西暦 時代区分 日本                     中国 世界      
約700万年前 サヘラントロプス・チャデンシス登場
約600万年前 オロリン・ツゲネンシス登場
約580万年前 アルディピテクス・ラミダス・カダバ
(通称ルーシー)登場
約500万年前 アルディピテクス・ラミダス登場
約400万年前  
            
アウストラロピテクス・アナメンシス登場
約350万年前 アウストラロピテクス・アファレンシス登場



約250万年前


アウストラロピテクス・ガルヒ登場

約200万年前 ホモ・ハピリス登場
最古の石器オルドワン製作
約165万年前


ホモ・エルガスター登場 

ホモ・エレクトスとアシュー
レアン石器の登場
約60万年前

アシューレアン石器に精製品
ホモ・ハイデルベルゲンシス
登場 

約25万年前


旧人ネアンデルタール人とルヴァロワ
石器登場⇒滅亡

約15万年前
新人ホモ・サピエンス(クロマニョン人)
登場=現代人の出現
約7万5000年前 最古の象徴的器物オーカー片
巻貝製玉飾り(南ア・ブロンボ
ス洞窟)


約4万年前

後期旧石器時代
前半
この頃、凍った海と島嶼を経由して原人到来か?
最古の石器登場
局部磨製石器登場
宿営地に環状ブロック設営
長野県信濃町でオオツノシカ・ナウマン
ゾウの解体
超自然信仰の認知行動誕生
美意識の誕生
技術意識の誕生
象徴的器物派生
人類のビッグバン・イベント
人類の拡散・大移動始まる



2万9000年前


後期旧石器時代
後半
温暖化現象始まる

ナウマンゾウ・オオツノシカなど大型獣減る
代わってシカ・イノシシ・ウサギなどの中小
型動物の採集。石器も細密に変化し、尖頭
器、細石器ガ出現。大型石ヤリ、石斧登場
神子柴型石器
                    
ラスコー、アルタミラ洞窟壁画


1万5000年前

縄文時代
 草創期


無紋土器・隆線紋土器が九州〜東北まで
(半島人・江南人の去来?)広く登場。

南九州で竪穴住居、ドングリ貯蔵
穴(上野原など)、調理と定住始まる。

弓矢が狩猟のメイン器具として登場
約1万2千年前氷河期の終了、間氷期へ







1万1000年前

BC8000年頃〜
縄文時代早期 定住が広がる。
奇妙な打製石器・土製フィギュア(土偶)出現。
貝塚出現(神奈川県夏島)。犬の飼育が出現
環状集落が作られる(東京都恋ケ窪南遺跡)
1万年前イラク北東部で初期の農耕・
牧畜開始(カリム・シャヒル遺跡)。


7000年前

BC6000年頃〜
BC4500年頃
縄文時代前期

気温がさらに上昇
縄文海進始まる

東日本を中心に人口増加。
収穫、狩猟、加工、貯蔵技術の発達。植物栽培
発達。大規模集落の出現(青森県三内丸山遺跡)。
貝塚が広く分布。
九州で朝鮮半島と関係深い曾畑式土器製作始ま
る(半島人の去来増加?)
九州で早くも陸稲稲作始まるか?
7000年前 中国長江流域で稲作開始


BC6500年頃 隕石落下に起因する
急激な地球温暖化で海面上昇が始まる。

世界の民族北上のきっかけ



BC6000年頃中国黄河流域で栗の栽培
開始。黄河上・中流域でヤンシャオ(仰韶)
文化栄える
5500年前

BC3000年頃〜
BC2500頃

縄文時代中期
関東甲信越・東北地方に環状集落・環状貝塚
(岩手県西田遺跡、千葉県加曾利貝塚)
東日本人口急増。
土器の装飾が派手に(馬高式火炎土器など)。
長野県棚畑遺跡で「縄文の
ビーナス」土偶隆盛期。

寒冷化始まる
動物と民族の再南下現象がじょじょに始まる








5000年前(BC3000年頃)メソポタミア
文明興る。シュメール文明の始まり?
伝説の王メネスエジプト統一?

4600年前エジプトでギザのピラミッド建造
4500年前中国で龍山文化隆盛
4300年前インダス文明興る
この頃イギリスにストーンヘンジ作られだす。
4000年前ナイル川流域の灌漑農耕。エ
ジプト古王国時代開始

4500年前
BC2500年〜
縄文時代後期 東日本を中心に環状列石(秋田県大湯)、
周堤墓(北海道キウス2号)。
環状集落の衰退。

精製土器と煮炊き用粗製土器が使い分けら
れる。
ハート型、ミミズク型などの土偶出現。

中国地方で陸稲栽培開始か?

九州で黒色研磨土器。

寒冷化にともなって次第に西日本の
人口増加。
徐々に獲物が南下し、それを追って縄文人も
南下してゆき近畿にまで縄文文化が広まる。
(=落葉樹林帯の南限までへ南下)
干し貝加工始まる。









(夏)




















(商)

 殷

ギリシャでミケーネ文明興る
ヨーロッパでは巨石文化栄える
海洋民族の広範囲な移動も隆盛

BC2300年アッカド王サルゴン1世シュメー
ルのルガルザゲシを倒しバビロニア全土を統
一。アッカド王朝開始
BC2000年頃バビロニアで『ギルガメッシュ
叙事詩』の原型編纂
BC2205年?夏王禹黄河治水に成功し
安邑に都す?(BC2070頃の説が最新)

BC2113年シュメール、ウル第3王朝が
ウルナンム王によって開始

BC2061エジプト第11王朝メントゥヘテプ
王位につく。

BC2040年メントゥへテプ2世エジプト
再統一。中王国時代始まる。
BC2017年メソポタミア、イシン第1王朝
イシュビエラ王位に

BC2000年頃クレタ島でミノス文明興る


BC1991頃エジプト第12王朝アメンエム
ハト1世王位に
BC1900年頃カッパドキアにアッシリア商人の
通商都市建設。
その後アッシリア帝国、ヒッタイト王国へ発展

BC1894年バビロン第1王朝スム・アブム
王位に
BC1766年成湯即位し国号を商とす。
BC1750年バビロニアのハムラビ王法典を
発表(ハムラビ法典
BC1401?盤康即位し国号を殷と改める


アッシリアで製鉄開始か?プレ・ヒッタイトその
技術を持ち帰る?
BC1347?トゥタンカーメン即位
トゥタンカーメン死して、妻アンケシュナーメン
ヒッタイト王の子を夫に望む
BC1290?ラムセス2世即位
この頃ラムセス2世プレ・ヒッタイトを攻めるも
最新の鉄の武器に驚愕し、遠征中止。その後
ヒッタイトのハットゥシリシュ王から製鉄技術を
導入
この頃ヒッタイトで最古の製鉄記録
3200年前
BC1200年〜
縄文時代晩期        


東北に亀ヶ岡式土器出現。遮光器土偶出現
(寒冷化で雪に対応した道具開発か?)。

東北地方に中国製青銅刀、沖縄に明刀銭が
伝わる(地方色ある地域別の大陸交流)

各地で大陸との交流深まる(海人交易)




BC1200 ヒッタイト王国成立


BC1050 殷の紂王滅んで周興る

この頃ヒッタイト王国がアッシリアに滅ぼされる
BC800から
400年頃
弥生時代早期
(北部九州のみ)











弥生時代前期













縄文から弥生への境目はあいまいで、
九州がだいたいBC1000年頃から
「早期」開始、近畿がBC700年頃に前期
近畿に早期はなし。いきなり前期に。その
時間差は約300年

BC945年頃北部九州で弥生時代早期?
同時に北部九州あるいは南九州でも
中国東部からダイレクトに伝播した
水田稲作が開始
(佐賀県菜畑遺跡)

BC810頃から北部九州で弥生時代前期開始

(弥生時代の開始と水田稲作開始年代は
いずれも2007年でのC14年代測定法に
もとづく最新説(広瀬和雄)を採用した。)

近畿は寒冷化による南下で縄文文化の西の
端化していたがBC700年頃弥生文化到達
北部九州で初期簡易製鉄?
東アジアからの渡海者増大。
江南からダイレクト、あるいは半島から?
いずれにせよ、春秋・戦国時代の騒乱による
忌避?渡海者による新文化一気に流入か?

南下していた縄文文化と弥生の遭遇が倭人
の原型を作る?

北部九州に大規模環濠集落出現。九州北部を
中心に西日本各地に伝播してゆく「プレ弥生時代」
の開始。
人口増加にともない北部九州に争いが勃発し
始める。激化にともなって北部九州に実用鉄器
普及が開始。

東北で水田稲作開始(弘前市砂沢遺跡)。
遠賀川式土器が広まる。




春秋
時代


























戦国
時代

























この頃華中長江から列島へ民族の移動が始まる?
BC814 フェニキア人植民都市カルタゴ建設
BC770 周が洛陽遷都し、東周となる。
春秋時代へ
BC776 ギリシャのオリンピアで第一回古代オ
リンピック競技会開催
BC753 ローマ帝国建国
BC770 周の平王、洛邑に遷都(東周、春秋時代の開始)。
BC722『春秋』の記事開始(魯の隠公元年)。


BC560 イソップ、アポロンの神官に殺害される
BC564釈迦生誕

BC551 孔子生誕
BC480魯の大干魃(哀公15年)→『魯邦大旱』
南インド、セイロン島に巨石文化到来
海洋民移動の拡大か?
BC473黄河文明の南下で呉滅びる

BC479孔子没。

BC453晋の有力貴族韓魏趙の三氏が実権を掌握。


BC431頃孔子の孫の子思没。→『魯穆公問子思』


BC403韓魏趙、諸侯として承認される(戦国時代開始、BC453開始説もあり)。






BC400から
紀元元年あたり
弥生時代中期   北部九州で前漢鏡を副葬した大酋長墓が出現
(福岡県須玖岡本、三雲南小路遺跡)
この頃から、島根県松江市に田和山遺跡造営が始まるか? 江南楚人の模擬いくさ跡か?「倭人」特定になるか?

九州で銅剣・銅矛などの武器型青銅器が出現
近畿では銅鐸鋳造され祭祀が行われる
北部九州に威信材としての鉄器が普及
中盤になって佐賀県吉野ヶ里などの還濠集落
が大規模化。
中期終盤に瀬戸内に高地性集落出現。

南島の貝殻が九州〜北海道にまで伝えられる
(貝の道できる)

倭人、百余国に分かれ、一部が楽浪郡に朝貢








 秦


 前
 漢
BC373上博楚簡のC14測定値の上限

BC333 アレキサンダー大王ペルシア軍を
破る
BC334頃越滅びる


BC319頃孟子、魏の恵王と会見
BC317頃孟子、斉の宣王と会見。客卿となる
BC308上博楚簡のC14測定値(±65年)→上博楚簡
BC305頃孟子、遊説活動を引退して鄒に帰国。著述に専念。

BC300頃郭店一号楚墓造営(考古学的編年による通説)。

BC279秦の将軍白起、楚の都郢(紀南城)を攻略
楚は陳に遷都(郢における楚墓造営の下限)。 


BC225頃荀子、楚の蘭陵令となる。
BC249呂不韋、秦の宰相となる。
BC246秦王政(後の始皇帝)即位。


BC221秦始皇帝、天下統一。
BC213挟書律制定。焚書を行う。
BC212坑儒を行う。
BC209陳勝呉広の乱。
BC206漢の高祖劉邦、秦を滅ぼす。


BC202 劉邦、項羽を破り漢興す 

BC194 燕の衛満、衛氏朝鮮興す
BC168 長沙馬王堆漢墓造営(前漢文帝の前元12年)。


BC108 前漢の武帝、衛氏朝鮮を滅ぼし、
楽浪、真番、臨屯、玄菟の4郡を東北に置く。
BC100頃 この頃高句麗興る
BC60  前漢、匈奴を滅ぼし、西域都護を置く。
BC45  ローマのカエサル、ユリウス暦を制定
BC27 1月 オクタウィアヌスがアウグストゥス
(尊厳者)の称号を受けローマ帝政開始。 
紀元元年
〜3世紀後半
弥生時代後期

盛り土した小高い墳丘墓の時代
















古墳時代前期?       






各地にムラが発生。独自の国家へと。
(大阪府古曾部・芝谷遺跡、観音寺山遺跡、
鳥取県妻木晩田遺跡、青谷上寺地遺跡)
鉄器が全国的に行き渡る。石器が消滅へ。
地域によって青銅器祭祀が衰退。






57年 倭の奴国の王が後漢の光武帝に朝貢し、
金印印綬。「漢委奴国王」の称号を受ける。

107 倭国王帥升、後漢の安帝に生口160人
を献上。
2世紀頃から各地に独自の大型墳丘墓出現
九州の方形周溝墓、島根の四隅突出型墓、
岡山の楯築双方中円墓など)


3世紀前半 大和盆地の三輪山山麓の纏向に忽然と
大神殿群が出現。各地から土器が集まる。
祭祀都市が出現。

纏向石塚古墳や箸墓古墳などの大前方後円墳造営
が始まる

倭国大乱
この頃、各地の豪族たちがシャーマン女王
卑弥呼を「共立」
女王国連合は北部九州から瀬戸内、大和まで。
「南にあった狗奴国連合と対立。

狗奴国は熊野から濃尾平野に中心地移動?

239女王国の卑弥呼、使者を魏に送り、
           明帝に奉献を願う
248頃 卑弥呼以て死す

定型化した前方後円墳が全国に造営。
しかし九州や東海地方では中身は地元の伝統的
石室。あるいは前方後方墳も。
出雲では逆に古い外見で、中身は大和式石室を作り、
表面的集合体としての国家。
纏向での大同共立によって、各地の情報ネットワーク
確立。
狗奴国行方知れず。東海に多かった前方後方墓墳が
しだいに前方後円墳へ変化。

女王壱与、使いを送り西晋に朝貢。
銅鏡の鋳造ブーム。
埴輪の時代



  新
後漢






















三国
時代

  

 
















西晋







?  イエス・キリスト誕生(〜30)
西暦元年 AD
AD(以後年代のみ記載)
8  王莽(おうもう)、前漢を滅ぼし、新を興す。
25 光武帝(劉秀)後漢を興す
30 ゴルゴダの丘でイエス十字架にかけられる。
36 光武帝、中国統一
48 匈奴、南北に分裂。南匈奴は後漢に服属。
このころローマ皇帝ネロ、キリスト教迫害
70 エルサレム陥落
79 ベスビオス火山噴火、ボンベイ埋没。












111 夫余、楽浪郡を侵犯す。高句麗、後漢に朝貢。






184(中平1) 太平道の教祖・張角の農民一揆、
黄巾の乱起こる。
これに乗じて遼東で公孫度が独立国・燕を樹立。
曹操が乱を治めたあともゲリラが各地でおこる
など、政情不安の中後漢、あっけなく滅亡。

196 曹操、後漢の献帝を担いで許を都とし、
屯田制をしく。

208 赤壁の戦いで曹操、劉備・孫権連合軍に敗北

220 曹操没。その子曹丕、魏を興す。
221 劉備即位、蜀興す。
222 孫権、呉を興す。
227 曹操の孫で曹の子、曹叡、明帝に即位。
年号を太和とす。蜀の丞相・諸葛孔明「出帥の表」
233 魏、青龍元年に改元
237 魏、年号を景初に改元
238 魏、楽浪・帯方両郡を領土にする。
240 ササン朝ペルシャ成立


3世紀頃、半島に辰韓16国存在


263 魏、蜀を滅ぼす
曹氏に子供なく、養子・斉王継ぐも、その後司馬懿が
クーデター。
結局魏の宰相だった名参謀・司馬仲達の一族があとを継ぐ
265 司馬懿の子孫・司馬炎(武帝)、西晋を興す。




280 西晋、呉を滅ぼし中国統一
291 西晋で「八王の乱」始まる。中国混乱す。
記録のない時代・「謎の4世紀」へ
4世紀
〜5世紀
古墳時代中期

河内王朝時代






大和王朝時代





























375 百済の近肖古王、倭国に七枝刀を送る
ムラの終焉






5世紀はじめ頃から、朝鮮半島との交流が盛んになり、
半島の文化や技術が、列島広範囲に大量に伝播

425 倭王讃、宋に朝貢
この頃、ようやく河内の古墳群に鉄製武器・
武具副葬始まる。
438 倭王讃没し、弟・珍即位、宋に朝貢
列島最大規模の前方後円墳が河内羽曳野丘陵に
登場

河内王朝=倭王時代確立
443 倭王済、宋に朝貢
住居にカマドが増える
河内王朝大和に移動?
大山古墳以降、大前方後円墳減少し、中規模に。
大阪法円坂遺跡、和歌山鳴滝遺跡に大規模倉庫群
登場  屯倉の始まりか?
大和・吉備に群集墳登場
北部九州の古墳に石人・石馬、横穴式石室が登場
装飾古墳登場
稲荷山古墳鉄剣に文字が刻まれる。国内最初の文字の
使用例?







477 倭王興没。倭王武(ワカタケル)即位し宋に朝貢し
上表文を送る。。百済を救援。
480 群馬県三つ寺T遺跡に大規模首長の館建つ
近畿の古墳に家型石棺登場
九州の横穴式石室と装飾古墳の隆盛が近畿を除く
全国へ伝播⇒東国・東北と九州の密接な同盟?
独立国的な動きか?

近畿の各地に阿蘇凝灰岩石棺が運ばれる
阿蘇ピンク石石棺が継体大王親族の近畿豪族に
配布

吉備・葛城が滅び、代わって大伴氏・物部氏が台頭
この頃、葛城地方に蘇我氏?
半島から木氏来朝?

五胡十六

時代
東晋






 宋





 南
 北
 朝
 時
 代






このころ朝鮮半島南部で倭との交流を示す銅器など
が出現。

304 匈奴、漢を興し、五胡十六国
時代開始。
316 匈奴、西晋を滅ぼす

317 元帝(司馬睿)、東晋を興す。


この頃百済成立か?
375 東ゲルマンの西ゴート族が、
フン族の侵入のためローマ帝国へ
大移動。(民族大移動)
377 『太平御覧』が新羅が前秦に朝貢した
と書く?新羅の萌芽か?
382?葛城襲津彦(沙至比跪)、新羅に加担
し北加羅を滅ぼす?秦部を連れ帰る)

384 百済、東晋から僧侶を迎え、
仏教導入
この頃加羅や新羅系渡来人流入
391 高句麗、広開土王(好太王)即位
414 広開土王碑建つ
高句麗の圧迫強まり百済と倭に連携強まる
倭、援軍を送り、高句麗に侵攻す
(『広開土王碑文』記述)

420 劉裕、宋を興し武帝となる。
南北朝時代開始

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
427 高句麗、長寿王、丸都からピョンヤンへ
遷都

439 北魏、北涼を滅ぼし、華北統一

450 アングロサクソン族、ブリタニアに侵入
高句麗、新羅を攻撃。
この頃、百済王家、九州に一時的な避難あり?
453 アッティラ大王没してフン帝国滅亡
457 百済、宋に朝貢
462 百済武寧王、九州の島で生誕
463 高句麗、宋に朝貢
雄略天皇紀5年(461年)条に、
「百済の加須利君(蓋鹵王)が弟の軍君昆伎王
を倭国に人質として派遣する際、一婦人を与えて
、途中で子が生まれれば送り返せと命じた。
一行が筑紫の各羅嶋(かからのしま・加唐島)
まで来たところ、一児が生まれたので嶋君と
名付けて百済に送り返した。これが武寧王である」
としている。
また、即位については武烈天皇紀4年(502年)
是歳条には「百済の末多王(東城王)が暴虐であったので、百済の国人は王を殺し
、嶋王を立てて武寧王とした」としている。

475 高句麗、百済を攻撃。首都・漢城陥落
蓋鹵王死去

479 百済・24代東城王(とうせいおう・牟大)
即位
493 テオドリック、東ゴート王国建国
6世紀 古墳時代後期
継体王朝から
飛鳥王朝時代へ

百済武寧王、即位前の継体へ鏡を贈る?和歌山県画
紋帯神獣鏡
507 継体大王、担がれて王位に
大和旧勢力、これを受け入れず、継体放浪の王都
を摂津、山背各地に残す。
513 百済五経博士来日
523 継体、百済武寧王の死に際し、漆塗りの木棺を
贈る




527 筑紫国造・磐井、任那に向かう近江臣毛野を
遮り、乱勃発
 
全国的に九州式横穴式石室広がる

528 物部アラカイ、磐井を敗走させる
531 継体大王没?
欽明と安閑の二朝並立時代?
大伴氏衰退し代わって物部氏・蘇我氏が台頭
安閑・宣化ともに死すと朝鮮が書く。
今城塚古墳に阿蘇ピンク石石棺が一基埋葬さる

538 百済・聖明王から仏教の経典と仏像が贈られる
このころ各地に屯倉設置される
製鉄の本格化

585 蘇我馬子、大野の丘に塔を建てる。物部守屋、
その塔を焼く このころ前方後円墳終了。方墳、円墳の
時代に。

592 法興寺(飛鳥寺・元興寺)の仏堂・歩廊完成。馬子、
崇峻を殺害?推古即位???

593 厩戸摂政時代?
600 遣隋使




 







 












 


 隋
メキシコにテオティワカン文明最盛期迎える


502 百済25代武寧王(余隆=嶋王)即位







523 武寧王死去し26代聖王(余明・聖明王)
即位
中国、梁、東魏、西魏、北斉、北周、陳、など群雄割拠し、勃興を繰り返す





















589 隋、陳を滅ぼし中国統一








7世紀
以降
飛鳥

奈良

平安
時代

飛鳥王朝〜大和王朝
〜奈良王朝から
平安王朝へ
601   厩戸皇子?、班鳩宮造営
602   百済僧観勒、暦法などを伝える
603   小墾田宮に移る 冠位十二階制定?
 広隆寺建立 
604   役人に初めて冠位を与える
 十七条憲法制定? 

607   敬神の詔 法隆寺建立

 小野妹子遣隋使として派遣   
    
608   遣隋使小野妹子帰国

609   肥後国に百済人80余人漂着
(こうやの宮起源か?)

610   高句麗僧、紙・墨・絵具の製法を伝える
613   難波より大和に至る大道開通







621   新羅来貢し、初めて上表する
622  厩戸死去 ?
623  留学生恵日ら帰国、唐との国交を建言
624  蘇我馬子、葛城県を要求、天皇許さず
626  蘇我馬子死し、その子蝦夷、大臣となる
 長雨による
大飢饉
629  田部(耕地民)連を掖玖(やく)に派遣
630  第一回遣唐使犬上御田鍬を派遣
631  百済王子豊璋、人質として来日
632  犬上御田鍬、唐使高表仁を伴い帰国
636  大旱魃で飢饉
642  皇極即位 蝦夷の子蘇我入鹿執政となる
   
     この頃、中臣鎌足摂津三島隠棲
有馬皇子や古人大兄皇子に接触。中大兄と蹴鞠の
宴で出遭うと記録される。
643   入鹿、山背大兄王を襲い、王一族自害
645   巳の変 戸籍作成 初めて?年号(大化)
を定める
646   大化の改新
     東国の国司を任命 
     薄葬令=墳墓葬送の制=大古墳の終焉
     地方で横穴墓群の時代始まる
647  七色十三階の冠位制定 

649  冠位19階を制定し、八省百官をおく

650  白雉1 長門国から献上された白雉により改元

652  戸籍作成、里・五保の制 最初の班田収受施行

653  中大兄、天皇と不和になり飛鳥に移る
654  玄理らを唐に派遣

655  斉明女帝即位 1  蝦夷・隼人が多数服属
このころ、狂心の渠(たぶれこころのみぞ)造営
658  阿部比羅夫、蝦夷を打つ 有間皇子謀反で処刑
660  百済、唐・新羅に敗れ、百済の遺臣が救いを求める 中大兄、豊璋を百済王に封じ帰国させる
661  斉明天皇・中大兄、百済再興のため出発
662  天智即位  阿曇比羅夫、百済再興に向かう
    百済王豊璋敗走し、行方不明に



663  白村江の戦いで天智連合軍に大敗
    天智、法隆寺金堂に厩戸ゆかりの仏像を
  搬入陳列。豪族たちへ対唐国家総動員を示唆
   この頃滅びた百済から大量に百済人入る
    ・王族は百済王氏(現・三松家)へ

664   対馬・壱岐・筑紫などに防人を置き筑紫各地に
水城 冠位二十六階制定
665   唐使来日、入京 百済人400人余を近江国神
前郡におく 
666  百済人2000人を東国に移す
667  近江大津宮に遷都 大和・讃岐・対馬に築城
668  近江令制定
669  隠居中の鎌足再登場し危篤状態、大織冠と藤原姓を与える 
     百済人700余人を近江 国蒲生郡におく




670  初の全国的な戸籍をつくる 美濃に不破関設置
671  大友皇子即位し弘文天皇に 天智天皇没
672  壬申の乱・瀬田の唐橋に大友軍と対峙し
  多品治・大分君など神八井耳子孫が大活躍
 
673  天武即位(はじめて諡に天皇称号を使うことを示唆した大王)
675  諸氏部曲を廃止、王臣・諸寺に与えた山林などを
没収
679  逢坂山の関を設置
681  律令の編纂を開始
682  王臣の食封を没収
684  八色の姓制定
686  朱鳥 1  大津皇子の変 大津自害
687 持統即位し、初めて生きて天皇称す
 藤原不比等歴史に登場
 高句麗の渡来人を常陸国に新羅の渡来人を下毛野国
におく
689  飛鳥浄御原令施行 新羅の渡来人を下毛野国におく 
    筑紫大宰栗田真人、隼人174人と布・牛皮・鹿皮を
献ず
691  奴婢、陵戸の制を定める
694  藤原京遷都
697  文武即位 .
698  公私奴婢の逃亡多く、笞刑を定める
700  道昭(行基の師)没し、国内で始めて火葬
701  大宝 1  大宝律令制定
707  元明女帝即位
706   田租の法を改め、1町22束を15束とする
708  和銅 1  武蔵国、和銅を献上 銀銭・銅銭を鋳造
709  巨勢麻呂・佐伯石湯、蝦夷を平定
710  平城京遷都
711  はじめて諸国に駅を置く 私鋳銭を禁ず
712  太安麻呂『古事記』撰進
713  丹後国・美作国および日向国の曽於・大隈・姶羅を
割いて大隈国を設ける
714  奄美・石垣島・久米島の島人来る
715 霊亀 1 元正女帝即位
府浪人に逃亡地で調庸を課す
716  吉備真備・僧玄ムら入唐
717 養老 1  百姓の違法出家を禁じ、行基の活動を禁圧
718   能登・安房・石城・石背国設置
719  按察使を諸国に置く(畿内・西海道を除く)
720  舎人親王ら日本書紀撰進
    隼人反乱勃発 大伴旅人(征夷大将軍)を派遣
723  三世一身の法制定
724 神亀 1 聖武(母は藤原宮子)即位
 陸奥国に多賀城を築く
727  渤海国使、出羽国に初めて来着
729 天平 1 聖武母宮子の称号問題の確執あってのち  長屋王の変(天武皇孫)の変 自殺
730  光明皇后宮職に施薬院をおく 諸国に防人を置く
732  新羅使の来貢を3年に一度とする
733  出羽柵を秋田に移す
735  吉備真美・玄ムら唐より帰り、諸物を献上
737  菅原道真左遷後、藤原4家の嫡男すべて死去
(藤原政権衰亡)
738  かわって橘諸兄、右大臣となる
739  大宰府管内以外の軍団廃止
740  藤原広嗣の乱 藤原広嗣、乱に隼人を巻き込む
(隼人20年戦争泥沼化)
741   国分寺建立の詔
742  近江紫香楽に離宮を造営
743  墾田永代私有令制定
744  難波京遷都
745  平城京に都を復す 玄ム、筑紫に左遷
746  諸寺が墾田・園地を競い買うことを禁止
747  東大寺大仏鋳造開始
この頃、百済王敬福、黄金発見
全国の銅山、水銀鉱脈、錫鉱山の発見あいつぐ

749 勝宝 1 孝謙女帝即位
 仲麻呂、大納言兼紫微中台の長官となる
 この頃、都に鉱毒による病魔が蔓延? 
大仏鋳造完成
752  東大寺る遮那仏開眼供養

757 宝字 1  養老律令施行 橘奈良麻呂の変
758  諸道に問民苦使を遣わす
759  諸国に常平倉を置く
760  恵美押勝(仲麻呂)、大師(太政大臣)となる
762  孝謙上皇、押勝の擁する淳仁天皇を非難
763  渤海使、安史の乱=…中国唐時代の大反乱を報じる
764 称徳女帝重租 恵美押勝の乱
765 神護 1  道鏡太政大臣となる 
寺院以外の新墾田を禁ず
766  道鏡、法王の位を授けられる
767 景雲 1  陸奥の伊治城完成
768  筑前の怡土城完成
769  宇佐神宮神託事件和気清麻呂、道鏡を大隈に
配流
770 宝亀 1  道鏡を下野(栃木)薬師寺に追放
771  武蔵国を東山道から東海道に編入
772  再び墾田の私有を許す

774  諸国に飢饉 陸奥国の蝦夷反乱
776  出羽国志波村の蝦夷反乱
777  陸奥・出羽の軍、出羽の蝦夷に敗れる

780  陸奥国上治郡司、伊治呰麻呂が反乱
781 天応 1  中宮職設置 藤原小黒麻呂、蝦夷を平定
782 延暦 1  氷上川継、謀反の嫌疑で伊豆に配流

784  長岡京遷都
785  「万葉集」編者大伴家持死去
788  最澄、比叡山延暦寺を建立
789  大墓阿弓流為、蝦夷征討軍を大破
792   陸奥・出羽以外の各国で軍団を廃し、健児を置く
794  平安京遷都






















隋〜唐 604 煬帝が即位(〜618)
605 煬帝が大運河を開く












イスラム教成立
618 隋が滅亡、唐が中国を統一(〜907)









626 唐の太宗が即位 →貞観の治

630 アラブの征服(シリア、メソポタミア、イラン、エジプト)(〜651)












645 玄奘法師、天竺の旅を終え長安に戻る











654 新羅・武烈王即位
この頃、武烈王、将軍金信に百済侵攻させる

660 百済滅亡の危機

661 ウマイア朝(サラセン帝国)成立(〜750)
663 百済が唐に滅ぼされる
668 高句麗が唐に滅ぼされる

この頃高句麗、百済から大量の国外逃亡者
676 新羅が朝鮮半島を統一






















































711 サラセン人が西ゴートを滅ぼし、サラセン
文化がヨーロッパに広まる
712 唐の玄宗が即位 →開元の治
713 渤海が建国















726 東ローマ皇帝レオ3世が偶像崇拝禁止令
を出す















750 サラセン帝国にアッバーズ朝成立、ウマイア朝滅亡
751 中国から製紙法が西方に伝わる
755 安史の乱





768 カール大帝(〜814)
このころから、ヨーロッパが封建制度の時代に向かう
780 唐、両税法を施行
786 アッパーズ朝のカリフ・ハールーン・アッラーシード(〜809)
〜サラセン文化の全盛























843 ベルダン条約でフランク王国が三分される
862 ルーリックがノヴゴロド王国建設 →ロシアの起原
870 メルセン条約でイタリア・ドイツ・フランスの基ができる
875 黄巣の乱
907 唐滅亡、五代十国成立(〜960)
918 朝鮮に高麗が起こる
927 満州の渤海が滅ぶ
935 朝鮮の新羅が滅び、高麗が統一
960 宋(北宋)成立(〜1127)
962 神聖ローマ帝国、オットー即位(〜973)
987 フランスにカペー王朝が起こる




Kawakatu’s 古代世界史・日本史同時代年表

2009年5月31日時点でこれが完成品となります。今後も新しい発見があり次第追加書き込みして参ります。

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亭主敬伯
2009年5月31日

参考にした年表 
松木武彦『日本の歴史1 列島創世記』小学館 巻末年表
楠木誠一郎『世界史日本史同時代比較年表』朝日新聞社
田中史生 『越境の古代史 ―倭と日本をめぐるアジアンネットワーク』 筑摩新書
巻末年表
サイト 「鹿児島発見」日向・隼人歴史年表
http://www.asahi-net.or.jp/~wy6m-skmt/nenpyo701.htm
「世界史年表」http://www.h3.dion.ne.jp/~urutora/sekainepeji.htm
戦国楚簡研究会編春秋戦国時代年表 

紀元前37   朱蒙(チュモン)、高句麗建国(『三国史記』)
この頃、記紀では崇神天皇の時代のはず
184以降    黄巾の乱で後漢の統制乱れる。遼東に公孫氏勢を張り、高句麗と対立
208      赤壁の戦いに魏敗れる。
         公孫氏、魏の司馬懿(しば・い)によって滅亡。魏と高句麗対立
この頃、記紀では応神天皇の時代のはず
233     魏、青龍元年
237     魏、景初元年
238     魏、楽浪・帯方郡を領土にする。半島は辰韓16国時代で激動。
239     倭邪馬台国の卑弥呼、使者を送り、明帝に奉献を願う。
 
246     魏、高句麗首都陥落させ、高句麗東川王東へ退避し、魏撤退のあと立ち返って首都平壌城(現在のピョンヤンとは別の場所)再興。
248     倭、卑弥呼(身を)以って死す。倭国乱れる。

263     魏、後継ぎなく、司馬氏これを乗っ取って晋を建てる(西晋)。
280     呉、西晋に滅ぼされ、魏中国統一。呉の民衆、長江南北地域へ移動。
281     八王の乱で、西晋乱れる。


304     匈奴、漢を起こし、五胡十六国時代の突入。

312     高句麗、中国国内の混乱(八王の乱、五胡侵入など)に乗じて遼東を手中にせんとして楽浪郡を滅ぼす。
        前燕の鮮卑将軍・慕容氏、平壌陥落させる。
355     前燕、高句麗を冊封。前燕、前秦に滅ぼされ、高句麗そのまま前秦に冊封さる。
371     百済、勢力を拡大せんとして高句麗に攻め入る。高句麗王戦死。
375     百済、近肖古王、倭に七枝刀を送り盟約する。
391     高句麗、広開土王即位し遼東へ進出。さらに百済を討ち、首都漢城(ソウル)に迫る。百済王一時的に高句麗に従属する               条約に肯首す。
倭、海を渡り百済、加耶?、新羅を破り臣民とする(広開土王碑文)
393     倭、新羅の都を包囲する
397     高句麗に従属していた百済、王子を人質として倭国に送り倭と国交を結ぶ(独立国家回復の布石)
399     百済、高句麗との条約を破棄し倭と通行開始する。倭、新羅へ侵攻し、新羅、高句麗へ助力を求める。これに応じて高句麗広開土王新羅救援軍を新羅へ送る(以上広開土王碑文) 
400     高句麗、新羅救援のため攻め込む。倭軍、任那・加耶に退却。高句麗これを追撃。これにより新羅は高句麗の朝貢国となる。
402     新羅、倭国に王子を人質として送り国交回復。倭、高句麗国境・帯方へと侵攻。

413(義熙9倭王讃、使いを立てて東晋入貢(『晋書』『太平御覧』)
404(永楽14)〜407 倭軍、新羅の依頼でこれを助けて高句麗に攻め込む(独立国家回復への布石)
405     倭国の人質だった百済王子、倭の護衛のもと百済へ帰国、百済王に即位。
421     倭王讃、宋に朝貢し、武帝より印綬(『宋書』倭国伝)。安東大将軍の位を授かる?
425     倭王讃、司馬曹達を遣わし、宋の文帝に貢物を献ずる(『宋書』倭国伝)。司馬氏が日本に何故いたかは不明。ただしこの司馬氏はのちの鞍作氏を出すので、止利仏師の先祖か?不明。
この頃、記紀ではすでに雄略天皇の時代のはず
430      1月、宋に使いを遣わし、貢物を献ずる。(『宋書』文帝紀)
438     倭王讃没し、弟?珍立つ。この年、宋に朝献し、自ら「使持節都督・百済・新羅・任那・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭国王」と称し、正式の任命を求める。(『宋書』倭国伝)4月、宋文帝、珍を安東将軍倭国王とする。(『宋書』文帝紀)
珍はまた、倭隋ら13人を平西・征虜・冠軍・輔国将軍にされんことを求め、許される。(『宋書』倭国伝)
443     倭王済、宋に朝献して、安東将軍倭国王とされる。(『宋書』倭国伝)
451     済、宋朝から「使持節都督・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事」を加号される。安東将軍はもとのまま。(『宋書』倭国伝)7月、安東大将軍に進号する。(『宋書』文帝紀)また、上った23人は、宋朝から軍・郡に関する称号を与えられる。(『宋書』倭国伝)
460     済、12月、遣使して貢物を献ずる。
462     倭王興、3月、宋孝武帝、済の世子の興を安東将軍倭国王とする。(『宋書』孝武帝紀、倭国伝)
477     11月、遣使して貢物を献ずる。(『宋書』順帝紀)これより先、興没し、弟の武立つ。武は自ら「使持節都督倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓七国諸軍事安東大将軍倭国王」と称する。(『宋書』倭国伝)
478     上表して、自ら開府儀同三司と称し、叙正を求める。順帝、武を「使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王」とする。(『宋書』順帝紀、倭国伝)(「武」と明記したもので初めて)
        宋滅んで、南斉起こる。
479     南斉の高帝、王朝樹立に伴い、倭王の武を鎮東大将軍(征東将軍)に進号。(『南斉書』倭国伝)
502     4月、梁の武帝、王朝樹立に伴い、倭王武を征東大将軍に進号する。(『梁書』武帝紀)
この頃、記紀では継体大王の時代のはず(記紀はすべての天皇紀が史実とずれてしまう。これを干支一巡させて120年ほどずらすと、史実に近づくが、それでもまだずれが生じる。ゆえに記紀の古代は信じるに値しないという結果が出る。)

この年表はまだ完成していない。これに百済史、新羅史、倭国史、中国史を書き足して完成する予定。
ただこの年表作成からは、まだ卑弥呼のあとから倭王讃までの100年間が依然として見えてこない。
引き続き、なお詳細な半島史、遼東史、中国史の情報が必要。
倭王の謎とともに、邪馬台国以後の、記紀が言うところの三輪王朝=崇神朝が果たしてあったかどうかも検証したい。




東アジア謎の4世紀年表
卑弥呼から倭五王まで

別ページで同時に閲覧するhttp://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/higasiajianazonoyonseiki.html

極東比較年表・日本・朝鮮・中国同時代がまるわかり