杞憂と視線
「いえ、かえる」
ぶすくれたが客間のベッドの上で枕を抱きしめると、だめだよとイルミが忠告する。
「この部屋出て、帰られると思う? 現在地、知ってるの?」
「……くくるーまうんてん」
「なら、分かるよね」
嫌々が山の名前を口にすると、イルミが話はこれでお終いだと手を叩く。まるでごみを払うようなその仕種に、はベッドの上を転がって窓へと視線を向けた。
拗ねたような仕種に、イルミが名前を呼ぶがは返事をせずにだんまりを決め込んで、窓の外を一心不乱に見つめだす。これにはイルミも閉口し、逃げられるよりはましかと特に注意を払わなかった。
「逃げ出してもいいけど、普通の人間がどうこうできる家じゃないから、気をつけなよ。一応うち、暗殺家業やってるし」
不吉な台詞にの肩が怯えたように引きつるが、イルミはその反応を見てさっさと部屋から出て行ってしまう。ぱたりと木の扉の閉まる音に、は恐る恐る振り返った。
漫画で見ていたとは言え、一般的には見知らぬ人様の部屋に一人置いていかれ、しかもそれが自分の世界でも現在の世界でも有名なゾルディック家だと認識すると、喜び以上にすさまじい勢いで血が下がっていくのを感じていた。
身震いをすると、自分自身を慰めるように深呼吸を繰り返す。窓の外へと目を向けて、自分の現在位置が山の中だと改めて認識し、表情を引き締める。が、それもすぐに崩れた。
『おいおい、あれですか、もしかして私も仮装義務とか言いますか』
部屋を見渡せばテレビでしか見たことない調度品が並び、壁際には今度のパリコレ新作ですわといわんばかりの洋服たちが転がっていた。近寄って覗き込むと、ハロウィンの仮装として一般的な魔女衣装。膝丈ものとそれより長いもの、床につくほど長いもの、床を引きずるほど長いもの、スリットが控えめに入っているもの、腰まで入っているものと、丈だけでも豊富な種類には呆れるよりも思わずまじまじと見入ってしまう。
洋服店に居候をしているとは言え、商品に触れる機会よりも部屋のあれこれをする時間のほうが多く、しかも魔女の仮装だなんて商品はオーダー以外に見たことがない。しかも色とりどり種類も豊富で、辺りを見回し手にとって見ると、生地もまたそれぞれ違う手触りで種類が豊富そのものだった。
『……これ、誰の趣味だろ』
小物はまた服以上に種類が多く、色も柄もよくぞこれだけ集めたものだと感心してしまうほど。はすっかりウィンドウショッピング気分で部屋の中を歩いていた。
その中でも、一際異彩を放っていた魔女服にの目が行く。銀色の生地に朱色の刺繍を施されたその魔女服は、銀といってもやはり安っぽく光るそれではなく、目に優しくほんのり光が灯るような輝きを放っていた。朱色も下品に走ってはおらず、ただただ添え物の様に控えめに生地の上に横たわっていた。
丈も短いものではなく、膝上か膝下かの一般的な丈の長さで、服の形も街で見かけるようなどこにでもあるデザイン。生地と刺繍だけが異彩を放っていた。
『へぇー、甲冑みたい』
ぎんいろ、きらきら、あか、ししゅ、よろい、きれいねーと、たどたどしくも柔らかく波打っている生地に対して、微妙に褒め言葉とは思えないような言葉を呟くと、先ほどまであちこち触っていた流れで、はその服の袖に触れる。
途端、部屋の電気が落ちカーテンが音を立てて閉まり、辺りは真っ暗闇に陥った。
声も出ずに身を固めたは、とっさの事で服を掴んだまま辺りを見回す。が、そのまましばらく立っていても何も変わる様子はなく、外から音が聞こえてくることもなかった。カーテンだけでも開けようと窓辺に近づこうとするが、あちこち置いてある台に掛けられた服や小物に引っかかり、それらを倒すだけで窓辺には近づくことが出来なかった。
ならば電気をつけようと、イルミが入室の際に触っていた付近まで向かうが、どうしてだかあるはずのスイッチがない。手探りで探すが、どうしても見つからなかった。
おかしいと思いながらも、はため息を吐く。
ドア向こうから電子音が響き、驚愕と共にまた身を固める。が、すぐに音は止み何も聞こえなくなり、ドアに耳をつけるが誰かのいた気配すらなかった。そこでようやく、は自分の手荷物の存在を思い出す。
『なんだ、携帯電話があるじゃん!』
嬉々として荷物を取り出そうとするが、そこでようやく手ぶらな自分に気づく。更に言うと、正気を取り戻して以来、自分の荷物を触った覚えもないことに気づき、は大いに項垂れた。
部屋を出ても知らないと言われたが、出るなとは言われていない。第一拉致監禁だし逃げるわけじゃなくてイルミを捜しに行くわけだし、せめて自分の手荷物だけでも手元に戻したいだけだからいいよねと、だらだら心の中で言い訳しつつは部屋から廊下へと顔を出した。
部屋と違ってほんのりと明かりの続く廊下に、安堵のため息を漏らす。
「いるみ」
一応声を出して呼んでみるが、これで言葉が返ってきたほうが怖い。
はもう一度イルミを呼んでみたが、やはり返事はなかった。
「いるみ、わたし、にもつ、さがすだけ、でるよ」
後で突っ込まれたときに言い訳にしようと、声に出してから廊下に足を下ろす。両足を下ろし終わったときに辺りを見回すが、いるのだろう家人の気配は感じられなかった。下手に拷問部屋の音が響いても怖いし、イルミの家族と鉢合わせしても怖い。手紙には家族総出でパーティーとは書かれていなかったので、もしかしたら仕事仲間とイルミの仕事を絡めたパーティーかもしれない。それならいいなと、イルミの仕事仲間だと思っている旅団メンバーの顔を思い出す。
ノブナガたちがいなくても、仕事関係ならヒソカも来るはず。ならば見知らぬ人の中にイルミと二人な状況もないだろうし、ヒソカに付いて歩けばいい。それなりに心強いなと頷くと、左右に伸びている廊下へと視線を向けた。
『……』
どちらから来たのかすでに覚えていないので、は賭けに出ることにした。部屋の中に戻り、飾りの付いているピンを一本持ってくる。満開の花を思わせる飾りを取ると、ピンを廊下に立て指を離す。原始的な方法で右へ行こうと決めたは、背後を確認せず歩き出した。
「ふむ、イルミの趣味にしては予想外だと思うとったが、本当に普通の娘じゃな」
ゼノはひとつ呟くと、先ほどまでのいた部屋の中で椅子に腰掛け、傍に立っているシルバを見遣る。シルバは眉ひとつ動かさずに廊下を見つめ、ゼノへと自然な流れで顔を向けなおすと薄く唇の端を上げた。
「普通だったら銀色なんて言わないな」
「そうだな。ただの赤か黒じゃ」
ゼノとシルバが部屋に転がる衣装に目を向け、その中でもが銀色と朱色の刺繍だと思った魔女服を見る。二人の目から見ても銀色と朱色のそれは、基本的に見るものが見なければ「赤い生地に黒の刺繍が施されている」と見えるはずであり、そのように作らせた服だった。
特に注文した際に他意はなく、ただ見え方が違うほうが面白いだろうとのことで作った服だったが、思わぬ発見をして男二人は笑った。
「まぁ、イルミの言うように触れてみるしかなかろう。普通以上に普通の娘に見えるが、あのイルミを惹きつけたうえに、銀に見えたというんじゃ。試すも一興」
ゼノはそういうと立ち上がり、一人先に廊下へと出る。はすでにはるか廊下の先にゴマ粒大の大きさになっているが、ゼノたちの視力では容易に確認できる。あちらこちらに目をやり、どこか怯えながら歩く様がしかと見えていた。
ゼノが小さく笑う。
「親父、銀に見える条件のひとつは凝だったはずなんだが」
シルバが愉快そうに部屋から顔を出し、ドアへとその身を寄りかからせる。ゼノの言葉を予想していながら笑うその顔に、ゼノは呆れたように目を細めた。
「なんじゃ、イルミの目にケチをつけるのか」
「まさか。ただ、おれには凝をしているようには見えなかったからな」
「わしにも見えんかったぞ」
二人は揃って薄く笑い、廊下の先で執事の出現に腰を抜かしているを見る。半泣き顔で頭を下げる様子からは、上級念能力者の気配はない。
「使える人間だったら引き込む、使えなかったら死ぬだけだ」
「極悪じゃな。イルミに加勢してはやらんのか」
「女一人に手こずってるようじゃ、イルミもまだまだなんだよ」
「厳しい父親じゃの」
ゼノのため息に、シルバは心外そうに目を丸くする。
「親父の背中を見て育ったんだがな、おれは」
「嘘つくな。お前の性格が悪いのは、お前の性質だ」
切り捨てたゼノにシルバは肩をすくめると、それぞれ別れてその場を後にする。廊下の先ではが執事に促されて部屋へと戻ってきている最中だったが、当たり前の様に執事の目にもの目にも、二人は映っていなかった。
「初めまして、さん。母のキキョウと言います」
「は、はじめまして。、いいます。いるみ、と、なかよく、させてもらてます」
「母さん、それ以上見てるとに穴開きそうだからさ、もういいかな?」
優雅にたたずむキキョウに、緊張をむき出したままイルミの薦める魔女服に身を包んだは、希望していた形式のパーティーではなく、ゾルディック家がなぜか勢ぞろいをしている立食式のハロウィンパーティーに、冷や汗どころか体中の液体を噴出して恐怖で内臓を破裂させてしまいそうだった。
目の前には唇と声の調子でしか分からないが、どこかご機嫌なキキョウ。横には衣装そのまま吸血鬼のイルミに、キキョウの裾に隠れるように立っている、狐だろうか犬だろうかの耳と尻尾をつけている着物姿のカルト。
カルトの服装はハロウィンと言うよりか、日本のお狐様擬人化じゃないかとは思ったが、可愛いので大分どうでも良くなっていた。カルトが男なのか女なのか、間近で見ても判別を付けがたく思い、緊張の最中でも目の保養だと思った。不思議な生き物を観察するような鋭い目が多少怖くもあるが、キキョウの後ろから出てこないので危険はないのではないかとできるだけ前向きに考える。
顔は緊張の所為で青白いとイルミに指摘されていたが、どうにか笑顔にはなっているだろうとはキキョウの言葉の端々から貧富の差を感じつつも、招待された以上できるだけ笑顔を保つよう心掛けた。
「ではさん、今日は楽しんでらしてね」
「はい、ありがとうございます」
どこかで見た包帯で顔を巻いたキキョウは、ころころと笑って目の前からどこかへと移動する。カルトも言葉なくそれについていき、はそこでようやく息を吐いた。
キキョウが顔に包帯を巻いていたのは、キルアが家出の際に刺したからではなかっただろうか。ならばなぜ、今現在も巻いているのか。やはり見たこともないキキョウの素顔など想像できないからと、夢を見ているから勝手に馴染みの姿を映し出しているだけなのだろうか。
小さなキルアが食事をするのを視界の端に映してはいるが、は久々に思考の海に浸っていた。やはり今現在夢を見ている最中なのだろうか。だから、こうまでも見覚えのあるメンバーと仲良く出来ているのか。
更なる思考深海へと沈もうとしていたは、頬を軽く引っ張られる感触に自分の頬を見た。長い指が伸びる頬を摘んでいて、そのまま伝って視線を上げるとイルミの無表情とぶつかった。
「ねぇ、また寝てる?」
「う、ううん。おきてる」
慌てて首を横に振ると、イルミは疑わしそうに声を上げる。語尾の伸びるその声に、は嫌な汗をかく。
優雅に流れる生楽団の演奏と、並べられた彩り鮮やかな料理にそれを更に輝かすシャンデリア。包帯を全身に巻いたキルアに姿の見えないミルキ、けれどなぜかしっかり出席しているシルバとゼノに、は唇の端をひくつかせた。
もしイルミの機嫌を損ねた上に、シルバやゼノを怒らせたらと想像が飛躍し、また背中を冷や汗が流れる。ネットの雑多な情報の中にまぎれている、暗殺一家ゾルディックのあれやこれやの噂話が駆け巡り、けれど暗殺業をしっかり仕事と認識しているゼノの発言も反芻する。
イルミを見ると、先ほどと同じ雰囲気でを見ていた。
「なに?」
首を傾げられたは、喉を鳴らしてつばを飲み込むと、どうにかこうにか笑顔を浮かべた。
「いるみ」
「うん」
「いえ、かえ」
「だめ」
最後まで言うこともさせなかったイルミは、の腕を取って歩き出す。はもうこのまま帰りたいと震える足を叱咤する間もなく、ずるずるとイルミに良いように引きずられていった。絶対高いんだと価値を確信できるほど、自分の足にジャストフィットで素材が硬すぎず柔らかすぎず、けれど決してすっぽ抜けたりしないイルミに履かされた靴で、足が埋まるほど柔らかいじゅうたんに航路を描いた。
「二人とも、これが」
その様子を見ていたゼノとシルバは、まっすぐ自分達に向かって歩いてくる様子に体を向けて出迎えた。イルミはすぐさまを紹介し、ぐだぐだに砕けているを無理矢理だが瞬時にその場に立たせた。
「はじめまして、です」
キキョウのときよりは断然短い挨拶を口にすると、は大急ぎで頭を下げすぐにイルミの傍に寄り添った。足が萎えていた事もあるが、ゼノとシルバの視線に一人で耐え切れるはずなどないので、その為の苦肉の策だった。失礼のないように挨拶はしたいが、好々爺とロマンスグレーな男性二人から向けられるその威圧感は、にとって空気圧以上に息苦しいものだった。
「?」
いつもとは違った様子にイルミが戸惑うが、はそれどころではなく帰りたかった。せめてゼノとシルバ、キキョウのいない部屋へと避難したい。イルミに寄り添った途端増えた威圧感と強い視線に、はただただ身を震わせた。足が震えそろえた靴のぶつかる音が響く。
イルミはのオーラが色をなくしていくのを見て、まるでから生気がなくなっている様を見せられているようで気分が悪くなる。怯えているのは明らかで、ゼノとシルバがその様子を面白がっていることも分かった。のオーラに触れさせれば、むやみやたらな事はしないかとイルミは考えるが、知れば知るほど面白がってしまうゼノの姿が思い浮かび、シルバについては予想も出来なかったのですぐにイルミはその案を捨てた。
「、大丈夫だよ」
怯えて顔も上げられないのか、オーラはひどく不安定に歪みだし穴を生み、またそれを七色のオーラが埋めようとするが、それもまたすぐに色を失う。堂々巡りなオーラの流れに、旅団で威圧感に慣れていると思っていたイルミは、自分の誤算をようやく察知した。
「ごめん、おれ引っ込む」
それだけ言うとを抱え、イルミはその場から姿を消した。
「ふむ、あれがあそこまで庇う娘か。やはり面白そうじゃな」
ゼノの呟きに、シルバは同意とも茶化しともとれる笑い声を上げた。
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