番外編  終戦記念日に思う(終編)  R2.9.18(金)アップ


 「終戦記念日に思う」・・終編です・・
 長かったけど、今回で終わりです・・(苦笑)
 
 日本はあの様な無謀な戦争を何故したのだろうか・・

私なりに考えてみました・・
若い頃からの疑問点でした・・
戦中生まれの私にとっては重要な事なので、是非とも書き残さなければならない・・との思いです。

私は満州生まれで昭和22年に引き揚げて来た引揚者である・・。
私が4才の時か・・
父は鞍山製鉄所に勤めていて、終戦後、徴用されていたらしい・・
両親、私、兄、妹の一家5人で、持って帰った財産は父が背負ったリュックサック一つだったとか・・。
引き上げ後の生活は、それは貧しいもので、私は毎日の空腹の事しか覚えていない・・
そんな事で、戦争の事を少し覚えている人間なので、今回のタイトルの

 日本はあの様な無謀な戦争を何故したのだろうか?


・・に、こだわるのです・・。
全くの私の独断と偏見であるが、それはそれで仕方がない・・
その点、御了承をお願いします・・
かなり長いです・・興味のない方はパスして下さい・・

 



  
千町無田の美田越しに見た九重連山・・
  最初の夏バージョンに戻しました・・   
  私の「心の風景」です・・
  「心の風景」というのは、その人の一生を左右する位、その人の心に染み込んでいる風景である。
 
  この風景は、朝日長者が千町無田の黒木御殿から毎日眺めていた朝日長者の心の風景なのです・・
  そして、私の心の風景でもあるのです・・偶然の合致ー1
  前回(中編)で、朝日長者が落ち込んだ「驕りと傲慢」が、
  戦争に突入していった日本人の「驕りと傲慢」と同じだった事を述べた。・・偶然の合致ー2
  朝日長者に、驕りと傲慢に嵌まっていく日本の姿を教えて貰ったのです




 日本はあの様な無謀な戦争を何故したのだろうか?


 前回(中編)で、私なりの結論を一応導き出した・・

 それは、日本人の人間としての未熟さから、驕りと傲慢の世界に落ち込み、世界の客観情勢が見えなくなり、

 進むべき針路を誤り、武力行使、侵略の道に走ったと言う事であった。
 
 開戦直前、アメリカから提案された「ハル・ノート」について、ジックリと和平交渉もせずに、

 わずか2週間たらずで、開戦を決断し、真珠湾攻撃に入った。

 それも、開戦したら負ける・・と分かっていたのに・・。

 この未熟さは例えようもないくらい情けなく悲しいものだ・・。

 それは、世界から見たら、自暴自棄に見えたに違いない・・





 今回(終編)では、語り部のおじいさんに対する子供たちの質問・・ 

    「おじいさん、戦争は恐ろしく、残酷な事は分かりました・・
     でも、日本はそんな恐ろしい戦争をなぜしたのですか?」・・

     この質問に私なら次の様に答える・・


そうだよね、戦争は恐ろしいよね・・人間が気違いみたいになるからね・・
 
この質問への回答はすごく難しいので、ちょっと長くなるけど聞いてね・・
 
でも、あの戦争は最初は日本が仕掛けた戦争なんだよ・・
 
話は昔に戻るんだけど、日本は江戸時代に鎖国をして、外国と縁を切っていたよね・・
 
その間、日本はいろんな面で外国から遅れてしまった・・
 
それを挽回するために、軍備拡張と西洋化が必要だった・・
 
日本は一生懸命頑張ってそれをやり遂げた・・
 
第一次世界大戦が終わった頃、日本は、イギリス、フランス、ソビエト、アメリカと共に
 
世界五大国までのし上がった・・
 
国際連盟にも入り常任理事国にもなった・・すごいよね・・
 
 
日本がここまでに世界の列強から学んだ事は、
 
「とにかく、国は軍備を拡張し、強くなければならない・・
  
 それがないと誰も相手にしてくれない・・」という事だった・・
 
日本は陸軍も軍艦もドンドン増やして世界が驚くほど強くなった・・
 
しかし、国家予算の40%が軍事費ともなると、やはり苦しくなってきた・・
 
日本は昔から、中国と朝鮮(今の韓国)の石炭、石油の資源に目をつけて狙っていた・・

昭和9年(1931)の満州事変を起こし、軍事力で満州を獲得し、最終的に27万人の日本人を入植させ、
 
次の年に満州国を作った・・ これはもう侵略だよね・・
 
世界の国々は猛反発した・・

国際連盟で議題に上がり採決の結果、日本の満州国建国に反対42票、

賛成は日本の1票だけだったんだよ・・

日本は怒って、松岡大使はその場で国際連盟脱退を宣言して席を立った・・

これで 日本は世界の仲間からはじきだされて孤立してしまった・・

満州国建国を強行し、日中戦争に入って行ったんだよ・・

あまりにも無茶をするので、国際連盟は日本に対して石油、石炭の経済制裁をした・・

経済制裁というのは知っているよね・・

今も、北朝鮮などに対して行っているよね・・

日本は石油と石炭を止められると万事休す・・だよね・・

世界はたまたま世界恐慌に陥り、それぞれの国は自国を守るために

経済はブロック化されていった・・

ブロック化というのは、自国の経済が乱れるのを防止するために、

一時的に外国と縁を切る事だよ・・

そうなると、資源を外国から輸入に頼っている日本が一番困る・・

日本はだんだんと孤立化して、外交、経済の行き詰まりに陥り、

それを力の行使、つまり武力で解決しようとした・・

そこで、中国とか、東南アジアの地下資源を獲得するために戦争の道を選んだんだよ・・

ここが、日本が間違った重要なポイントなんだよ・・

もうちょっと頭を冷やして、世界の人達と話し合いをすれば良かったよね・・

でも、日本はそれまで戦争に負けた事はなかったし、勢いがついていたし

それ行けドンドンで、日本は負けるはずがない・・

皆、そう思っていた・・

驕りと傲慢にドップリ浸かり、鼻を高くしていた・・。

驕りと傲慢というのは、自分の才能や地位が優れている事に自惚れて、

高慢な態度で他人を見下す事を言うのだよ・・。

そして、満州、上海、重慶などに武力侵攻して、戦争の道へ入って行った・・。

ブレーキが効かない人間・・先を読めない人間・・

自己中心の人間・・ある意味では弱い人間・・

人間として未熟だったんだよね・・

この戦争を始めたら、日本は勝てるのか・・負けるのか・・

ちょっと考えただけですぐ分かるんだけどね・・

アメリカの国力は日本の10倍・・軍事力に限って言えば20倍と言われた・・

こんなんじゃ、勝てる訳がない・・

でも、奇襲作戦と短期決戦で行けば何とかなるかもしれない・・

こう考えて日本は真珠湾を奇襲攻撃して、太平洋戦争が始まったんだよ・・(昭和16.12.8)

同時に、東南アジアの国々(フィリピン、マレーシア、インドネシア、シンガポール、ベトナム、タイ、

ビルマ・今のミャンマー)などにも侵攻して占領したんだよ・・

でも良かったのは最初の半年だけ・・

年が明けた昭和17年6月のミッドウェー海戦で日本艦隊は壊滅的な被害を受け、惨敗・・

あとはズルズルと負け続け、見るも無残な姿だったよね・・

南太平洋の島で数十万の日本兵が死んだけど、半数は餓死だったという記録もあるそうだよ・・

食料、物資の補給がなかったのは本当に情けない・・

こんな事だって最初から分かっているはずだからね・・

あとはテレビなどで報道してる通りで、無残な敗走の連続だよね・・

沖縄の人には本当に気の毒で、哀れな地上戦・・

東京大空襲・・

日本の主要都市の爆撃空襲・・

広島、長崎の原子爆弾・・

昭和20年8月15日・・終戦・・


本当に惨めな形で戦争は終わったよね・・

かなり話は長くなったけど、これで日本はどうして戦争への道へ入って行ったのか?・・

大体分かったよね・・

前にも言ったけど、戦争に入る前に頭を冷やして、

世界の人達と話し合いをすれば良かったよね ・・

でも、驕りと傲慢で頭が固まった日本人はそういう考えにならなかった。

ここが一番残念な所だよね・・

 ブレーキが効かない人間・・先を読めない人間・・

 相手の気持ちを考えられない自己中心の人間・・

 自己保身で物言わぬ人間・・ある意味では弱い人間・・

人間として未熟だったんだよね・・

この戦争を始めたら、日本は勝てるのか・・負けるのか・・

ちょっと考えただけですぐ分かるはずだった・・

無理やり戦争を始めて、世界中の人々に大きな迷惑をかけてしまった・・

特に、アジアの人々、とりわけ、中国と韓国の人々には、口では言えないくらいの

苦痛を与え、心に傷を与えたんだよ・・

テレビとか、語り部のおじいさんが言う様に戦争は残酷で恐ろしいよね・・

戦争はお互いに気違いみたいになって戦うからね・・

でも、大事な事は、日本が受けた被害の事ばかりを考えないで、日本が相手に与えた加害の事も

考えないといけない・・と言う事だよ・・。

日本人も爆撃を受け大勢の人が亡くなったけど、中国や韓国、東南アジアの人達も同じ様に

日本軍の侵攻爆撃で大勢の人が亡くなっている・・

一般の市民があっと言う間に何万人、何十万人と無残な死に方をするからね・・

戦争というのは本当に恐ろしいよね・・。


何故、あの様な事が起きたのか、しっかりと考えて、反省して、

絶対に繰り返してはいけないんだよ・・

日本は世界の人々に対して、次の様な気持ちを持っていないといけないのだよ・・。

  
「無茶な戦争を引き起こしてごめんなさい・・
 
  人間としての未熟さから、驕りと傲慢の世界に落ち込み、強引な武力行使ばかりしてしまった。

  世界の国々とジックリと話し合いもせずに、自分勝手な行動ばかりしてしまった。

  特に中国や韓国の人々に辛い思いをさせて本当に申し訳ない・・。・・
 
  でも、日本は戦争を経験して、今は変わりました・・
 
  民主主義を手に入れて、誰でも自由に自分の意見を言う事が出来る様になって
 
  相手の意見を尊重する事が重要だと言う事も学びました。

  もうあの様な戦争に入って行く事は絶対にありません・・
 
  特に中国と韓国の皆さんとは隣国同志・・
 
  仲良くやっていかなければならない・・と思っています・・」

 
   ・・とね・・


  どうかな・・ちょっと長くなったけど、君の質問への答えになったかな・・


前記の子供の質問に、私だったら、以上の様に答えるだろう・・



いつだったか忘れたが、NHKの番組でやっていた・・

「400時間の記録」という番組で、昭和55年から平成3年までの11年間、

全131回に及ぶ、水交会のメンバーの、戦争の反省の記録だった・・。

そのメンバーには、あの天皇が入る御前会議に出席していた将校もいた・・。

そして、その将校は最後に次の様に言っていた・・

 「私は心がとがめて恥ずかしい、うしろめたい気持でいっぱいだ・・
 
  心がとがめるという意味は、自分を自分で、自分の失敗や罪を非難する・・という意味だ・・
 
  この様なやましき沈黙に陥らない様にする事が重要だ・・これが私の結論です・・」
 
  ・・と・・。

 重たい言葉です・・


ここからは、狂気の太平洋戦争に突入して行った、開戦までのキーワードだけをあげ、

このレポートを締めくくりたい・・


   資源不足・・石油、石炭  軍拡財政逼迫(1914)  日英同盟の解消(1921) 

  関東大震災(1923)   治安維持法(1925)   世界恐慌(1929)

  経済制裁(1930)     満州事変(1931)    上海事変(1932)    満州国建国(1932)

  国際連盟脱退(1933)   ナチス独裁政権(1933)   2.26事件(1936) 日中戦争(1937) 

   日独伊防共協定(1937)    国家総動員法(1938)   重慶無差別爆撃 (1938)

  軍部の台頭、独裁     大政翼賛会(1940)

  真珠湾攻撃・太平洋戦争開戦(1941)


     (PS)太平洋戦争の開戦直前に、開戦を何としても止めようとする動きが
        あったと言う記録があるが、今回はそれが間に合わなかった・・
        それを読んで、追記する必要がある場合は後日追記する・・

        長くなったついでにもう一つ・・
        私がこのレポートを書いてる最中の、27日(木)、NHK・BSプレミアムの夜8時から
        「終戦秘話・ある陸軍将校命懸けの終戦工作・裏切り者と呼ばれて」・・を放映していた・・
        陸軍作戦本部にいた、松谷誠大佐の、有名な「弱気の勇気」の話である・・
        9月3日(木)朝8時から再放送がある・・興味のある方はどうぞ・・

         
            終戦記念日に思う   完


          長駄文にお付き合い下さりありがとうございました・・