拉致
が目を覚ましたら、そこは山奥の豪邸だった。
『は?』
思わずが声を上げると、イルミがその顔を覗き込む。
「あ、起きた。でももう少しじっとしてて」
『え、なに。なんの話?』
混乱して日本語を喋っているのにも気づかぬまま、イルミはそれを特に気にしないまま歩いていく。は状況を把握しようと辺りを見回し、自分がイルミに抱き上げられていることを知り、反射的に身構える。
「なに警戒してるのさ。大丈夫、家族には話してるから」
イルミの言葉にの混乱は加速する。落ち着いて辺りを見ようと見回せば、生い茂る大自然に口が開けっ放しになってしまう建物、かしずくスーツの男達。中には覚えがあるような気がしないでもない、そんな男性が数名混じっていた。
その中の一人が進み出てくる。
「おかえりなさいませ、イルミ様。そちらが様ですか?」
「うん、そう。部屋空いてる?」
「はい、揃えております」
「じゃあ、とりあえず滞在用の部屋に連れてくね」
最後の言葉はに向けられたものだったが、はすでにそれ所ではない。目の前でイルミに頭を垂れている男性が、ゴトーに見えて仕方がなかった。ゾルディック家執事で、ゴンたちになんか怖いこと言いながらも優しくてキルア大好きな、あの。
『ゴトーさん……?』
思わず呟いてしまうと、ゴトーの目が瞬時にを捕らえ、部屋へと歩き出していたイルミの足も止まる。
「?」
イルミとしては、なぜその名前を知っているのか疑問に思っただけだったのだが、の名前を呼んでしばらくすると、腕の中での体がまた硬くなる。のオーラは眠っていたときの穏やかなものから、混沌とした色が無秩序に混ぜられたようなものへと変化していった。洋服を片っ端からかき集めて一緒くたに溶かしたような、そんな色になっていた。感触はどこか重苦しく、かと思えば空気よりも軽くなる。イルミは相も変わらず掴めないのオーラに、本人を突付いた。
「、また寝たの?」
目を丸くしたままゴトーから視線をそらさず、けれど身を硬くしている状態からして、眠っているとは到底思えない様子なのだが、は瞬きすらしない。
「?」
「だ、だいじょぶ。……ここ、どこ?」
ようやく頭の整理がついたは、自分が街中からイルミに拉致されてきたのを思い出した。確か、パーティーがどうとか招待状を見せられたような気がする。気がついたらなんだか空を飛んでいて、それでまた目を覚ましたら山の中で黒服スーツの男の人たちがいた。
頭痛がしてくるのを抑えながら、は眉間にしわを刻む。
のオーラが段々と整理されていき、オーラの色が黒と紺と紫の混ざり合い続ける渦の形になるのを見て、イルミはやっぱり面白いなぁと感心する。
粛々と溜まっていく怒りを見ているようで、大変面白い。
時折バチッと音を立てて雷のような閃光が見え隠れするが、それもイルミの肌を傷つけるようなものではなく、ただ自身を取り巻くだけだ。
「おれの家だよ。言ったじゃん、招待するって」
「……じょうだん、ちがう、だたのね」
「おれが冗談言うと思う?」
イルミが首をかしげると、はしばらくその顔を見つめ、何かを諦めたかのようにため息を吐き出した。
「おりる」
「はい」
何の文句も言われずに地面に足をつけた後、が今度は首をかしげる。が、自分に都合のいい展開なので言及する前に疑問を放り投げた。そのまま今来ただろう道を引き返そうとする。
けれどイルミの手がしっかりとの手を握っており、それ以上進むことは出来なかった。は微笑み、イルミはいつもの無表情で見つめ返す。
お互いがお互い繋がれた手を見下ろし、そしてまた顔を見合わせる。
「はなす」
「なんでさ」
「かえる」
「どうしてさ」
「らちかきん」
「かきん?」
「か、か、かんきん」
「まぁね」
「ひてい、しろ」
「事実だし。さ、とりあえず部屋に案内するから。駄々こねない」
「やー!」
淡々と会話をしていたかと思えば、やはり街中と同じように手を引っ張り出すイルミに、も街中と同じように腰を低くして抵抗の意を示す。ずりずりと玄関へと引きずられていく中、ゴトーが静かに扉を開けた。
「何か移動用の椅子でもお持ちしましょうか」
「ああ、それいいね」
の悲鳴を無視して、イルミとゴトーの間では着々との移動手段が検討されていき、立ち止まったイルミに帰る離せ嫌だと叫んでいたは、玄関の床に座り込んで抵抗を続けていた。
イルミたちの間での検討が終わる頃には、叫びつかれてイルミの手にもたれる様に動かなくなったが、他の執事からジュースを貰って頭を下げていた。オレンジジュースは多少すっぱい気がしたが、絞りたてだという新鮮さでの喉を潤した。
「、これに乗って」
「なに?」
のオーラは自分の状況も忘れて、オレンジジュースが美味しいためにオレンジの実をたわわに実らせた木を茂らせ、わさわさと実を輝かせていた。
イルミの動きがしばし止まる。振り向かなければ良かったかなと一瞬思うが、すぐにその考えを消した。繋いでる手を握りなおし、を立たせる。
大人しく立ち上がったはまだストローを銜えてジュースを飲んでいたが、イルミは問答無用で淡々とを執事の持ってきた移動手段に乗せる。
「……いるみ、これ、なに」
ジュースを飲みながら問いかけると、ああ、これ? とさしたる問題ではないかのようにイルミが応える。金網の柵をきちんと固定し、が台車から落ちないように確かめていた。
「観音扉型金網付台車」
「たんま」
あまりにも流暢に言われてしまい、の言語能力が追いつかない。もう一度とねだると、イルミは同じ言葉を無表情に繰り返した。
「だから、観音扉型金網付台車」
物の名前だというのは分かるし、今現在が乗っている台車のことだというのも分かる。けれども単語の意味がつかめずに、は頭の芯がずきずきと痛くなっていくのが分かった。
台車、これは間違いなく台車だ。前後に持ち手が付いているが、確かに台車だ。それに金網が台車を囲うようについているけれど、これはきっと荷物を落とさないためについていると分かる。うん、分かる。こう、仏壇とかを開く扉みたいに横の金網が動くのも、うん、なんとなく理解できる。
はこの金網に蓋がなくてよかったと思うと同時に、おぼろげながらイルミの言っていた単語の意味が分かったような気がした。要するに、ちょっと付属品が付いている台車なのだ。
静かになって動かなくなったをイルミが窺い、その二人の様子を執事達が窺っていた。
「おりる!」
金網を越えて踏み出そうとしたの足の裏を、イルミはなんなく掴んで台車の金網の中へと放り込む。ガシャンと多少痛そうなひっくり返る音が聞こえたが、イルミは容赦なく台車を押し始めた。
「じゃ、親父達にはもうちょっと時間掛かるって言っといて」
「かしこまりました」
「いた、た、いるみー!」
「はいはい、部屋に行くから」
がらがらがらと良い音を立てながら、を乗せた台車は廊下のかなたへ消えていった。
back