“十二支会”牛の峰登山に参加して    加藤英彦
 干支(えと)の名前のついた山を巡っている「十二支会」というユニークな登山グループがある。元日本山岳会会長で、京都大学名誉教授の今西錦司氏を中心とした根っからの山好きの集まりである。26年前(S34年)に誕生して以来、毎年1月に全国のその年のえとのつく名の山を登り続けてもう三巡目に入っている。

 発足当時はわずか6人のメンバーだったが現在は百人を越す大所帯に膨れ上がっているという。ウシ年の今年四国愛媛県の牛の峰(896m)に挑戦すると聞き、大分在住のメンバーにさそわれて参加することになった。以下その報告である。

 大分在住の会員としては現在5名、その5名と小生の計6名で1月11日(金)夜大分をレンタカーにて出発。臼杵発のフェリーで八幡浜に着く。

 今日(12日)の夕方までに今晩の宿である道後温泉に着けばよいのだ。その間いくつかの山に登れるということでまず目ざしたのが、壷神山(971m)一等三角点本点の山だ。四国上陸後国道56号線を走り大洲市を過ぎてすぐに左へ。あたりは全くの闇だ。地図とのにらめっこでめざす壷神山への登りロを探す。かなり上部まで道路がついているようだ。途中農家の庭先にはいってしまったり、行き止まりの道だったりして数回となくバックさせられる。

 やっと本道を忠実に登れる様になったら雪が降ってきた。しばらく行くがスリップしだしたのですぐにチェーンを装着する。レンタカーで借りる時チェックしなかったとかでチェーンがすこしゆるめである。何度かはずれたり、ゆるいのでガタガタとチェーンの端が当る音がする。やっと車が行き止まりのところでストップ。頂上までどのくらいか見当がつかない。

 雪の道を歩き出してすぐにアンテナが出現。僅か8分の登りで頂上へ到着。何んだか拍子はずれの感。まっ暗の中三角点を中心に記念撮影をしすぐに下山。下の方の町のあかりが印象的だった。

 車にもどり雪道を注意して下りストレートに瀬戸内海に面した町(長浜町)へおりつく。このあたりでやっと夜明けになった。一路海岸線を走りめざす松山へ。車は運転要員が3人いるので交代でする。夜どおし走るので運転してないものは後部座席で寝袋に入りこむ。

 眠っていたらおこされる。松山駅前である。朝食を駅前の食堂でとることにする。持参の弁当を広げたのが悪かったのか、ブタ汁一杯がなんと400円、サービス悪く、印象の悪い松山の街となった。さて腹ごしらえ後、次なるめざす山は地図で拾って高縄山(986m)これも一等三角点である。地図案内をたよりに山道をかなり入ったところでたずねたところ、その道は山頂まで途中工事中で行けないというので引き返してもう一方の道をとることとする。約1時間の時間のロスだ。やはり上部になって、また雪が出てきた。かなり氷っている。再びチェーンをつける。何度もつけたりはずしたりでかなり要領がよくなり、ゆるいチェーンもはずれなくなる。

 高縄山は頂上まで車で登れる。山頂にはアンテナの横に専用の展望台があり、そこからの眺望はすばらしい。真下に瀬戸内海がみえ、南側には石鎚一帯の山が連らなっている。こうしてみると四国も広くて山また山の連続だ。さて次なる山はどれにしようかと、また地図をみる。対岸の明神ケ森山群にすると道後に着く時間が遅れるかもしれない。そこですぐ近くの大月山(954m)にしよう。高縄より少し下ったところに車を置く。

 今晩道後に集る他の組(岐早からのパ−ティ)もそこに車を置いて大月山をめざしたようだ。さてしばらく林の中の道をたどっていたがどうも違うようだと先導のK君がいいだす。ブッシュの中を近道を登っていった3人と別れて忠実に道を探す。耳をすますと先行のパーティが山頂でバンザイをかけている声が聞こえた。やっぱりあっちだということで3人だけやゝブッシュになった山頂をめざす。

 眺望はきかなかったがやはり四等の三角点があった。これも一つだ。誰かが書いていたように三角点寵愛の会だけはある。常に山頂の三角点を大事にあつかい決してそれに腰かけたりはしない。この風雪にたえて常に孤独な三角点にめぐりあえて我が子に接するがごとくその三角点を撫でるのである。そしで三角点を中心とし輪をつくりバンザイ、バンザイと三唱し下山前にはヤッホー、ヤッホーとその三角点のまわりに土をかける様なしぐさをして別れを惜しみつつ下っていく。これが儀式である。

 さて下りはブッシュの中をすこし迷ってしまう。岐阜組の先導で下ったのがまずかったか、ブシッュの中を少し汗をかく。時間的には少し早いが今日はこれにておしまい。今晩の十二支会の宴会のある道後温泉へと車を走らせる。道後温泉着(15時)。早速今夜の宿・ホテル大和屋にて受付をすませて、すぐに道後温泉のシンボルともいうべき振鷺閣・道後温泉本舘へ入浴だ。さすがにお年寄りがゆったりと温泉を楽しんでいる。早朝からの強行軍の疲れをとり今夜の宴会への備えをする。

 18:00より前夜祭だ。参加者全員90名位、今回は十二支会本家と関東で発足した十二支山の会との合同山行ということでメンバーも多彩である。聞くところによると本家関西の十二支会はやはり組織もガッチリしており今西先生という重鎮がおり、我々の方が本家であるといった自負があるとか。宴の途中にも関東の十二支会が今回合同にての参加させていただいたことに感謝の意を表していた。何しろ90名近い大人数の宴でありあいさつも多く酒が入るにつれ歌も出てきてかなりの盛り上りをみせてはいたが、何しろ高齢者が多い。1年に1度の再会を確かめるが短く、逆に言えほ来年はもうお目にかかれないのではといった年かっこうの人もちらほら。

 変わり者が一人私の前にすわった。ビニール袋よりやにわに一冊の本をとりだして買ってくれという。みれば一等三角点研究会発行の機関誌をもってまわっておし売りをしている。

 会長の坂井久光というお方だ。1冊1000円にて購入。あとでわかったのだが、常連の人達は皆、おし売りがわかっており会長が廻って歩く間に避けておくと教えてくれた。今西先生へ大分グループ一同ご気嫌伺いにご挨拶。次々と挨拶する人で順番待ちの状態だ。宴も現会長和崎氏の歌が出るにいたって最高潮に達した感だ。明日の早い出発にそなえて早めに切りあげる。

 翌13日 6:30朝食7:00出発、大分組は少し早めに出、伊予上難駅前にて後発の貸切バスを待つ。バス2台にて到着。老いも若きも山頂めざして出発だ。今西グループは車にて最終地点まで登る。途中、最後のところではやはりチェーンをつける。牛の峰地蔵をへて山頂(896m)へ。あいにく粉雪がパラつきはじめたが、下からの人達は約3時間の登りで山頂へ。三角点を中心にして例の行事。特に還暦や古希を迎えた人4人には特別の記念品贈呈というセレモニーも入って全員でお祝をした。

 特に地元の応待も熱が入っており、地蔵堂の側ではたき火をたいて接待し、町長、町議もかけつけ挨拶をし、みかん、お酒のふるまいと、おみやげには紅白のモチと牛の峰登山とウシ年記念にと牛の焼きもの(砥部焼)を全員に配った。また報道関係もつめかけ南海放送や新聞社等がきて取材をしていた。何しろ四国で初めて開催したからだったのかもしれない。小生は都合にて下山後上難駅より八幡浜経由で帰路についたが、他の大分組は翌日と翌々日、今西組について高知県の陣ケ森(1013m)ともう二つ登って15日に帰分したとのこと。途中、雪で相当苦労した様だった。 

 なお、小生帰路に偶然、昨夜の宴会にて知りあった一等三角点研究会の会長坂井氏と汽車で一緒になり大分まで案内した。これを機会に熊本、鹿児島の未登の一等をかたづけるということで九州へ廻ったとのこと。汽車の中、船の中と一緒に話して帰ったがやっぱりこの人相当な変人である様みうけられた。我が会の会報「おゆぴにすと」を贈呈したら「一等三角点蒐索」を一冊いただいた。とに角一生を一等三角点にかけている人だ。

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