかないのが悪いだけです」
「それ、おこるいうよ」
「ちげぇねぇ」
モラウの茶々にノヴが視線を向けるが、モラウはモラウで肩をすくめてそっぽを向く。ただ一人事態を分かっていないは、ノヴの顔をじっと見つめていた。その視線に、ノヴは渋々口を開く。
「ジャズラーの作品は、どれもこれも仕掛けが施されているんです。58年モデルといってもそれぞれ個性を持っていて、特に神経への影響を与える仕掛けがこの年のモデルは多かった。パーム、そういう事は分かりませんでしたか?」
「いえ、確かに影響がありました。仕掛けを見たすぐ後です」
「やはりですか」
それでもまだ分かっていないに、ノヴは一語一語しっかりと発音して教えてあげた。
「この箒は、危険なので預かります」
が理解するには、数十秒を有した。
「やー! なぜ、なぜ!」
「危ないからです。しかも貴女は素人じゃないですか」
「ぱーむ、あげた! ぱーむの!」
「パームにもすぐには分からなかったんです。危険なので預かります」
「のぶ、せんせー、おうぼう!」
小一時間その場でノヴとは言い争い、結局は会長が預かるということで決着が付き、悪戯する間もなくは菓子を貰ってパームと一緒に帰宅していった。ノヴには深い疲労感を残し、他の男性二人には今後の酒の肴となった一晩だった。
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