偶然などない




 呼ばれて振り向くが、街の中のさらに休日の人ごみの中、の見知った顔は見当たらない。ざわめきのほかには、オレンジ色したかぼちゃのお兄さんやお姉さんが、街灯でケーキ屋さんの宣伝をしている声が大きく響き渡っているのみで、は空耳だったかとお菓子の詰まった籐の籠を持ち直す。

 もう一度振り返る。が、やはり見知った顔は居ない。もしかして前方か、それとも後方以外の建物の中からかと、今度はゆっくりと辺りを見回してみる。
 ブティックの見える位置に知り合いはいない。ゲームセンターの見える位置に知り合いはいない。本屋、CDショップ、紳士服店、靴屋、有名な喫茶店、ベンチと木陰のある休憩所、宝くじ売り場、パチンコ屋さん。
 どこを見回してもやはり知り合いの影ひとつなく、は空耳だったんだと改めてまた歩き出す。
 けれど三歩もいかないうちに、誰かの指先がの肩をノックした。
 肩をノックされているのではなく、ただ単にぶつかっただけなら恥ずかしいなと思ったは、返事もせずに無防備に振り返った。
 そして固まった。相手の顔を見上げて、瞬時に冷凍されてしまった。
「や、散歩中?」
 いつものように人形のような目をしたイルミが、瞬きもせずにそこにいた。挨拶として上げられた手もなんだか人形じみた動きで、は瞬きも忘れて見入ってしまう。
 彼はなぜここに居るのだろう。休日の人ごみの中、暗殺一家の長男である彼が好き好んで出てくる場面ではないように思えて、は思いつく限りの予想を立ててみた。
 デート。が、こんな浮かれたハロウィンまみれの街に繰り出すような、そんなアクティブな恋人がイルミに居るかどうかなんて知らない。
 下見。ここしばらくは休日ともなれば人ごみは増えるだろうから、仕事の下見ならば妥当かもしれない。いつやるかはしらないけれど。
 打ち合わせ。いや、こんな休日に打ち合わせるならばホテルかどっかじゃないのかな? それともさっきまで変装していたとか?
 仕事本番。これが一番納得できる。が、どこからも人が死んだとか倒れたとか救急車を呼べとか、俗に言う不穏な音は聞こえてきていない。
 大穴。私を探しに来た。そんな馬鹿な。
 貧相な頭で考えても答えは出ないと、はうんうん唸りながら予想をひねり出そうとする。イルミ本人が目の前に居ることも忘れている様子に、イルミは瞬きをしながら首をかしげた。
 がイルミを目の前にしながら、他のことへと考えをやる場面に何度となく遭遇しているが、毎度のこととはいえ気分の良いものではない。名前を呼んでも意識は戻す気配はなく、肩に手を置いてもオーラが色も形も混沌としていて返事はなく、仕方がないのでイルミは念で圧迫感を演出した。
 瞬時にオーラが血の様に鮮やかな朱色に変わり、防御をするように自身を覆い隠す。それでもハロウィンだということは忘れていないのか、その防御しているオーラの形が魔女のマントのようだったり、オーラのとんがり帽子に星がまとわり付いていたり、箒のようになったオーラがこちらを向いていたりするのは、さすがだとしか言いようがない。
「これで修業していないなんて詐欺だよね」
「え?」
 表情をなくして顔色を悪くしたがイルミを伺うが、イルミはイルミで一人ぶつぶつと呟き始める。
「大体旅団がクロロたちが甘やかしてるのがいけないんだよね、これもこれで鍛えれば結構な使い手になりそうだし、ならなかったらならなかったらでそれなりに使い道は有りそうだし、どちらにしろ利用価値は高いと思うんだけど、そこに目をつぶってメリットどころかデメリットしか見出せないのになんで鍛えさせないんだろうね。そこら辺が理解出来ないんだけどそれをが望んでるからとか甘いこと言ってそうだし、自身も自分の力のこと理解してないみたいだし、勿体ないと思うんだよね。キルアみたいに天性の殺し屋とかではないと断言できるけど、それ以外に天性の盗賊だったりするかもしれないのに鍛えもしないで放置は才能の放置で宝の持ち腐れだってことが分からないほどクロロたちが馬鹿だとは思えないんだけど」
「い、い、いるみ!」
 どうにも止まりそうもないおしゃべりに、当たりの胡乱気な視線に気づいたが慌てて名前を呼ぶと、イルミはすぐに顔を上げて「あれ、ようやく気がついた?」などとのんきに首をかしげる。
「いるみ、ここ、めだつ、あなた」
「あれ、目立たないようにしてたはずなんだけど、おれ」
「でも、めだてる」
 の台詞にイルミも辺りを見回すが、どこか不思議な生き物を見るような目の男や、心なしかイルミに見惚れているような女の姿を数名確認した。に気づかせるために絶を解いたのがいけなかったかなと、イルミは瞬時に絶を行う。
 すぐにイルミを見ていた人間達は注目を止め、またそれぞれ動き出す。
「もう目立たないよ」
 悪びれなく言ってしまうイルミの性格に、はどっと疲れを覚えた。
「……ようじ、なに?」
「ん?」
 気を取り直してが顔を上げると、の持っていた籠の中を覗き込んでいたイルミは、ああ、言ってなかったねとどこからか小さな封筒を取り出した。
 その封筒の色が黒で、これまたかぼちゃの絵柄が覗いていることに気づき、の頭の中で警戒警報とダッシュで逃げろとの本能からの指令が発令する。が、イルミは封筒に視線を移すことなくその硝子玉のような目でを見つめていて、指先だけで封筒の中身を取り出していく。
 怖いなんてものじゃなく怯えるの目の前に、便箋が一枚広げられた。
「読んで」
 有無を言わせぬ口調に反論する間もなく、渋々は書かれている文字を読む。
「……しょうたい、する、はろうぃん、いるみ、ようい、する、ばしょ、」
 そこまで読むとは内容が信じられなくてイルミを見上げるが、イルミは涼しげな顔で続きを待っていた。もう一度同じ箇所を声を上げて読むが、は文章として書かれている内容を信じることが出来ない。渋面を作ってその便箋を手に取った。
「いるみ、ちょといこ」
「あれ、読まないの?」
「それ、する。こち」
 失礼しますと頭を下げてからイルミの手を取り歩き出すが、イルミはまぁいいけどと特に不満顔をすることもなく着いてくる。は人目に付かない場所を探しながら歩き、ちょうどよく奥まった喫茶店に人が少ないことに気づくと、そこへとイルミを誘導した。
「なに、お茶するの?」
「いるみ、いや?」
「そんなことないけど、はいいの?」
「もんだいない」
 が深く考えている様子もなく断言するのを聞くと、イルミは本人が良いと言うならとそれ以上は追求しなかった。誰かさんたちの忠告とか、警告とか、まぁそういう部類の話をされたことなどちょっと忘れることにしたイルミは、向かいの席に腰掛けたの顔を見る。
 真剣にイルミから見せられた便箋の内容を読みふける様子から、イルミへの警戒心は今や見えない。先ほどまでのオーラも見えなくなり、勿体なかったかなとイルミも少し残念に思う。いつでも触れるからこそすぐに離れたが、これでいつでも触れない状況になれば執着するのかとイルミは自分自身に問いかけた。
 ジャックオランタンがイルミをあちこちから見つめ、が膝の上に置いたお菓子まみれの籐の籠がかさりと包装紙の擦れる音を出す。
 店の音楽はこの季節に姿を現す定番のもので、店内のテレビはやはり定番の人気映画を放送していた。そう言えばあのヒーローだろう骸骨の名前も知らないなと、イルミはテレビを見ながら思った。
「いるみ、これ、ほんと?」
 声に視線を向ければ、便箋を握り締めてしきりに首をかしげるが、便箋の文字をなぞりながら聞いてきた。おかしい、そんな、なんでと単語を口にしながらも文章は読んでいるのか、疑問の声は尽きない。
「本当じゃなきゃ、おれがこんな格好する訳ないと思わない?」
 そこでようやくイルミの衣装にが視線を向けると、あんぐりと大きく口を開けて固まった。今日会ったそのときの再現かの様に、動きが瞬間冷凍されてしまったように動かなくなる。
 豊かなスカーフが喉元を覆い、生地がどこか高そうなベスト、金糸やらひと目で金額の桁が違うなと推測してしまう細かく流麗な刺繍は、服のあちらこちらにほどこされている上に、これに気づかなかったは盲目といわれてもおかしくない立派に重厚な黒と赤のマントが、イルミの背中で揺れていた。
「…………きゅうけつき、です、か」
「うん、見たとおり」
 定番なんでしょと付け加えられ、は現状を理解してよいのか逃避すればよいのか分からなくなった。イルミが、ゾルディック家長男のイルミが吸血鬼コスプレ。これは喜べばいいのか悲しめばいいの、はたまた定番過ぎる奇抜に行けばよかったのにとアドバイスすべきなのか。
 うーんうーんと頭を抱えて悩みだしたに、イルミはもう一度催促をする。
「で、読んだの?」
 その言葉で顔を上げたは、憔悴した表情のまま浅く小さく頷いた。
「しんじる、ない。……でも、いるみ、きゅうけつき、してる」
「まぁ、嘘はついてないし」
「きゅう、よてい、さてらにいう、おそい」
「大丈夫。ウチの家は君の居候先と懇意だし、融通利くと思うよ」
 悩んでますといった風情で淡々と断ろうと話していたが、イルミの一言でまたもやの動きが止まる。しばらく場の空気が止まるが、また何事もなかったようには話し出す。
「だから、わたし、いけない。ごめんなさい」
「いや、だから大丈夫だって。うちの親も了承してるし」
「もたないおもう。けど、きゅうだたし」
 イルミがどういっても断る方向に持っていこうとするに、イルミは注文することなく立ち上がると、の腕を掴んで立ち上がらせた。
「いるみ?」
「うだうだいう暇があったら、さっさと行こうよ」
「ことわてるよ」
「うん、知らない」
 の台詞を一刀両断すると、今度はイルミがの手を引っ張りながら外へと出て行き、歩きながら電話をかけただした。
「あ、おれだけど。すぐにさっきの場所に来てもらえる? うん、連れて行くから、ちゃんとそうしといて。ああ大丈夫、だけど多少暴れると思うから、そこら辺もね。うん」
「ちょちょちょちょ、いるみ、なにいてるの」
 イルミに引きずられながらも重心を低くして抵抗していたは、イルミの言葉の羅列に顔色を一層青くする。が、イルミはそんなを一瞥しただけで、また電話に向かって何事か話すと、すぐに携帯を胸元にしまう。
「大丈夫、毒入りは出さないようにするから」
「やーー!!」
 とっさに悲鳴を上げるが周囲に響く前に口をふさがれ、あっという間に駆け出されてしまったは、次に目が覚めたとき、見事ゾルディック家の飛行艇の中に居たことによりもう一度気絶を行い、またその次に目が覚めたときは飛行艇からイルミに抱かれて降りている場面であったため、抵抗する気力も根こそぎ奪われた。
「じんけんしんがい、いるみ、ひどうなり」
「うんまぁ、おれもそう思うよ」
 あっさりと肯定されてしまい、最後の気力までも奪われたの機嫌は、出されたパンプキンパイもケーキも直すことが出来なかった。
「……ねぇ、いい加減機嫌直してくれないと悪戯するけど。いいの?」
 けれどイルミの脅しには素早く屈し、身の安全をぎりぎりの瀬戸際だが保っていたと、後に辛そうな表情では語った。



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