山行記   九重慰霊の日(90年忌)に参加   R2.8.2(日) 快晴

 

    <お知らせ>

 2日(日)、「九重慰霊の日」に参加してきました。

 前回、予告の通り、今年は90年忌という事で盛大に行われました。

 私にとって、今年最大のイベントで、待ちに待った慰霊の日でした。

 去年11月の法華院の会の時に加藤英彦氏から、来年は御遺族を招待し90年忌をする・・と聞いた時、

 胸が踊ったのを覚えている。

 私はこの慰霊碑については、特別の思いを抱いている。

 建立した加藤数功氏の山男としての、優しさ、思いやりの気持ちに感動したのと、

 倒れた慰霊碑を何度も修復、再建し守っている後輩たちの情熱に心を打たれたのである。

 以前に何度か、私のホームページでも紹介してきた・・

 遭難死した大学生二人の御親族が九重に来られ御焼香をされる・・。

 そして、二人の遺体捜索収容をした3人の山男の子孫達と90年ぶりに再会する・・

 それは登山家・加藤数功氏の御子息・加藤英彦氏・・

 法華院山荘の弘蔵孟夫翁の孫・弘蔵岳久社長・・

 久住町・猪鹿狼寺石光宰照住職の曾孫・安倍大助住職・・
 
 なのです・・

 この様な山男たちの劇的な再会は九重登山史上に残る出来事・・と私は思った・・。

 なんとしても、私なりの記録を書いておかないといけない・・と思い、年初の頃から書き始め、

 6月にはレポートを書き終えていた。

 なので、待って、待って、痺れを切らしながら待った今日だったのです。

 結論から言うと今日の慰霊の日は大成功に終わった・・

 天候にも恵まれ、60人近くの参列者が集まったし、

 何といっても御遺族の方が挨拶の時に涙ぐんでいたのが印象的だった。

 プロデユーサーの加藤氏は、ほぼ1年がかりの準備で大変だったでしょう・・

 本当にお疲れさまでした・・

 あとは、写真を見ながら紹介します・・



 
   今日の遭難碑です・・
   今年は豪華版です・・
   御幣と生花が飾られ、果物とお菓子も供えられました。
   この遭難碑はいつ見ても歴史を感じてしまいます・・
   遭難死したのが、昭和5年8月11日・・
   この遭難碑が建立されたのが翌年の8月なので、遭難碑は満89年です・・
   あと10年で一世紀だ・・凄いです・・。
 


 
  参加者の皆さんがゾクゾクと集まってきた・・
  大半が加藤さんが率いる山岳会のメンバーだが、今日は一般の方もいる様だった・・。
  時々、有名な方などがいるので要注意だ・・(苦笑)。



 
   刻印されている碑文の文字も今日は綺麗に手入れされて字が鮮明だ・・。
   遺影は右が廣崎秀雄君、左が渡邉邦彦君だ・・


 
   加藤英彦氏の御挨拶です・・
   加藤さんは今回のイベントの全てをプロデユースされた。
   加藤さんは78才・・私と同じだ・・
   大分市の霊山に毎週登られ、脚力を維持されている・・
   日本山岳会東九州支部長をされているので、足が弱くなったなどと言われない様に一生懸命です・・(苦笑)


 
   今日の読経は久住町・猪鹿狼寺の安倍住職です・・。
   今日の主役の一人です・・
   と言うのは、今回の法要の最大のポイントは、廣崎、渡邉御両家の親族と、
   遭難死した二人の遺体捜索収容した3人の子孫の90年ぶりの再会なのです・・
   安倍大助住職は遺体捜索をした猪鹿狼寺・石光宰照住職の曾孫さんなのです・・
   加藤プロデユーサーの粋な計らいで、安倍大助住職にも今回出席してもらい、法要の読経をお願いしたのです。
   安倍住職も感無量の思いです・・とおっしゃっていた。
   安倍住職の太くて大きい読経は九重全山に響きわたっていた・・。

 
   
 
   加藤英彦氏が御親族を紹介をしています。
   加藤氏の右の黄色いシャツの方が、渡邉邦彦君の御親族・・
   その隣の方(首にタオル)が廣崎秀雄君の御親族・・
   その隣(女性)も同じく廣崎秀雄君の御親族・・です。
   加藤氏初め、御遺族の方同士、下に紹介する弘蔵社長・・安倍住職・・
   それぞれ今まで全く会った事もなく、90年忌で再会したと言うことはまさに奇跡的・・と言えると思う。
   黒いシャツの御親族が挨拶をしながら涙ぐんでいたのが印象的だった。
   廣崎、渡邉御両家には、わざわざ、九重までお越し頂き、
   今回の素晴らしい再会の機会を作って頂いた事に対し深い感謝の意を表します。



 
   廣崎家の御親族の方(女性)の御焼香です・・
   このあと、ハプニングが起きました・・(苦笑)
   法要が終わり食事タイムになり、私はこの御親族に声をかけた・・
   すると、なんと
   「九重連山の光と影の柴田さんでしょう・・ホームページ見てますよ・・」と言われたのです。
   ビックリ仰天・・
   私が九重で最も強い思いを入れ込んでいる遭難碑の御遺族に、この様な事を言われるなんて・・
   感激です!・・
   Hさん、ありがとうございます・・これからもよろしくお願いします・・


 
   竹田市長からもメッセージを頂き、首藤宏史(大分県山岳連盟)氏が紹介しています。


 
   法華院山荘の弘蔵社長です・・
   コロナと先日の大雨水害で苦労されている。
   でも、社長はその程度の苦労に負けるような人ではないので大丈夫でしょう・・
   社長の祖父・弘蔵孟夫翁が遭難死した二人の遺体捜索をした一人です・・

 
   廣崎、渡邉御両家の御親族と、二人の遺体捜索収容をした3人の山男達の子孫との再会がついに実現した・・
   なんと90年ぶりです!・・9年ではありませんよ・・。
   時空を超えた再会と言うのはこの様な事をいうのだろうか・・。
   改めて皆さんを紹介する・・
   真ん中の3人が御親族です。
   左から、廣崎秀雄君の姪のHさん(女性)、同じく甥のYさん・・渡邉邦彦君の甥のWさん・・です。
   そして立っている人が、二人の遺体捜索収容した加藤数功氏の御子息・・・加藤英彦氏・・
   左端が同じく法華院山荘の主・弘蔵孟夫翁の孫・・弘蔵岳久社長・・
   右端が、同じく猪鹿狼寺の石光宰照住職の曾孫の・・安倍大助住職です・・
   皆さんの胸中はどのようなものなのか、私には想像も出来ない・・
   ただ言える事は、九重山にはこの様な山男の熱い友情、ロマンが流れていると言うことである。


 
  最後に全員集合・・記念写真です・・
  良い写真です!!
  写真が撮れてない方はこの画像を右クリックして保存してください。
  来年またお会いしましょう・・



   ここからは、今回の90年忌を記念して、プロデユーサーの加藤英彦氏が制作した小冊子(全8ページ)を紹介する。
   この小冊子は参加者全員に配布された・・
   80年忌が10年前の平成22年8月で、この時は倒れた遭難碑を復旧したのみで、特別なイベントはなかった。
   今回の90年忌は関係者の高齢化なども考慮して、最高のタイミングで行われ、
   加藤英彦氏の熟慮のあとが感じられる。
   この小冊子も、加藤氏の父・加藤数功氏の遺志を継ぎ、いつまでもこの遭難碑を守っていこう・・という
   強い意志が感じられる素晴らしい小冊子である。
   この遭難碑は、登山とは何たるか・・山男とは何たるか・・を語っている。
   今回の90年忌もそれを語っている。
   少し大袈裟かもしれないが、私は今回の遭難碑90年忌は、九重登山史上に残るレジェンドと言っても
   良いかもしれない・・と思っている。


   以下、小冊子を紹介する・・
   字が小さい部分はそれぞれのプラウズで拡大してお読み下さい・・

 
   表紙です・・


    
 
    加藤英彦氏のお言葉(思い)です・・
 
 
    
 
    遭難碑に刻印されている碑文です・・
    青字が実際に刻印されている・・
    下段は口語訳です・・


   
 
   渡邉邦彦君の実弟の道夫さんと加藤氏です・・
   80年忌の時(平成22年8月)に道夫さんから頂いた弔辞で、道夫さんは5年後の平成27年に亡くなられている。
   今回は、渡邉邦彦君の一番下の弟の長男のWさんが見えられた・・。


  
 
   今回見えられた廣崎秀雄君の 御親族です・・
   牧ノ戸峠から遭難碑までかなり距離もあるし、炎天下なので、体力的に心配したが、
   お二人共、頑張って歩き切りました・・。
   大変だったでしょう・・お疲れさまでした・・
 


   
 
   遭難碑の案内板(上半分)です・・
   H29.8月に池ノ小屋避難小屋の入り口横に設置された。
   遭難碑に寄ってもらい、九重山での安全登山を啓蒙するために設置された・・


   
 
   上段が弘蔵社長のコメントです・・
   下段が高瀬正人氏のコメントです・・。
   高瀬氏は加藤英彦氏の登山仲間で、この遭難碑の修復、維持管理の責任者です。
   元、土木関係の技術者だとか・・。
   加藤氏は高瀬氏がいなかったら、ここまで遭難碑を守ることが出来なかった・・と言っている。

   
 
   最後のページに拙い私のコメントを採用して頂きました・・
   私如きの拙文を記念すべき小冊子に載せて頂けるのは光栄の至りです。
   私にとって宝物がまた一つ増えました・・。
   本当にありがとうございます・・

 

 私にとって今年最大のイベントも終わった・・
 ちょっと力抜けを感じる・・
 私の九重歩きの原点は、松本ゆきお先生著の「法華院物語・山と人」である。
 その本に出てくる、遭難碑と、法華院山荘にある五輪塔がそのまた原点である。
 そのどちらにも九重(九州)の登山家・加藤数功氏が出てくる。
 加藤数功氏の人間味に触れたくて、著書「九重山」も購入した。
 昭和16年発行で、ネットの古本ショップからやっと入手した。
 九重を語る時、加藤数功氏を抜きに語ることは出来ない・・。
 私も今回の90年忌を記念して、私なりのレポートを書いた。
 遭難死した学生二人の御遺族が九重に初めて見えられると聞いたので、
 これを贈呈するつもりで少し詳しいレポートになった。
  ・遭難に至った詳細と、加藤数功氏の遭難碑建立への熱い思い・・
  ・この遭難碑を未来永劫守って行こうとする御子息・加藤英彦氏達の熱い情熱・・
 この二つが柱になっている。
 私の恥ずかしい拙文で25ページのレポートになった・・
 加藤さんには贈呈済み・・
 今日は弘蔵社長と、猪鹿狼寺の安倍住職にも差し上げた・・
 肝心の御遺族にも贈呈した。
 つまらないお土産です・・と言って差し上げたが、喜んでくれたかどうかは分からない・・(苦笑)

  
   長駄文にお付き合いいただき、ありがとうございました・・

    

    あとがき

  今回の山行は去年5月の古祖母山(アケボノツツジ)以来、1年3カ月ぶりの山行となった。
  歯ぐきの三叉神経痛とか、膝の調子が悪く、山行が途絶えてしまった・・
  でも、今日は万難を排して、死ぬ覚悟で行って来た・・(苦笑)
  膝はほとんど異常なく、遭難碑までをピストン出来たので安心している・・

   今回の慰霊祭の事は、4日の大分合同新聞に報道されているのでよろしかったら御覧ください。