米軍は、日出生台・十文字原を「米軍基地」として使用できる!?

 日出生台演習場と別府の十文字原演習場が、日米地位協定第2条第4項Bによって、米軍によって基地の一時使用、ないし再使用できると規定されていることが今年になって判明しました。

 また、県と地元3町の間で結ばれている「米軍使用協定」でも、第2条【演習場の使用】で、「日米地位協定第2条第4項(b)の規定に基づき、前条使用目的のとおり使用する」とされています。米軍が必要だと言えば、いつでも日出生台・十文字原演習場を、米軍基地として使用できるというのです。

■日出生台は日本三大演習場のひとつ

 日出生台演習場は、4900haの面積を持つ西日本最大の演習場。西日本の自衛隊の全部隊がきて年間330日(実弾射撃は270日)訓練が行われています。九州では、地位協定2-4-bが適用される唯一の演習場であり、地理的にも朝鮮半島に似ており、位置的にも近いということから、日本の演習場の中でも非常に重要な位置づけをされてきました。

■過去には塚原接収と、飛行場移転の計画も

 昭和29年、日出生台演習場は、別府の十文字原演習場との間の塚原地区を米軍が接収し、両演習場をつなげようという計画が進められました。また米軍は、湯布院町の並柳、若杉、佐土原の3地域にまたがって、35町歩を接収する目的で測量を開始。当初は単なる通路用地と思われていたが、演習用地と判明し、地域住民は猛反対。この計画はとん挫したといいます。

 また、その後に、今度はジェット機基地を板付(現在の福岡空港)から日出生台に移転する計画が浮上。当時の西田労相は、築城など九州の他の場所は不適であるとし、「日出生台が最も有望」とコメント。地元は猛反発をし、結局、地形や気候、駐留している米軍が退かないこともありうる等の理由を発表し、計画は消えました。このようなことも、もし地元住民の強い反対がなければ実現してしまっていたかもしれません。

 今回出された移転補償措置が、今後の演習場の機能拡大、米軍演習の拡大を前提したものではないかとの疑問は、当然のことではないでしょうか。