法華院五輪塔建立50周年記念&第10回法華院の会 特集レポート

             オアシス版・法華院物語

       
        (2) 観音様(十一面観音自在菩薩像)と、「氷護法岩」のルーツ

 
   法華院山荘の観音堂におられる十一面観音自在菩薩像です・・
   二大脇士の不動明王(右)、毘沙門天(左)も一緒です・・
  
  
   勝光院豪尊が十一面観音自在菩薩像を建立した事は前回述べたが、今回はそのルーツを紹介する。
  
  寛文年間(1661〜1673・江戸前期)の初期の頃、信心深い豪尊は峯入りの苦練修業を
 
  四十八度に及ぶなどその修業振りは群を抜いていた。
  
  ある時、豪尊がそれまで信じていた十二所大明神の真の本体は、十一面観音自在菩薩と言われていたが、

  それが本当に真実なのか、どうもよく分からない・・。
  
  そのため、豪尊は御本尊に面接しようと発願し、百夜の間、
  
  上宮(中岳山頂下の賽の河原))に参拝し、真心を込めて祈った。
  
  すると、ある満願の夜、本御門に十二条の激しい火柱が直立した。
  
  その炎の中に十一面観音自在菩薩が光りを放って示現した。
  
  豪尊は電気に撃たれた様に、菩薩に向かってただただひれ伏すばかりだった・・

  そして感激のあまり思ったそうである。
  
   「十二所大明神は間違いなく十一面観音自在菩薩の化身に違いない」
  
   「菩薩は真の姿を私に見せて、悟りの説法をする道を教えてくれた」
  
  それを知り、その心境になった豪尊は感激のあまり、京都から仏工を招き、
  
  十一面観音自在菩薩像と、不動明王・毘沙門天の二大脇士を造立した。
  
  これが今の法華院山荘の観音堂に安置されている観音様と二大脇士である。
  
  しかし、この造立時期について逸話がある。
  
  大正11年(1922)の観音様の修理をした際、仏師が
  
  「仏像の中にはその縁起が入れてあるのが習わしだから
  
   この仏像も中に縁起が入っていると思うので解体してみましょう・・」
  
  と言って解体した所、果たして観音様の体内から縁起書付(奉納文)と、
  
  岡藩、玖珠、肥後の国境を記した覚書が発見された。
  
  縁起書付には観音造立は慶安3年(1650)と記されていて、
  
  「九重山記」に記されていた寛文年間(1661頃)より、実際は10年くらい古い事になる。
  
  観音様の本当の造立時期が不明確なまま、約270年後に明らかになったと言う事になる。
  
  そして、国境を記した覚書は、藩より国境の警備を委ねられていた法華院が
  
  この覚書を最も重要なものとして、観音様の体内に祀っていたのである。
  
  ここにも勝光院豪尊の信心深さ、思慮深さ、したたかさを感じる事が出来る。


     勝光院豪尊の偉業を象徴するものがもう一つ残っている。
  
  「氷護法岩(こおりごほういわ)」である。
  
  今のあせび小屋の後方の藪の中にあり、高さ4m弱、横幅3m弱の巨岩に

  豪尊の峰入り四十八度の艱難苦行成就の事が刻字、記されてある。

 
   「氷護法岩」です・・すみません、私も一緒です・・(苦笑)
   高さ約4m、横幅約3m・・デカイです・・
   この写真では刻字されてある文言が見えません・・

 
  一部分のアップです・・
  「豪尊勝光院度数四十八度行者」と書かれているのが分かる・・
  これは1650年頃(水戸黄門の時代)の事で、約370年前の話である・・
  長い年月の風雪に耐えた、岩に刻まれた字句を見ていると、
  遠い昔の修業僧の思いが伝わってくる・・
  私は「氷護法岩」の前に立ち、しばし法華院の歴史のロマンを感じて感傷に陥ってしまった・・
  でも、この刻字は経年劣化のため、痛みが進み、判読が難しくなってきた・・
  貴重な歴史史物なので、保存の手入れが必要だと思う・・
  今度、弘蔵社長にお願いしてみよう・・


   この「氷護法岩」を、長者原にあるビジターセンターが、
  去年の8月に行った「くじゅう連山と修験道」という展示イベントに取り上げていた。
  勿論、私は見学してきた。
  圧巻は、「氷護法岩」の拓本だった・・
  弘蔵社長が直にビジターセンターのスタッフと一緒に拓本取りの作業をしたそうである。
  拓本取りはおそらく初めての事だと思われ、実物大の拓本の前に立った時、
  私は胸がいっぱいになってしまった・・
  拓本では刻字が不鮮明で読み取れないので、
  拓本とは別に刻字の全文を解読した資料を作り、展示していた。
  以前、私は全文を解読したくて、「氷護法岩」に何度か通ったが、素人の私には無理だった・・
  今回、刻字がほとんど分かったので本当に嬉しかった・・。
  種村センター長の許可を貰い下記に紹介する・・


  拓本です・・
  実物大です・・天井までありデカイです・・
  さすが、九重長者原ビジターセンターです・・・拓本とは着眼点が素晴らしい・・ 
  ビジターセンターにとっても、法華院にとっても、貴重な歴史資料になると思われる・・
  このイベントは「くじゅう連山と修験道」というタイトルで、去年の8月に行われた。
  私は2回見学に行った・・
   ・修験僧の白装束を、実物大の人形を使い展示・・
   ・修験僧の歩いたルートを描いたくじゅう連山の最も古い絵図・・(猪鹿狼寺所蔵)
   ・小学生でも楽しく学べる様にイラストを使いクイズ方式で・・
  大人から子供まで、誰でも分かる様に工夫した楽しい展示会だった・・


  右の四角の中が解読した全文です・・
  これでほとんどの刻字が明瞭になった。
  豪尊が峰入りの苦行を四十八度成就した事がはっきりと書かれている・・
  これを理解したくて、「氷護法岩」に何度通った事か・・
  私も一安心です・・
  弘蔵社長、種村センター長、ありがとうございます・・
 
  (注) ビジターセンターによれば、刻字は経年劣化で痛みが進み、判読が難しい字があり、
      完璧なものではない・・との事です。
  

 
   前述の様に、観音様と氷護法岩は傑僧・第12代院主・勝光院豪尊により造立され、
  
  幾多の激動の歴史、荒波の中を生き抜き、現在に至っている。
  
  「法華院の再中興の傑僧・院主」と言われた豪尊は、その名に相応しく、末代にまで残る宝物を残した・・。

  今、観音様は山荘前の川を挟んだ真向かいにある観音堂の中におられます。
  
  勿論、不動明王、毘沙門天の二大脇士も一緒です。
  
  私(オアシス)は坊ガツルを訪れた時は必ず寄ってお参りをします。
  
  波瀾万丈の、ある時は苦難の中を生き抜いてきた観音様は、そんな事はなかったかの様に
  
  柔和なお顔をされ、静かな笑みを浮かべています。
  
  ここの観音様は本当に優しい表情をされていて、心が穏やかになります・・

  観音堂は一般の登山者もいつでもお参り出来る様に開放されています。
  
  そして今は、第26代院主・弘蔵坊岳照(こうぞうぼうがくしょう)住職が
  
  観音堂を守っておられます。

  住職は山荘の社長・弘蔵岳久(ひろくらたけひさ)氏である事は前回述べた・・
  
  因みに、名字、弘蔵(ひろくら)は白水寺時代の坊名(弘蔵・こうぞう)から取り、
  
  名前、岳久(たけひさ)は中岳の「岳」と、久住山の「久」を取っているそうです。
  
  凄い、素晴らしい名前です・・。
  
  それと、弘蔵社長は、豪尊という凄い御先祖様を持っておられると思うと
  
  今度お会いした時は平身低頭しないといけません・・(冗・笑)

  
  冒頭で弘蔵社長に、白水寺跡の雑木林を刈り取って

  礎石が綺麗に見える様にして貰いたいお願いをしたが、お願いついでにもう一つ・・
  
  私は、”法華院”というネーミングが好きである・・
  
  修行僧の求道の姿が感じられて、登山者のそれとマッチして、
  
  ”法華院”と口にすると気持ちが落ち着くのです・・
  
  それと、何といってもこのネーミングは九重の山々に染み渡っている・・
  
  なので、このネーミングで、焼酎か日本酒を造れば売れるかもしれない・・(苦笑)
  
  そういえば、”坊ガツル”もいいな〜・・(苦笑)
   
   「幻の焼酎 九重・法華院」
   
   「幻の日本酒 九重・坊ガツル」

   社長、考えてみて下さい・・(冗・笑)

      
    次回は (3) 「九重山記」のルーツを紹介します・・
   
     ご訪問いただきありがとうございました・・