おゆぴにすとHP開設10周年記念宴会IN由布院と前後行状の記

                                
栗秋和彦

 平成142月1日に開設した“おゆぴにすと”のホームページ(以下HP)も今月、節目の10周年を迎えた。となればHP管理者も兼ねる挾間編集長が黙っている筈もなく、以下のように記念行事が目論まれ、HP上で告知して久しかった。

HP開設10周年記念行事のあらまし(案)

 日時 2月4日(土)午後6時〜2月5日(日) 

 場所 くじゅう倶楽部

 内容 「山のスライド映写会とおゆぴにすとHPこの10年を語る」

「加藤会長夫妻の古希記念北京報告」 etc


 ところが諸事雑多を抱えた会員諸氏の参加状況ははかばかしくなく、内容の高邁さはともかく大宴会が本命であることを匂わせても、なかなか飛び付いてこないのだ(編集長談)。そうさな、記念行事とは言っても

@    毎回同じ顔ぶれでは新鮮味に欠けるわなという説・・・(ごもっとも)。

A    或いはこの時期の九重はアプローチが不安だから躊躇するという説・・・・(これも分かる。結果的にはくじゅう倶楽部での開催だったら、ノーマルタイヤでは辿り着けなかった)、とこの二説が関係者間を飛びかった模様。しかし中には「記念行事が多すぎてカミさんの機嫌が気になる」とか「そぅそぅこの日は法事だったか、残念至極!」・・・(えっ今回も?)などの声もまことしやかにささやかれたが、この手の類は欠席者を慮るという意味で酒の肴におあつらえだ。


 とそれはともかくこの時期、くじゅう倶楽部方面では足元が覚束ないのは道理。そこで場所を由布院(金鱗湖近傍の別荘・茶畑荘1)へ変えてみて様子をうかがったが、@の理由でそぅ事態は変わるまいと筆者は内心懐疑的だったことを吐露しよう。しかしアプローチの安寧さが功を奏したのは間違いない。九重なら4名(加藤、塩月、挾間、栗秋)のところ7名(+松田、大平、荒金)とほぼ倍増したのだから。そんなこんなで4日夕刻、5時過ぎには全員集い6時前の開宴にこぎつけたのだった。

   
  南由布に辿り着くと眼前に由布岳が            この10年のキリ番トップページを掲げる“おゆぴにすと”の面々


 とすんなりと開宴に辿り着いたが、その前に今回は加藤、塩月の年長組が宿の手配、食材の調達、炊事等サービス一切を買って出てくれたことは特筆に値しよう。伊達に年長組ではなかったのだ。もちろん背景には編集長の、この10年の労苦を慮っての配慮とも取れたが、今回ぐらいは大いに甘えて貰い感慨新に、これから更に発奮して欲しいとの仰せに違いなかろう。「分かっているかなぁ、そこんところを!」 と(編集長の) 様子を伺うと、うるうる瞳に感涙真顔で応えてくれたのだった(と言うことにしておこう)。 ならば半ばこの記念行事の意義は達成したのも同然。あとは世俗事に溢れる話題でも、政治・経済床屋談議でも何でもけっこう。時を経るにつれ、酔いが回るにつれ論壇闊達になるは自明だったが、宴半ばで退席した紅一点、金ちゃんの賄いぶりにも触れておかねばなるまい。自分の飲食もままならぬほどのフットワークでこまごまとした雑事を引き受け、口さかしいおじさんたちの会話にも合いの手を打ちながらも、気配り目配りで円滑な進行を助けてくれたのだから。遅まきながら紙面を借りての御礼としたい。

 一方で視覚的にはメインディッシュの豚しゃぶ鍋が中央に居座り、周りを固めるは加藤家手作り惣菜の数々。これらがテーブルに所狭しと並べられ、それぞれが美味推奨の声を待ち待ちわびているかのように装う。そして地元著名人からの寄贈酒や各自持参の地酒、ワイン、焼酎も披露され、頬が緩むは必定であったが、話題の口火は身近なところで介護問題からはじまり、延命治療(胃瘻) の是非や尊厳にまつわる個々の感情論まで飛びかった。がしかし祝宴の趣からは離れていきそうだったので、軌道修正。ならば山のいで湯愛好会30年の歴史もさることながら、47年にも及ぶ登高会時代からの青春群像を論じることとしたが、会員消息を辿るうちに、大分弁で言うなら「ビッタレ」性向の御仁にまつわる面白可笑し話や伝説の4人美人娘衆(2)の消息など、三面記事的吹聴話には事欠かず、大いに場は盛り上がったのだ。であればまたしても多少の軌道修正を余儀なくされたが、まぁこれはこれで話題尽きまじ、格好の酒の肴になったのは言わずもがなか、嗚呼。

        
      まだまだつづくエンドレス宴席二題(お開きはam2時だったか)        朝、茶畑荘入口で メインキャスト

 さて宴たけなわで「山のいで湯愛好会創立30周年記念事業」にも話は及んだが、内容は祝賀会方式とすることで大筋了解をみた。しかし参集対象者を「山のいで湯」30年より「登高」47年のいにしえまで遡った方が、かっての青春群像にタイムスリップしやすいのは自明であろう。つまり山のいで湯愛好会のルーツたる“古き良き時代の社会派集団”であった登高会時代に思いを馳せることで、「ALWAYS 三丁目の夕日(ちょっと古いなぁ)的触れ合いを得たいとの気持ちは、団塊世代以上に通じる強固な思いに相違ないし、若輩の筆者とて分からぬでもない。その意味で「旧大分登高会ゆかりのみんなの集い(仮称)の開催は必然の結果であり、皆の胸中に去来するもの多しの筈である。尚、日時その他は以下の案で詰めていくことにしたが、けっこう酒の席で決まってしまうのは普遍的日常と言っていいだろうね。

・旧大分登高会ゆかりのみんなの集い(仮称)

日時:2012年6月9日()  

場所:未定(コンパルホール及び市内ホテルを予定)    

内容:昔を懐かしむスライド映写会 15時〜17時(コンパルホールを予定)     

懇親会場所 17時30分〜(大分市内のホテルを予定)

 さて翌5日、居残ったのは加藤、塩月に挟間と筆者の4名である。昨夜の恩義を意識してか長老組の誘いを断る度胸は持ち合わせず、塚原高原を目指した。湯布院と安心院町境(※3に位置する立石山北東尾根上の891mピーク直下のメンヒル(4)を愛でようという算段である。ところが筆者はタウンウェアにタウンシューズ、輪行バッグ一つの出で立ちである(5)。登山口の寒水集落でもまだらに雪模様の有様とあって、山に分け入れば雪面は避けて通れぬのが道理。と断る理由を捜し出したが、加藤御大はすかさず「俺のトレッキングシューズを貸したるわぃ」と応えた。多少窮屈ではあるが、外堀を埋められては従うしかないし、一人牧場で留守番しても仕方あるまいと腹を括ったのだ(括るほどでもなかったが)

               
   メンヒルを捜して立石山北東尾根を登る         891bピーク直下に巨石・メンヒルは鎮座していた 

 で牧場を直上して杉林に入ると幾分緩やかな林道となったが、それも適当なところで見切りをつけ直上する森へ分け入った。次第に傾斜は強くなり雪の尾根筋は滑りやすく木々にすがって登り詰める。すると遠くで猟犬の鳴き声がせわしく聞こえ、それがだんだん近くなってくる。シーズンオフの訓練かもしれぬが、目を凝らすと、察知したかのように今度は次第に遠くなっていき、やがて静寂が戻る。気が付くとせわしげなのは我々の呼吸音だったりして苦笑い。たかだか半時の登りもけっこう高度を稼いでいたのだ。

 ほどなく見上げる疎林を通して大ぶりの岩塊が現れたが、それがメンヒルとの対面であった。なるほど近くで見上げると屹立した巨大な岩塊であって、この尾根上の最高点・立石山の謂れに相応しく、納得である。加藤御大も童顔に戻り「一発で辿り着けたのは運がいい」とご満悦の様子。筆者はただ付いて登っただけだが、その言動からするとルートはけっこうあやふやだったのだ。そして全容を眺めるに雪に覆われたこの時期だからこその景観に感謝しなければと悟った次第。何故なら一帯は疎林とはいえ葉を落とさねば、木々に埋もれた岩塊に過ぎず、静寂の森に加担してただひっそりと佇んでいるに違いないのだから。

         
     南に開けた林道〜牧場から由布・鶴見連山の大パノラマが展開した       下山後の昼食風景、健啖さを誇る三人衆

 と先ずは所期の目的を達し、背後の891mピークを踏んだが、森の中のなだらかな尾根上の鈍頂といったあんばいで眺望はなし。これはお釣りというものだろう。そして帰路は立石山への北東尾根を取り、途中から南の谷に付けられた林道に降り立った。雪とぬかるみのミックスした斜面から解放されてやれやれの体であったが、忽然と視界が開け、雪を抱いた由布・鶴見連山の大パノラマは見事としか言いようがなかった。塚原高原の秀景ポイントを一手に引き受けたかのようなこのコースをずんずん下るのは惜しいほどに。ならば自然の奇景・メンヒルとこの大パノラマに接しただけでも予期せぬ我が二日目の山歩きは、お釣りどころではなかったことになろう。その意味でただただ長老組様に感謝するしかなかったが、ホントにこのお二人はよく飲み、よく食い、よく動き回るわなぁと恐れ入り、そして恐るべし長老さまさまだったのだ。

(1) 平成17122324日 拙著「おゆぴにすとの忘年会は雪の隠れ家がよく似合うの巻」から抜粋
 〜おゆぴにすとHP5万回アクセス達成祝賀会兼忘年会を23日夕刻から一泊二日エンドレスで雪深き由布院は金鱗湖近くの別荘、茶畑荘で挙行した。亀の井別荘の裏隣一帯は自然林が残り、清閑な和風旅館が点在してなかなか趣があり、その一角に宿はあった。この宿、こじんまりとした個人の住宅の趣だが、階下には24時間こんこんと湧く湯屋が設えられ、我々を待ち受けている。またぬくぬくとしたリビングには大ぶりのテーブルとアンティークっぽい頑丈な椅子を配して、少人数の宿泊宴会には最適のシチュエーションを提供してくれる。まさに由布院の中でも集落の外れ、ひっそりと怪しげな?会合を目論むための男たちの隠れ家的趣向の宿だと言っておこう〜

(2) 平成231229.30“おゆぴにすと”HP 掲示板「別院岩場再訪を読んで」参照

(3) 平成の大合併で正確には由布・宇佐市境になる

(4) 屹立した大石(岩)を指す。立石山の山名はこのメンヒルから取ったという

(5) 由布院へのアプローチは大分から小径自転車を漕ぎエクササイズを兼ねた。コースタイムの4日参照

(参加者)加藤、塩月、松田、挟間、大平、荒金、栗秋 (松田、大平は宿泊のみ。荒金は日帰り)

(コースタイム)

2/4 大分駅1312⇒(by小径自転車・ブロンプトン 大分川サイクリングロード〜R210JR向之原駅入口1412〜旧道・JR小野屋駅前1440JR庄内駅1510 14R210JR湯平駅上1545〜南由布ワイナリー1622 26JR由布院駅1640 45)⇒由布院・茶畑荘1657 以上、走行距離約47Kmは栗秋の記録 

〔由布院温泉・茶畑荘入湯〕 18時開宴 茶畑荘泊

2/5 宿1030⇒〔車〕⇒塚原・寒水集落(登山口640b)1049 1100→メンヒル1135 42→オバサマ山(891b)1148 1200→(立石山側の林道経由)→登山口1237〔昼食〕⇒〔車〕⇒JR別府駅下車(栗秋) 1420

(平成24245日)

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