内部事情



 一体全体、何がどうなっているんだとは頭を抱えて唸りたくなった。欠伸をしながらの頭の上に顎を置いているノブナガが、を胡坐の上に座らせなおし位置を修正するが、それに突っ込む気力もなかった。
「のぶなが、わたし、おうちかえる」
「そういう言葉ばっかり上手くなるのな、お前」
 先日、小さな宇宙人と人間の少年との心温まる映画を見たばかりなせいか、ここ数日は同じ言葉を良く口にしていたが、本日は本気の本気で心の底から家に帰りたいと思っていた。
「ま、お前が火種だ。止めて来い」
「……のぶなが、おとな、ごー」
「いや、ごーじゃねぇだろう」
 ほれ、と気の入らない声を出しながら、ノブナガはを抱えたまま立ち上がると、無理矢理を渦中へと押しやった。は嫌々立ち上がってノブナガを見上げるが、ノブナガもそこまで甘やかすほど甘いわけでもないので、やはり欠伸をしながら手で追いやった。
「んな面すんな。コルトピのところだぞ、喜んで行け」
「やかいばらい、されてるき、する……」
「違うっつの。子守りして来いって言ってるだけだろ」
「やかいばらいだ……」
 がっくりと肩の力を大幅に落としながらも、は力ない足取りでコルトピの方へと向かっていく。コルピトと対峙しているのはシャルナークで、どちらもとてもご機嫌麗しい殺気具合を出して周りを念の渦と化していた。
 ちょっとどころではなく、素人は近寄っただけで死ぬのではないかな? とは頭の隅で考え、冷や汗を流す。
 そんなを置いて外に行こうとしていたノブナガは、思い出したかのように顔だけドアの向こうから覗かせた。
!』
『なんですか!?』
 やっぱりやらなくていい、と言われるかと思ったは満面の笑みで振り返るが、またも脱力する。
『怪我しそうになったら、一旦逃げろよ。お前じゃ木っ端微塵になっだろ』
『一旦、ですか』
『お前が収拾つけなけりゃ、誰がつけんだよ。団長いねぇんだぞ』
『……はーい』
 んじゃな。と今度こそ外へと行ってしまったノブナガに手を振り、は意を決して振り向きなおした。
はぼくと出かけるって言ったんだよ。シャルは下がってなよ」
は良いって言ったんだから、コルトピこそ黙ってなよ。三人で出かければいい話じゃん」
「最初はぼくとの二人で出かけるはずだったんだ。シャルが口を挟まなければね」
「それは残念だったね。おれも一緒だけどよろしく」
 もう一度二人に背を向け、会話の淡々とした運びと二人の張り付いた微笑みのオーラに当てられてたは、思わずその場に膝を着く。ぜーぜーと荒い呼吸を繰り返すが、思ったより二人の念の渦の力は強いらしく、先ほどからは鳥肌が止まらない。
 なんでシャルナークの目の前で、コルトピと外出の話をしたんだろう。なんでシャルナークのお願いをすんなり聞いたんだろう。なんで最初の段階で、二人の言い合いを止めなかったんだろうと、の後悔は尽きない。
「だから、シャルはもう望みがないんだから諦めなよ」
「それを決めるのはだろ? おれは諦めないよ」
「しつこい男って嫌われるパターンだよね。知ってた?」
「自分が好かれてるって過信してる男って、飽きられるって知ってた?」
 コルトピとシャルナークはお互い一歩も引かず、かと言ってどちらかがリードすると言うわけでもなく睨み合いは均衡状態に陥っていた。
「大体さ、なんでコルトピが誘われてたわけ? おれでもよかったのに」
 シャルナークとしても、と出かけようとチャンスを窺っていたのだ。ハロウィン限定仕様となっている、某人気アトラクション施設のパスポートも購入済。もちろん自分との二人分で、いつでも人気のレストラン予約も取れるように裏工作は万全だ。あとは切り出すタイミングだけなのに、なぜこんな時期にコルトピが出張るのだ。
 コルトピはシャルナークの言葉に、小さな声で笑い出す。
 それにシャルナークが眉をしかめれば、片目が細められてシャルナークを目の端で捕らえた。
「男の嫉妬ってね、醜いんだって。そういうの、に気持ちを言って、受け入れられてからすることじゃないかな?」
 そしてシャルナークが言い返す前に、コルトピはあれ、と声を上げて天井を見上げる。
「あ、ごめんシャル」
「なに」
 とぼけたような口調のコルトピに、シャルナークの神経が逆撫でされる。不快感を押し隠しながらも、シャルナークの眉間のしわは深くなる。
 コルトピが、また小さな声で笑う。
「ごめん。が好きなのってぼくだから、望みなんてなかったね」
 かっちーん、と硬質な何かがぶつかるような音がして、シャルナークの方からそれが聞こえた気がしたは、思わず振り向いた。視線を向けたシャルナークの表情は静かで、虚無と言って良いような何もない顔だった。が、すぐに微笑みに変わる。
 その体が傾いだと思うほど揺れ、また背筋を伸ばしたときは冷静ないつものシャルナークになっていた。自分の頭を片手で掻き、あははと楽しそうに笑い声を上げる。
 念のあまりのすごさに音すら断片的にしか届いていなかったが、は一生懸命聞こえた音の分析に掛かった。二人がケンカをしていたのは間違いないものだし、はっきり声が聞こえていたときの応酬も聞いている。コルトピがシャルナークをご機嫌にさせる台詞を、言うはずなどないことはしっかりと理解していた。
 けれど台風の目に入る直前のような渦の中、素人の耳で聞き取れる音などたかが知れていて、どうにも意味が分からない。下手をすれば魚屋さんと若奥さんの会話ともとれる音が頭の中で並び、は途中で分析を放り投げた。
 シャルナークはいまだに笑い続けている。爽やかな笑い声なだけに、どこか狂気を孕んでいる気すらしてきた。怖くて渦に飛び込むと体が危ないのも分かっていたが、このまま渦が大きくなればなるほど命の危険度が増していくので、今度こそは覚悟を決めた。
 睨み相手のコルトピも先ほどから笑い声を上げ始めて、狂人の部屋のようだ。はちょっと涙が出た。
「しゃ、しゃる」
 念の風に負けないように立ち上がるが、すぐに風に煽られて床に転がってしまう。飾っていたランタンもかぼちゃもお化けの置物も、吸血鬼の衣装もおやつのパンプキンパイも床に転がっていて、その近くに転がったは力が抜ける。食べたいと言っていたのは自分なのに、それすら忘れて怖がっていた自分に気づいて、力が抜けた。
「しゃ、しゃ」
 声も上手く届かないのか、ほふく前進でまさに一寸摺りというカタツムリなりの前進を始めるが、念の渦は大きく膨れ上がるばかり。とうとう転がったランタンが破裂し、の耳を掠めていった。カラーフィルムを貼り付けてあったので、掠めるついでにフィルムが耳に引っ付いてしまい、予想しなかったは体を跳ねさせてしまい、床に爪を立てていた手の力を抜いてしまう。
『うおっ!』
 とっさのときに可愛い声なんてでないよ! と思う間もなく床から体は引き剥がされ、あっという間に部屋の壁へと飛んでいく。ぶつかる衝撃を思って瞼を閉じ、耳を走り抜けていく風の音には覚悟を決めた。
 肩が硬いものとぶつかり、ちりと焼けるような熱が走った。
 次に触れたものはまた違う感触で、それには背中全体をぶつけて一瞬意識が飛ぶ。
 あー、これは多分やった。多分やった。
 薄れゆく意識の中、壁に激突する衝撃は素人にとって痛すぎるので、逆に感じられないと言う要らない情報をは頭に書き込んだ。そしてそのまま意識を綺麗に手放した。

「……で、こりゃぁなにがどうなったんだ」
 ノブナガが音を聞きつけて部屋に飛んで戻れば、を抱きしめているコルトピと、それを前に膝をついて呆然としているシャルナークが念の渦も殺気もなにもかもなくして部屋の隅に固まっていて、さらに近づいてみれば、が肩から血を流して気を失っていた。
 一瞬、ノブナガの殺気が走る。
「誰だ」
 低い声の問いかけに、の顔を見つめていたコルトピが顔を上げた。
「ぼくとシャルの念の渦。、止めようとして吹き飛ばされたみたい。声聞こえなかったんだ」
 特に何の感情もこもらないその声に、ノブナガが睨みを利かせるがコルトピはすぐにを見つめだす。ノブナガなど見ている素振りはない。
 多少気の抜けたノブナガは、気を取り直してシャルナークに聞こうとするが、シャルナークはシャルナークで腑抜けているらしく、先ほどからなにやらぶつぶつと小声で呟いているばかりで、ノブナガの声が聞こえている様子はない。
 コルトピが背にしている部屋の壁には、誰かの足跡がめり込んだ形跡が新しく書き加えられており、コルトピがを庇ったのだろうことが見て取れた。
「あのな」
 ノブナガが呟くと、コルトピが顔を上げる。ノブナガはそれを見返すことはせず、壁の足跡を見ながら続けた。
「別によ、誰が好きでも構わねぇし、とくっついても結構だ。おれはこいつの親じゃねぇし、家族じゃねぇし、ましてや恋人とかじゃねぇからな。でもよ」
 壁を見つめたまま、ノブナガの表情が情けないほど弱りきったものになる。下手をすれば、泣きそうなほど力の抜けたもの。
「縁があってこうやって一緒に居るんだから、殺してくれるなよ。な?」
 付き合う人間の多くが、それなりに実力のある人間ばかりの自分達は、力を限界なく出すことに長けていて、その力を調節しつつ殺す術を身につけている。だがしかし、平凡な女一人殺す力としては余りあるもので、ただの殺気の応酬でさえ下手をすれば凶器になる。
 改めて言われてしまったコルトピは、決まり悪く頭を掻いた。
「うん、ごめん」
に言ってやれ。おらシャル、お前もだっつの」
 軽い音を立ててシャルナークに拳を振るうノブナガを見ながら、コルトピは肩から血を流すを見つめた。
 ハロウィンだからと、特別行事だとかのパレードを見に行こうと誘ってきた。服装はあそこで買って、食事はあそこでして、パレードをどの位置で見てと楽しそうに計画を話してきたを見ていて、コルトピはそれだけで楽しいと思う自分に気づいていた。
 コルトピと出かける機会を探していたと、胸を張って言うものだから、余計に感情が煽られていた。馬鹿なと思いながらも断れなかったのは、仕方がないとさえ思う。それにシャルナークが突っかかってくると予想もしていたし、それを受け流してさっさと外出しようとさえ思っていた。が計画を話してくれている間に、すぐに考え付いた先のこと。
 なのに、は少し困った顔をした後、シャルナークも一緒にと言ったのだ。自分と二人だと言ったのに。そんなこと、いまさら言われても困るのだ。
 けれど、それがを怪我させていい理由にはならない。自分の機嫌を損ねさせたからと言って、に怒るのはお門違いだ。自分はにきちんと返事をしていないし、シャルナークと仲がいいのも知っているし、が八方美人気味なのも知っている。
 だから。
 コルトピは自分が何をどう考えればいいか分からなくなり、小さくため息をつく。気を失っているの頬を撫でるが、は目を覚ましてくれない。
「ごめんね」
 ノブナガと意識を取り戻したシャルナークの言い合いを聞きながら、コルトピはの治療をするために、を抱えて部屋を後にした。


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